■「6才のボクが、大人になるまで。/Boyhood」(2014年・アメリカ)
●2014年アカデミー賞 助演女優賞
●2014年ベルリン映画祭 銀熊賞(監督賞)
●2014年ゴールデングローブ賞 作品賞・助演女優賞・監督賞
監督=リチャード・リンクレイター
主演=エラー・コルトレーン パトリシア・アークエット ローレライ・リンクレイター イーサン・ホーク
映画の中で描かれることではなくて、その背景にある出来事や事実で泣かせる映画って世の中にはよくある。例えば実話の映画化では、現実の出来事を宣伝文句以上の"予備知識"として使われることも多い。僕はそれをときどき「ズルい」と感じる。先入観を植え付けられて映画館に行き、映画会社の目論見通りに泣かされる人もいれば、デフォルメされた表現に冷めた反応をする人もいる。"予備知識"の助けがなければ感動できないならば、作り手の力量不足だ。それにあらかじめ筋を知って観るようなものなので、映画に素直に感動できない。伝えられておくべき情報もあれば、そうでない情報もある。それは実話、原作との改変、製作者や出演者の過剰な作品への思い入れ。それらは映画の理解を深める上で役立つこともあれば、邪魔になることもある。
しかしだ。「6才のボクが、おとなになるまで。」に関しては話は別だ。12年の歳月をかけて、同じ役者が同じ人物を演じ続けて撮影された映画だという銀幕の外側の情報を僕らは知っておかなければならない。リチャード・リンクレイター監督はこれまでも「恋人までの距離(ディスタンス)」「ビフォア・サンセット」「ビフォア・ミッドナイト」の3部作を、同じ主演俳優で撮ってきた。そして本作は、12年に渡る1本の物語を、実際に12年の歳月を重ねて描いていく。もし俳優自身に出演が継続できない事態が発生したらどうなっていたのか、と考えてしまう。だが、そんなリスクよりも、俳優自身が重ねていく年月が、映画の登場人物が重ねていく歳月と重なることは、僕らに不思議な感覚を与えてくれる。
映画は本来フィクションであるはず。しかし僕らはこの「6才のボクが大人になるまで。」に、これまで味わったことのない現実味を感じる。映画はその時のスタアの姿を切り取ったものだった。ストーリー上の歳月は、セットやメイクや演技、配役によって描き分けられるものだった。そこで老け方や演じ分ける俳優に納得いかなければ、説得力は大きくダウンするものだった。この映画を完成させるまでの手法によって、描かれる少年の成長と自立への過程を、あたかも観客が彼を見守り続けてきたような感覚をもたせる。製作する側からみれば、気の遠くなるような作業を伴う、とんでもない冒険だと言えるだろう。
そして、観客である僕らは、主人公の成長に、自身自身のこれまでの人生、子供を持つ親世代なら我が子のこれまで(これから)をオーバーラップさせずにはいられない。子供を持つ人ならば、まだ幼い年齢なのか、子育て真っ最中なのか、既に子供が独立しているのか、で感想は大きく異なるだろうし、感動する場面も違うかもしれない。しかしこの映画は様々な立場の人の心に訴える部分がある。大学生となり家を出て行く息子に、これまで言ったことのないキツい言葉を浴びせる母ロザンナ・アークエット。離れて暮らすようになっても子供達を見守り続ける父イーサン・ホーク。ステップファーザーたち。12年の歳月を3時間弱の尺で描ききるだけに、それぞれのエピソードは駆け足になるのは仕方ないが、かといって人生のダイジェスト版を見させられているような物足りなさは感じない。数年後、うちの子供が自立する時分になったらこの映画を改めて観てみたい。きっと今泣けなかった部分に涙するのではないだろか。僕らが生きていく日々、それぞれの瞬間に、人生というドラマは刻まれている。何とはなく過ぎていく毎日がとても愛おしく感じられる映画。