ロイター 5月12日(木)13時9分配信
富士重、商号を「SUBARU」に変更 17年4月から
『5月12日、富士重工業は12日、商号を「SUBARU」に変更すると発表した。写真は都内で昨年11月撮影(2016年 ロイター/Issei Kato)
[東京 12日 ロイター] - 富士重工業<7270.T>は12日、商号を「SUBARU」に変更すると発表した。2017年4月1日から新商号となる。
富士重、2021年に電気自動車を投入へ=吉永社長
6月28日開催の株主総会で、商号に関する定款の一部変更の承認を得る予定。』
昴は、読みにくいからと思いますが、富士重工ならみんな親しみが湧きます。国際化時代で、日本語表記会社名が、減少しているのは残念です。
中嶋飛行機の航空機製造技術を戦後の自動車製造技術に生かし、新しい技術開発を重視して来たからこそ今日の発展を成し遂げた企業と言えます。
スバル
曖昧さ回避 この項目では、富士重工業の自動車ブランドについて説明しています。その他の用法については「昴」をご覧ください。
スバル(SUBARU)は、富士重工業が展開する自動車製造部門のブランド名である。
富士重工業そのものを指す固有名詞として使用されることも比較的多い他、同社の軽飛行機であるFA-200の愛称「エアロスバル」として、自動車以外に使われた例もある。
スバル恵比寿ショールーム
富士重工業は太平洋戦争までの航空機メーカーである中島飛行機を源流に持ち、創業期に百瀬晋六をはじめとする元航空技術者たちが自動車開発に携わってきたという歴史から、航空機に通じる機能性・合理性優先で、既成概念にとらわれないユニークなメカニズムを特徴とする自動車を多く送り出してきた。特に走行性能に特化した技術志向が強く、四輪駆動車と水平対向エンジンはスバルの技術の特徴となっている。そのため、スバルというブランドをこよなく愛するスバリストと呼ばれる熱心なファンも少なくない。
近年、北米市場で、悪路走破性と衝突安全性の面からスバルの評価が高く、販売台数を急速に伸ばしているが、富士重工業は年間販売台数が100万台未満の国内大手自動車8社中で最小の自動車メーカーで、著しく国内生産比率が高いこともあり[5]、北米市場で恒常的な供給不足が続いている。北米市場における供給不足と技術志向の高性能プレミアムイメージによる車体販売価格の高値推移により、富士重工業の営業利益率は、高級ブランドBMWを超える13%を記録している。2014年には累計国内生産台数が2000万台を突破した。
富士重工業 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/一部引用
「富士重工業」
由来 編集
「スバル」は、プレアデス星団の日本名「昴」(プレアデス星団#名称・神話)に由来する。日本では古くから六連星(むつらぼし)とも言われ、奈良時代の古事記や日本書、平安時代の『枕草子』にも記述を確認できる古語である。
この名称が最初にあらわれたのは、試作コードネーム「P-1」こと「スバル・1500」であった(試作された車両は販売され市中を走ったとされるが、量産・市販は中止)。富士重工業初代社長・北謙治の命名で、富士重工業が旧・中島飛行機系5社を吸収合併するという形で誕生したことから、この6社を「統(す)べる」=「統合する」との意志が込められている。
P-1に続いて設計された、「てんとう虫」の愛称でも知られる大ヒット車「スバル・360」により、「スバル」の名は広く知られることとなった。コーポレートアイデンティティとしても使われているエンブレムの「六連星マーク」も、360が起源である。社内募集案をもとに、同車の基本デザインを担当した社外工業デザイナーの佐々木達三が手を加えたもので、以後何度かのデザイン変更が行われ、途中で実際の星座の配列を無視した形となりながらも、星6つ(大1、小5)の基本モチーフは継承され現在に至っている。[13]
富士重工業の代名詞として「スバル」の名が定着したことから、一時期「スバル株式会社」への社名変更を計画したが、創業50周年の2003年7月15日をもって、従来の社名のカタカナ書きの頭文字に由来する「フ」マークの社章を自動車ブランド・スバルと同じ「六連星」に変更するにとどまった。
プレアデス星団の語源となったプレイアデスは、ギリシャ神話の神である巨人アトラースと精女プレーイオネーとの間に生まれた7姉妹といわれ、長女から順に「マイア、エーレクトラー、ターユゲテー、アルキュオネー、ケライノー、アステロペー、メロペー」と呼ばれている。このうち「マイア」はスバル・450の対北米用の輸出名、および3代目レオーネのスバル発売30周年記念特別仕様車として、「アステロペー」は1987年にスウェーデンのボルボ社と共同開発した観光バスのボルボ・アステローペと2004年にスバルカスタマイズ工房が東京オートサロンへ出品した「レガシィB4・アステローペ」として、「エーレクトラー」は1994年からSTIが発売を始めたアルミホイールの商品名と、2000年に発売されたインプレッサS201 STIバージョンのパイロットモデル名「エレクトラワン(Electra ONE)」として、「ケライノー」は1977年、「ケレーノ」として北米向けに発売したスノーモービルの製品名として、「アルキュオネー」は英語読みの「アルシオーネ」で1985年発売のアルシオーネと、1991年発売のアルシオーネSVXとして、「メロペー」は2009年にスバル用品が販売した天体望遠鏡「SUBARUメローペ80A」[15]に使われている。残りの「ターユゲテー」は現在までのところ富士重工業製品に使用されていない。
一部で谷村新司のヒット曲『昴』について「元々はこの会社のイメージソングであった」とされるが、これは正しくない[16]。富士重工業を意識して製作された歌謡曲は、実際には『我が人生は昴なり』(作詞作曲:石坂まさを、唄:美帆さゆみ)である。作曲家の石坂まさを自身が熱烈なスバルファンであり、「生真面目で人情味あるスバルの姿を唄い上げたもの」と公言している。原作は『我が人生はスバルなり』であったが、発売時には商品イメージを消すためにあえて漢字の「昴」を当てている。
なお、スバルの中国語表記は台湾、中国本土、香港の順に「速霸陸」、「斯巴魯」/「斯巴鲁」、「富士」(拼音: Sùbàlù / Sībālǔ、注音: ㄙㄨˋㄅㄚˋㄌㄨˋ / ㄙㄅㄚㄌㄨˇ、イェール式:Fu3si6)、韓国語表記は「스바루」(文化観光部2000年式:Seubaru、マッキューン=ライシャワー式:Sŭbaru)」である。