■「ラム・ダイアリー/The Rum Diary」(2011年・アメリカ)
監督=ブルース・ロビンソン
主演=ジョニー・デップ アーロン・エッカート マイケル・リスポリ アンバー・ハード
※注意・結末に触れている部分があります
ジョニー・デップの友人だったジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンの自伝的小説の映画化。報道記事というと出来事を客観視して書かれることが一般的に思うが、トンプソン氏のスタイルは一人称を用いた自分の言葉と感覚で語られる手法だった。これまでになかった手法だけに、彼の文章は”常軌を逸した”という意味をもつゴンゾー・ジャーナリズムと評された。ジョニー・デップは私生活でも親しかった彼だけに、この映画の製作にも名を連ねている。かなり個人的な思い入れがある映画だと言えるだろう。
プエルトリコの新聞社に勤めることになった主人公ポール・ケンプ。自称ジャーナリスト、小説家ではあるが、まだこれと言って作品にできたものがない。しかし読者あっての文筆業であるとの信念を強く持っている人物。編集長自ら紙面の内容に満足していなく、数名のプロによって支えられている新聞。星占いや暇つぶし記事しか書かされないラム酒浸りの日々。地元民の貧困をテーマにしようとするが編集長は認めてくれない。そんな折、空港で知り合った実業家サンダーソン氏。ポールは彼から米軍演習場跡地買収をめぐる企みに荷担するように求められる。サンダーソンの恋人である美女シュノーとの出会いも絡んで、彼の運命は次第に大きく動き始める。
この映画にいかにもハリウッド的なエンターテイメントを求めると、おそらく肩すかしを食らうことになるだろう。ストーリーを聞けば、きっとこの悪徳実業家に一泡吹かせてハッピーエンド!というラストを期待するだろうし、僕自身も最後まで観ていてそれを期待していた。しかし、サンダーソンのボートを奪うくらいで復讐劇に転ずる訳でもない。それに映画の半分くらいは酒浸りのどこかお気楽に見える日々の描写。アメリカへと旅立っていく主人公とその後の活躍を示して映画は終わるのだ。エンドクレジットを迎えて、正直なところ僕も「えー!これで終わり?」と思った。
確かにスカッとする映画じゃないが、観ていて不完全燃焼だったかと言えばそんなことはない。原作者のトンプソンが無名時代を経て、世の中の不条理やならず者たちへ立ち向かう心を養った話なんだな・・・と考えると、なんか後からじわーっとくるし、男として物事に立ち向かう勇気みたいなものを教えられた気がするのだ。映画の冒頭で、新聞社に抗議する地元民たちの姿が出てくる。これが記事に対する批判だと思ったポール。しかしそれは新聞作成の機械化を進めたことで解雇された地元民だと知る。美しい海に面した土地は白人によって買い占められて、地元民は近づくことすらできない。「ここはアメリカなんだよ」と地元読者を小馬鹿にする編集者。その挙げ句に突然新聞社も撤退してしまう。身勝手な白人たち。搾取される弱者。こうした現実がトンプソンを育てたのに違いない。ただ、残念なのは映画の焦点がそこに絞られている訳ではないことだ。ジョニー・デップが望んだのは友人の若き日々をスクリーンに綴ること。そして、トンプソン氏のスピリットを漠然でも感じて欲しいというのが、製作まで兼ねたジョニーの気持ちだったのでは。