Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ぼくのエリ 200歳の少女

2011-01-14 | 映画(は行)

■「ぼくのエリ 200歳の少女/Lat Den Ratte Komma In」(2008年・スウェーデン)

監督=トーマス・アルフレッドソン
主演=カーレ・ヘーデブラント リーナ・レアンデション ペール・ラグナー

 いじめられっ子の少年オスカーは友達もなく、夜な夜なナイフを持っていじめる相手に復讐する姿をシュミレーションする。そんな悩みは誰にも言えない。彼が住むアパートの隣室に家族が真夜中に引っ越してくる。夜の中庭でオスカーは隣室に住む少女エリと出逢う。「友達にはなれない」と冷たく言い放つエリだが、二人はだんだんと親しみをもつようになる。一方、町では不可解な連続殺人事件が起こる。

 この映画をジャンル分けするならばホラーということになるだろう。しかし、吸血鬼映画でありながらこの映画で描かれるのは、孤独な少年少女の心の交流。オスカーの孤独感の見せ方がとても上手い。両親はどうやら離婚していてオスカーは母親と暮らしているのだけれど、学校での出来事にも関心がなさそうで、頬に傷を負った日もさほど心配している様子もない。たまに会う父親とオスカーは楽しく遊ぶのだけれど、友人が来ると父親(実は同性愛者?)はオスカーをそっちのけにしてしまう。学校ではいじめっ子グループに追い回されてトイレに隠れる(いじめっ子の声とトイレの鍵だけを撮るナイスな演出)。そしてオスカーは、部屋でナイフを片手に自分がいじめっ子に言われた台詞を繰り返す・・・。

 そんな孤独な彼に理解を示すエリの存在。エリもまたバンパイヤとして長い年月孤独を当たり前の状況として生きてきた。エリがバンパイヤだと気づいた後も、彼はとまどいながらもその現実を理解しようとする。そして彼女が「ここを去って生き延びるか。とどまって死を迎えるか。」と書いた伝言を見て、オスカーは人に向かい合う勇気を得ることに。そしていじめっ子に反撃・・・。二人が心を通わすきっかけになるのが、一人遊びの玩具であるルービックキューブという小道具の使い方、テレビを話題にして母親との溝を表現するのもナイス。原題は英語ではLet The Right One In(モリッシーの曲が由来だとか)。劇中エリは、オスカーの部屋に入るときに(ときに窓からだったりもするのだが)「”入っていい”と言って」と必ずオスカーに許可を求める。正しき者を中にいれよ。それはオスカーにとっての理解者、エリにとっての理解者。二人が壁越しにモールス信号で会話するところもいいね。

 北欧の寒々とした空気感がふたりぼっちの主人公をひきたたせている気がする。だからハリウッドリメイクすると、どんな軽い映画になってしまうのかがかなり心配。映画のクライマックスで、オスカーに訪れた危機をエリが救う。ここはさりげなく残酷描写だが、それを忘れ去ることができるくらいに画面全体にエリの笑顔が映される。それは数百年を生きてきながら、12歳の気持ちになれたようなそんな笑顔。二人に焦点をしぼっていながらも、伝統的吸血鬼映画のお約束(光を嫌う・咬まれて感染)も忘れていない。ラストシーンはいろんなとらえ方があるようにも思うが、それでも二人が幸福を感じられる未来を祈りたい。そんな気持ちにさせられて好感。

(追記)
 陰部が修正された場面があるけれど、あの修正の裏には実はストーリー上で重要な要素がある(エリの過去に関係する)。映像化にあたって配慮せねばならないだろうし、日本公開では修正せざるを得ない部分かもしれないけど、修正の向こう側に映っているものを知ると映画の見方が変わるかも・・・。興味ある方は原作に挑戦する?。無修正版を探してみる?




コメント (4)
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