もう一度、親友の“U”と山の話がしたかった。
“U”との出会いは、高校2年の秋、「他の高校にも、お前みたいに山の好きな奴がいるから」と友人に紹介されたのがはじまり。それからというもの、二人で毎週のようにテントを背負い蔵王へ、そして、春、冬の蔵王、3月卒業した数日後に湯の台から象潟へ半雪洞でビバークしながら鳥海山越えをしていた。
大学山岳部にいる兄の影響からか山の知識も豊富で山の雑誌の話、ヒマラヤという山を教えてくれたのも“U”だった。二人でネパール語会話集なる手書きの本を密かに取り寄せ読んだこともあった。
私は“U”の影響から山の雑誌を購読するようになり、恩師湯浅道男先生の記事と出会い、そのまま恩師のいる大学を志望、山岳部へ。それ以来30数年、いつも心配してくれていた大切な友人の一人。
そんな“U”が6月のある日入院したから見舞って欲しいと、
案内されたのは集中治療室、人口呼吸器をつけスヤスヤと眠っている“U”がいた。
その後2ヶ月は、山のガイドに明け暮れ、8月15日“U”に会いに行ったときは、彼は小さな木箱に収まっていた。
できることなら、もう一度会いたい、話がしたかった。
安らかに、眠ってください。