3/23
無事帰国
すぐに自宅に戻り
母の葬儀、法要、帰国あいさつ、
再び上京して健康診断と
あわただしい日々が続きました。
おかげさまで
2/19に急逝した母の葬儀
3/25に無事終えることができました。
この場をお借りして、
亡母葬送に際しまして、
多くのみなさまより
ご厚志を賜り厚く御礼申し上げます。
合掌
3/23
無事帰国
すぐに自宅に戻り
母の葬儀、法要、帰国あいさつ、
再び上京して健康診断と
あわただしい日々が続きました。
おかげさまで
2/19に急逝した母の葬儀
3/25に無事終えることができました。
この場をお借りして、
亡母葬送に際しまして、
多くのみなさまより
ご厚志を賜り厚く御礼申し上げます。
合掌
3/20
40日余りの航海を終え
予定通り
しらせはシドニー港へ入港。
ひさしぶりに見る緑がまぶしく感じられました。
長い間つけていた認識票
〝ドッグタグ”も必要なくなりました。
入港当日の夕方にはしらせ主催の艦上レセプションに参加
日本領事館、地元日本人会、海軍関係者を
招いての艦上レセプションちょっと人酔いしましたが、
新鮮な日本食を楽しむこともできました。
2泊3日という短い期間だったので
観光を楽しむのではなく、
博物館
教会など
シドニーの街歩きを楽しんできました。
帰路に母の訃報が届いたこともあるせいか、教会には不思議と足が向き
誰ももが参加できる”ミサ”にも参列し、大きな協会の大きな空間は不思議と
心が落ち着く感じがした。
昭和基地を離れしばらくすると
時々、オーロラも楽しめ夜は夜で
それなりの楽しみもあり、
また、
長い航海を支えていただいた
砕氷しらせ乗員のアルコール許可日に合わせ
しらせ乗員の方への感謝の気持ちを込め
”地球人会”と称して時々懇親会という別の夜の楽しみもありました!
観測隊隊員は
余った野外行動食を持ち寄り
所属、身分若隔てなく
親交を深めることができました。
最初は、参加者も少なくこじんまりと開いていたのですが
回を重ねるごとに参加者も増えてにぎやかに
おかげさまで、しらせ乗員の大半の方と
顔見知りになることもできました。
たまたま司馬遼太朗の本を
読んでいたわたくしともう一人の隊員が
坂本竜馬がよく使っていた
地球という言葉をもじって
地球人会と称しました。
2/12~3/20
2/12、昭和基地での活動を終え、
シドニー港に着くまで約6000キロ・
約40日間はしらせで生活していました。
一見退屈な日々と思われがちですが、
報告書の作成や諸々の書類作成、画像の整理、
帰国報告会資料作成などなどそれなりに
日々何かしらあるものです。
この何十年、日々時間に追われる生活をしてきた私にとって、
しらせの単調で規則的な生活、、、
考える時間をもてたこと、
分厚い本を読む時間をもてたこと、
落ち着いてDVD鑑賞する時間をもてたこと、
艦上体育
決まった時間にトレーニングができる、
同じ時間に食事ができること、
隊員同士の懇親会、
しらせ乗員の方との懇親会、
ある意味”珠玉の時間”でもありました。
しらせの食事
毎週金曜日はカレーライスの日
9付く日は肉の日・Tボーンステーキとワインを楽しめます!
時々ソフトクリームやクレープ、、、も
正月
節分
恵方巻
しらせ温泉
時節を大切にしながら、単調なしらせ生活を飽きさせないという
しらせ乗員の配慮のおかげと感謝しながら
長い航海を乗り切ることができました!
2/20
砕氷船しらせは、2/14に昭和基地を離れ、
海洋観測を行いながら昭和基地東方にある
アムンゼン湾(海)沖合に停泊して
59次隊最後の野外観測調査活動が行われました。
わたくしも、測地チームのサポート
南極地形図つくりのお手伝い
アムンゼン湾・リーセル・ラルセン山域で最後の野外支援活動、
地球の40億年前の姿がそのまま残されていると言われている場所に
立っている感激をかみしめながら南極大陸での最後の仕事を締めくくりました。
アムンゼン海:探検家ロアール・アムンゼンに因んでノルウェーの探検家
ニルス・ラルセンが探検し、命名した。