自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

致命的病気・死について

2015年01月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 余命宣告を受けたプロサーファーの肯定的変換       2015・1・22

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医学博士長堀優(ゆたか)氏の言葉はとても胸に響く。

今日は、氏の著書から”癌の現場”を”どのように

見つめるか” という点をご紹介させて

いただきたい。

著書(*1)の第六章は”がんの医療を考える”

というタイトルだ。

そこからのご紹介から始めたい:

”世界的プロサーファーである飯島夏樹氏は

日本で唯一8年間ワールドカップに出場し

世界戦や国内大会で多くの優勝、

入賞経験を重ねました”

と出だしにある。

 

その飯島氏は2002年5月に肝臓がんの

宣告を受ける。その時

”飯島氏はそれまでの華麗な経歴との

あまりの落差からとことん打ちのめされ、

重度の鬱病とパニック障害に陥りました。

しかし、家族や友人の支えでなんとか

乗り越え、その後の二度の大手術

耐え抜きますが、癌はどんどん悪化”

 

ついに、2004年5月余命宣告を受けるのだ。

このとき、’自分は生かされている’と

体感した飯島氏”はその後、プロサーファー

としてより、執筆活動に 生きがいを

見出すようになった。

 

”自分の天職はアスリートではなく、

ものを書くこと”と語り、書きながら

いかに、致命的な病気と折り合うか、

どのように人生を充実させるか”いう

命題にたちむかっていったという。

 

そうして書かれた、飯島氏の著作 

癌に生かされて”にはその様子が

十分に描かれている。

”生きるのに時があり、死ぬのに

時がある。”

”どの人も怒りの人になっている。。

怒りの人の行きつく先には希望はない。

”最終的にたどり着くべきなのは

受け入れること。”と語り、その心境は

周りの人にも影響を与える。

 

”心の問題は,こんなに人の命を左右

するものなのかしら”(奥様の言葉から)

”医者があれこれいじくったところで

うまくいかないこともある。”

(主治医の言葉から)

 

飯島氏の癌との生活に対する根本

の気持ちが次の言葉に現れている。

”どうしたら素晴らしい、愉快なこと

が楽しめるかを問う代わりに、

今どんな良いことを為し得るか

尋ねよう。

善をおこなう機会さえあれば、

あなたの生活、健康がどうで

あろうと、そんなことはこれまで

よりずっとどうでも良くなるのだ”

 

ここで、飯島氏を自著にとりあげた、

長堀医師は次のように感想を

述べている:

”彼が最後に選んだハワイでの療養生活

はまさに心を元気にする療法です。

日本にいながら、このような医療を

受けられたら、と切に願います。

このような患者さんの思いを支える

ことこそが、求められる医療

在り方ではないでしょうか・・”

 

もう一つの”癌と真摯に向かい合った

”実例を、長堀医師は挙げている。

それは映画やテレビでもドラマ化

されるほど有名な実話を著書に

まとめた井村和清医師の体験だ。

”飛鳥へ、そして、まだ見ぬ子へ”と

タイトルがつけられたこの本を

ご存知の方も多いだろう。

30年以上前に出版された。

 

その内容は テレビやメディアで

取り上げたので、多くの方の

ご記憶にあるかもしれない。

30歳にならないうちに、骨肉種に

侵された井村医師は片足切断を

余儀なくされる。

松葉づえで現場に向かう井村医師、

その後、癌は肺に転移して、

一人娘の飛鳥ちゃんが寂しく

ないようにと 弟妹を残したい

という愛念を持つ。

 

抗癌剤を使用しながらの治療を

受けつつも、新しい生命が妻に

宿り、このわが子の顔を見る

までは死にたくないと強い意思で

癌と立ち向かいつつ,その願いが

かなわないまま、あの世に旅立

ったのだ。

 

当時は癌と闘うという姿を公に

示すこともあまりなかったの

だろう。

癌は不治の病という定説が強く、

世間に同情を求めるような結果

は誰も欲していなかったに

違いない。

たぶん、この井村医師の赤裸々

な自己体験、癌に対しての自ら

の思いと極限までの戦いを

綴った内容はそういう意味で

大きな衝撃であり、感動を

もたらすものであったのだろう。

 

だからこそ、井村医師の体験から、

数十年後に書かれた飯田氏の

癌闘病記’癌に生かされて’

比較して長堀医師は

次のように感慨を述べている:

 

”お二人を受け入れる社会の情勢

が大きく異なります。

井村医師は悩みを真剣に聞き

入れてくれる人もなく、周りの

医師たちも遠巻きに傍観すると

いう感じでしかありません

でした。

奥様の支えはあったでしょうが、

井村医師はほぼ一人で病気に

挑んで行ったと言えます。

一方、飯島氏の場合、主治医、

スタッフの心持ちや、ホスピス

などの設備を含め、闘病生活

を支える周りの環境がソフト面、

ハード面、ともに格段に向上

しています。

 

癌を取り巻く環境が大きく

進化したといえるでしょう。

社会が死を真剣に見つめ始めて

いるとも考えられます。

全ての人が癌にかかるわけでは

ないですが、死は等しくすべて

の人に訪れます。 

ですから死を考えることは、

誰にとっても大切なことなのです。”

としたうえで

”’がん闘病記’も数多くベストセラー

になり、さまざまなメディアの

が社会の考え方に大きく影響を

与えたと言えるでしょう。

医学の世界でも、精神科医 

エリザベス・キュプラー・ロス

博士の著書’死ぬ瞬間’シリーズを

はじめとして、死に向かう

患者さんたちの心の動きが

詳細に分析されるようになり、

ターミナルケアの在り方に

大きな変化が起こってきました”

 

飯田史彦氏や、ムーア博士など、

死後の世界 などの、臨死体験

基にした体験記や報告書が 

医師や大学教授などの医療の

専門家や病理学の有識者から 

その後、研究され発表される

機会があったことも癌に対する

観方への 社会的背景に影響

を与えているだろう。

 

つまり、死ということ、今までの

医学界で難治の病とされてきた

癌と死について語ることが 

忌み嫌う”風潮であった井村医師

の時代から比べればこれからは、

死は逝く人にとっても、

残される人にとっても色々な意味で、

”再出発”であるという、受け入れ方が” 

一般的になっていくのかもしれない。

 

死は誰にでも来る。いつ来るか、

突然くるか、明日来るか?

だからこそ、生きているからこそ、

”生かされている今”を精一杯受け

入れながら最善を尽くす”

積み重ねしかないのだと思う。

 

意識を持って~ 常に死をみつめて~ 

それが生きることの意味の裏返しの

気がする。

癌の余命宣告を受けていなくてもいても

・・・難病に立ち向かっていても

いなくても・・なぜなら、

人は誰も知らない”余命”の間だけ

生きられる~ということだけは 

今、致命的病気を持った人でも

健康な人でも共通した事実

なのだから。

 

 *1~”見えない世界の科学が医療を変えるー

がんの神様有難う”、2013、星雲社 

 

ワハハ体操: 笑いながら 癌闘病の中 

最後の日を受け入れた 在りし日の吉田氏

 

 

 

 

 

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