自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

”AUM”と”ナム・阿弥陀仏”

2015年03月06日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

AUMの言霊の意味 2015・3・6

********************************

 

オーム真理教の裁判のニュースは いまだに、時々マスコミで聞かれる。

多くの人達の心の中にはサリン事件や教団にかかわる理不尽な思いは

解決していない。


一方、この教団の名前のもとになっている、”オーム+真理”の合成語である

オーム真理教 という呼び方に違和感を感じる人達がいるのも確かだ。

インドのガンジス河の流れる岸部に隣接したアシュラム(精神道場)を昨年

訪れたときも、この教団の話題がインド人のスタッフから出た。


甚だ、遺憾なことだ~という想いは、昨今のイスラム国のテロに眉を

ひそめる敬虔なモスリム信者たちの反応と変わらないような気がする。

オームという聖音は、ヒンズー教教徒にとっては、神を代弁する言霊
であるから、日本で、この名前を語る宗教集団が起こしたテロ事件には
とても敏感に反応した。

私は当時 在インド生活を送っていたが、オームとか、グル などという

言葉を聞くだけでも、日本では周囲が引いてしまう時期が、この事件の

影響で、暫く続いていたとある新聞記者から聞いた。

 

さて、オームという言葉は、私たちが知らずに唱えている仏教の

真言(しんごん)にも組み込まれているほど、そして、世界中の宗教に

共通な聖なる音と認識されている。


”A、U、M”、の三つの音から成り立つ。

紀元前4万年前にはすでに記されていたといわれる太古の聖典、

ヴェーダの根本的哲学的教えは、”AUM”の聖なる音に凝縮されると

大師たちはいう。

 

Bhagavat Gita(ギータ)の813節ではオームの言葉の記述がある:


Uttering the monosyllable AUM, 

The eternal World of Brahman, 

One who depart leaving the body (at death) 

attains the superior goal”

須田訳:オウムという言葉は、ブラフマの造った永遠なる世界、

最終の目的へと((死によって))肉体を脱いだら行きつくところ)


としたうえで、クリシュナ神はアルジュナに次のように教える:

I am the father of this universe, the mother, 

the support and the grandsire. 

I am the object of knowledge, the purifier and 

the syllable AUM.I am also the Rig, 

the Sama and the Yajur Vedas.”

 

須田訳:私(クリシュナのこと)はこの宇宙の父であり、母であり、

宇宙を支えているものだ。

私は智慧の対象(つまり、智慧者)であり、AUMの言葉の純粋な

象徴であり、リグヴェーダ、サマヴェーダ、ヤジュルベーダ

に書かれている真理そのものである。

 

”AUM” という言葉や、ヴェーダ聖典を、ヒンズー教に限られた

ものと誤解している人は多い。

ヴェーダンダ(ヴェーダの最終章で、ヴェーダ哲学のエッセンスが要約

された章)を読むと、すべての宗教の大元である神(宇宙意思)の

存在、人は神の子として、父なる神から完全性を与えられていること、

そしてその完全性こそが、実存するものであること、それ以外の事象や

は 自由意思を与えられた人間の五感感覚機能が、妄想が生み出し

展開していること、などを説いている。


言い換えれば ヴェーダ哲学は、一元論に貫かれ、

”神という完全体”なる”宇宙意識”のみが存在して、この無常なる

現象世界は、ある意味、神のお遊びで(どのように、ヒトが本来の

神性を体現していくか、見たいという)ある。


サンスクリット語では、肉体次元の人生劇は、”リーラ”と呼ばれ、

夢幻(マーヤー)に満ちた、ダイナミックな”神の演出”する”舞台劇”

ということになる。


そして、それに気がつくこと、つまり、自分自身が五感感覚

(マーヤーを生み出すもと)に捉われなくなったとき、本当の

神の意思としてつくられた”自分”が見つかり、そのとき、津波も静かな

大海原に還元するように、人の心に平安と祝福で至福に包まれると説く。


キリストさまも、お釈迦様も、この真理を聖書や御経で解いておられる。

さて、話を元に戻すと、その宇宙創造の神の第一声が”AUM”といわれる。


私たちが、祈りの最初、もしくは最後に、唱える言霊(ことだま)の締め

には無意識に、オームを唱えているのをご存じだろうか?

キリスト教では AuMEN,

イスラム教では AuMIN、

小乗仏教、チベット仏教では HUM、

大乗仏教として漢字の音読の当て字で  ”南無(なあむ)”または、

(南無 妙法蓮華経~ナンミョウホウレンゲキョウ、或いは 

南無 阿弥陀仏 ~ ナムアミダブツ)


すべてAuMの(アム)の聖なる音が含まれている。

それではAUMの意味は具体的に何を指しているのだろう?


”Breath of Sai ”(*1)によると、

These three syllables represent the waking, 

dreaming and sleeping stages and also a fourth stage 

that is beyond these three. 

It represents also the flowering of one's individuality 

into a fruit and filling itself with sweet juice out of 

its own inner essence, and then the final release 

of the fruit from the tree.”

須田訳:このAUMの三つの音の意味は、覚醒、夢、眠りの

三つの段階の他にある、四つ目の段階、を示す。 

また、個性が開花して実がなり、各自の本質から出る甘い果汁に

満ちた状態、そして、最後には、その木から実が落ちるように、

べてから自由にな状態を指す。)

 

The entire Universe is vibrant with the sound of AUM. 

It is wrong to imagine that sound does not exist because we cannot hear it. 

Sound is a concomitant of all vibrations. Our hearing is not sensitive enough

 to register the subtle sounds produced by subtle vibrations. 

All movement is accompanied by vibrations 

and all vibrations are accompanied by sound.”

須田訳:全宇宙にはオウムの波動で満ち満ちている。

この音が聞こえないからと言って、存在しないと思うのは誤りだ。

この音はすべての存在の波動の中に生きていて、われわれの聴覚では

きわめて繊細な音であるため、キャッチできないだけなのだ。 


すべての動きには波動が伴う。そしてすべての波動にはオウムの

音が伴っているのだ。)

さらに

The Chandogya Upanishad(1.1.1-1)の記述には次のようにある:

 OM  ity etad akaram udgitam upasita.

 OM ity hy udgayati

Taxyopavykkyanam (サンスクリット音読み)

意味は

須田訳 OMのシラブルを唱えることによって、すべての本質の

最高の段階、最も高い段階、に到達して、最も高い心境に留まる。”

 

オウムと唱え続ける修行のことをOmkara(オームカーラ)と呼ぶが、

こうした行は太古から行われ、その言霊の波動によって、神や

宇宙の意思の波動と結びつくことを意図としていた。


今でもこの行法は受け継がれ、ヨガ修行中では静寂の中、この聖なる

音が聞こえてくることも稀ではなく、瞑想していると、実際に心身清浄

を超えた宇宙の波動と一致する心境と感動をもたらされることがある。

 

 

 

 

 

 *1)(Grace J. McMartin, Sathya Sai Books & Publications trust)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする