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ギルバート・グレイプ 角川エンタテインメント このアイテムの詳細を見る |
さてやっと、自称ラッセハルストレムシリーズも、とりあえずは終盤です。
この作品は、もう何年も前ですが、映画館で珍しく「ラッセ・ハルストレム特集」という企画を組んでいて、
当時「サイダーハウス・ルール」でこの監督に興味を持った私が、
何の予備知識も持たずに見た作品なのです。
するとなんと、主演がジョニー・デップだし、弟役の知的障害の少年がレオナルド・ディカプリオ。
思わずのけぞってしまいますよね。
私はジョニデ作品では実はこれが一番好きだったりします。
ナイーブで一番普通の青年っぽいところが。
そしてまた、これはラッセ・ハルストレム作品で多い家族・家というテーマが、
最もそのものズバリと、あらわされている作品でもあります。
アイオワ州のエンドーラという寂れた田舎町。
24歳ギルバートはこの町の食料品店で働いています。
退屈なこの町には実はうんざりしているけれども、彼は町を出ることができない。
というのは、父親は17年前に自殺して亡くなっており、
知的障害のある弟アーニーの世話が必要。
そして母は父が亡くなったときのストレスから過食となり、
今では立って歩くこともやっとなくらいに肥満し、ほとんど外に出ることもできない。
妹二人もいますが、彼はこの一家の生活を支えるため家を出ることができない。
そんなところへ、トレーラーで旅をしているベッキーと出会います。
ほんの通過点のはずのこの町に、車の故障のためしばらくの間滞在することになった。
家族を愛し、大切にしているギルバートではありますが、
一方では自分を縛り付けている楔のようにも感じている。
その対極として、身軽に自由に旅そのものを生活としているベッキーがあるわけです。
次第に心引かれていく二人。
けれどやはり町は出られない・・・、
そんな苛立ちのために、初めて弟を殴りつけてしまうギルバート。
ラストにはまた、意外な展開があるのですが、
結局、このストーリーでは、母親=家=家族という構造なのだと思います。
家から出ない母親、土台が腐りかけている古い家。
そして、最後は母親の死=家の消失へとつながっていきます。
そこで、解き放たれるギルバート。
でも、家族や家が重荷だから、捨ててしまう、そういう話でははないのです。
過去から引きずってきたその関係が、今消失した、
というだけで、次に新しい家や家族ができていく。
これはそういう別の再生の物語ということなのでしょう。
このたび、改めてみて思いましたが、
レオナルド・ディカプリオの演技に目を見張ります。
たまにみかけますね。こういう子。
私は特別ファンではありませんが、ちょっとレオ様を見直しました。
結局、「ギルバート・グレイプ」は単に主人公の名前なのですが、
この映画のことを知らない人に教えるのが難しい。
一度言ったくらいでは全く覚えてもらえません。
こういう点で、ちょっと損してますね。この映画。
1993年/アメリカ/117分
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ジョニー・デップ、ジュリエット・ルイス、メアリー・スティンバージェン、レオナルド・ディカプリオ