ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

いよいよ仕上げの架け替えだ!

2020-10-08 11:12:33 | 米つくり

 天空米ってのが人気だってねぇ。スキー場のリフト使って乾燥させた米だって。魚沼産コシヒカリで10キロ2万円だってさ。まぁね、米が高く売れるってのは悪いことじゃないが、リフトで乾燥!なんてのが付加価値になるってのは、世の中そこまでアホになったか!って呆れた先で腹立つよな。そんなの米の価値じゃねぇだろ!ってね。季節外れにリフト乗せてふわふわしてんじゃねえよ。もっと地に足着けて暮らせよってことだ。

 世の中、こんな物語商法、はったり商売がはびこってるよな。正月のサクランボとか、初物メロンとか、最優秀賞受賞とかがべら棒な値段で取引されている。だれが買うって言うんだい。農産物はステータスじゃないからね。庶民が日々の食卓に乗せられて、なおかつ生産者が元取れる価格で流通するのが基本だぜ。金持ちの気まぐれ自己満足に付き合ってちゃわかんね(ダメだ)!

 天空米って言ったって、要は天日乾燥ってことだろ。スキー場の大気に米を清浄化したり風味を上げる気が含まれてるわけじゃない。我が家の天日乾燥とどこも違わない。いやいや、リフト乗せるよりたっぷり手間暇かかってるから、こっちは。リフトでかかるのは運転の油代だけだろう。こっちは3回もかけ返してしてるんだからな。商品ってものの価値は、そこに投入された労働力で決まる、って経済学の基本からすりゃ、こっちの米の方が価値は高いんだ。まして、向こうは農薬化学肥料の機械化栽培に対して、こちとら完全無農薬・無化学肥料の除草機栽培だ。正しく比較すれば、段ちだぜ。まっ、世の中のとち狂いを今さらあげつらっても仕方ないけどな。も少し真っ当に人や労働を評価する社会になれよってだけは言っておこうか。

 八つ当たりはこれくらい。我が家の米つくりもいよいよ最終段階に来た。最後の架け替えだ。これまでと違うのは、米粒を乾燥させるのじゃなくて、稲わらを乾かすことが目的だ。脱穀したあと、畜産農家に渡せるようにね。刈り取りから2週間、たっぷり日を浴びて乾ききった穂を中に入れ、茎を外側に出すように架け替える。2回目と違って、稲束についた曲がり癖に逆らう必要がない分、作業はずっと楽だ。ずり落ちたりすることなく、ぱっぱか進めることができる。ほら、見た目からして、違うだろ。この奥の方、傘をすぼめたような姿になれば、いよいよ、稲こきの準備が整ったって合図だ。

 簡単とは言え、3っつの田んぼ50本近い杭のイネを右から左へと移動させる。楽じゃぁないよな。時間を計ってみたら、最速ペースで15分で5本、つまり、杭1本3分の所要時間だった。単純計算なら2時間半だが、移動とかも含め3時間以上かかってようやく終わった。うーん、不自然な中腰姿勢と1杭24回の肩の上げ下げ、明日に持ち越さなけりゃいいがなぁ。残るはあとコシヒカリの1反部、こいつは、次の晴天を待とう。

 売るつもりで作ってる米じゃないから、捧げた重労働を評価してくれ、なんて言わない。ただ、上辺のお飾りや物語に騙されず、きっちり物事の本質を認める世の中に近づいて欲しいってだけだぜ。

コメント
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