映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

アメリカン・ラプソディー

2008年01月15日 | 映画(あ行)

(DVD)

ハンガリーからアメリカへ亡命した家族の、実話を基にしたストーリーです。
米ソの冷戦時代。
ハンガリーでは、自由主義的思想を持つものに対して弾圧が行われており、
この一家は危険を感じてアメリカへ亡命することになったのです。
しかし娘が二人。
下の子はまだ赤ん坊で、とても連れ出すことはできない。
手違いもあり、結局アメリカに着いたのは夫婦と上の娘の3人。
下の娘は、田舎の子供の無い夫婦に預けられました。

米政府の力も借りて、ようやくその子がアメリカの両親の元にやってきたのは6歳の時。
6歳といえばもうすっかり物心もついています。
裕福とはいえないけれど、実に愛情こめて正しく育てられた彼女は、
いきなり言葉も通じない、見知らぬ街へつれてこられ、
「私たちが本当のパパとママだ」といわれても戸惑うばかり。
この、子役の子が飛び切りかわいらしくて、
養父母との別れのシーンなどはつい涙を誘われます。
実父母とはいえ、ひどいことをする・・・、
という風に思えてしまうのですね・・・。
彼女は「本当のおうちに帰るのだ」と、家出を決行。
しかし、近所の公園にたどり着くのが精一杯。
そこで彼女の父親は言うのです。
大人になって、自分で本当に帰りたいと思うのなら帰ってもいいと。
二人の約束です。
このシーンはいいですね。
子供だと思って有無を言わせるのではない。
きちんと向かい合って、一人と一人としての約束をする。

さて時は10年ほど過ぎまして、その子は思春期。
ただでさえ難しい年頃。
幼少の突然の環境の変化が彼女のトラウマとなっていたのでしょうか、
まあ、一昔風の言い方をすると、グレている。
この思春期の少女役がスカーレット・ヨハンソンで、なかなか雰囲気ぴったりです。
夜な夜な、ボーイフレンドとのデートに抜け出す娘を、
母親は部屋に鍵を取り付け、閉じ込めてしまう。
母としては、ハンガリーに心ならずも置き去りにしてしまった負い目を持つために、
異常にこの娘については過干渉となってしまっているのです。
この母娘がついに衝突。
耐え切れない娘は10年前の約束を果たしてほしいと父に申し出るのです。

さて、そこからは彼女のハンガリーへの一人旅。
故国とはいえ、彼女にとってはすでに見知らぬ街なのです。
養父母との感動的な対面。
しかし、何かが違うと、彼女は気がつきます。
やはりそこは彼女の居場所ではない。

私は、先日見た「その名にちなんで」を思い起こしてしまいました。
もちろん全然別のストーリーではあるのですが、
これは同じく、自己のアイデンティティーをテーマにした物語なのだろうと。

アイデンティティー。
人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自我の統一をもっていること。
または、共同体への帰属意識とも言う。
どうも、的確な日本語がないんですよね。
自分がどこから来た何者であるのか、自分の核となるべきもの、そういうことなのではないかと思うのですが。

「その名にちなんで」ではインドとアメリカの間の自分の立ち位置、
この「アメリカン・ラプソディー」ではハンガリーとアメリカの間の自分の立ち位置。
そこが問題となっている。
私はこれはどちらが答えということは無いのだろうと思います。
つまり、自分の中でどう認識し、納得するか、そういうことなのでしょう。
そうでなければ、孤児とか記憶喪失者は、アイデンティティーが確立できなくなってしまう。
(そうそう、あの、「ボーン・アイデンティティー」も、失われたアイデンティティーを求めるストーリーでしたね。)
その認識にかかわるのは、実際に生まれた場所ではなくて、
長く暮らした家族や、周りの人々の思い、
そういうことなのだと思います。

そして、本当の物語はそこからスタートするのです。

2001年/アメリカ/108分
監督:エヴァ・カルドス
出演:ナスターシャ・キンスキー、スカーレット・ヨハンソン、ラファエラ・バンサギ、トニー・ゴールドウィン