自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

イスラムと愛 

2015年03月15日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

形而上的癒しの根源~イスラム教から(1)   2015・3・15

************************

前書き)

30代の初めからインド生活においてのほとんどの期間、私はイスラム

教に入信していた。

(あるきっかけがあり、イスラムの宗教的行事に参加することはなく

なった。)

その間、メッカに行き、ラマダンには、断食をし、5回の祈りを捧げ

ていた。

数年かけて 中東に各地に残されたイスラム教の五大聖地といわれる

場所(モスク)にはイスラエル・シリアを含め巡礼をした。

 

こうして、キリスト教、仏教、神道、ヒンズー教など様々な宗教の門

をたたいてみたが結局 どのような宗教も、一つの心の宗教、に帰一

するのだということを学びから得た現在だ。 

 

イスラム教はヒンズー教同様、国内にいてはなかなか理解できない

のかもしれない。

外地でよりその真髄を体感出来うる宗教のひとつかもしれない。

イスラム教の愛、倫理、人生哲学、智慧、信仰と運命などを

これから数回に分けて簡単だがお伝えしたい。

そして、最期に 自然治癒力との関連に触れられればと思う。

**********************************************

 

今年に入って、イスラム国の日本人 人質問題で日本にあるモスク

からその解放を求めて祈りがささげられていた。

イスラム教はテロ組織の行動を容認するものではないというメッセージ

も同時に発信された。

 

私は過去、イスラム教に入信して10年以上 イスラムの心を学ぶ機会

を得た。

インドのイスラム教はス―フィー派が多くその割合を占めている。

もともとは、トルコに端を発するが、トルコの中世のイスラムの

スーフィー派 で特に有名な聖人、メヴァラーナの教えをとりあげて

みたい。

 

彼は 愛がすべての徳のうちもっとも上位を占めると考えていた。

何事をなすのにも、まず、愛が前提になっているかどうかを自ら

問いたという。

ムハンマド(モハメッド)の伝承的言葉(ハディース)の中に

“お前がいなくて、どうして、私が天空を創造しただろう” 

という言葉がある。

 

お前とは、ムハンマドのことであるといわれる。

が、もっと、拡張して考えれば、神の資質を持って生まれた人間の

すべてに個々に語りかけている言葉ともとれるだろう。

神はこうして、他者、自分の資質を受け継ぐ人間の為に、天空を創造

した。

 

イスラムではだから、神の創造の動機は  であると説く。

愛に基づき、天地は創造され、それを統括する責任者として、人間が

造られた。

神の愛は創造のはじめの初めに存在しているからこそ、我々人間も

のある生活を送る意味と意義があるとされる。

 

私は以前、イエルサレムの黄金の寺院に黒いアバヤを着て、一人で

巡礼に出かけたことがある。

道すがら、要所にはイスラエル兵士達が立ちはだかっていた。

門前につくと、警備の兵士が銃をもって筆者の道を遮った。

 

ここから先は 信者以外立ち入り禁止だ。 パスポートを見せなさい。”

しかし、パスポートには日本人としての、戸籍の名前そのままが

載っていた。それを見た兵士の一人が、私に踵を返して、立ち去るよう

要求した。

”日本人で、しかも、モスリム名もなく、さあ、帰りなさい。”

 

その時、一人のイマーム(イスラム教の聖職者)が現れた。

状況を知ると、その兵士の前で、私にクルアーンの中の言葉を唱える

よう促した。

そこで、私は、必ず信者なら祈りに唱える言葉を何節か暗唱した。

それによって、私がイスラム信者であることを納得したイマームは

兵士に説明を加えると、手招きして、その黄金の寺院の門戸内に入る

ことを赦してくれた


そこには ムハンマドが昇天した場所とされる一画があった。

クルアーン17章の見出しの名前にもなっている、ミウラージュ

いわれる神秘体験が行われた場所でもある、聖なる領域だった。

 

ミウラージュとは夜の旅を意味する。

預言者ムハンマドは ある時、メッカからイエルサレムに幽体離脱

した。そして、第七層の天空の世界へと昇った。

その時 ムハンマドが乗った馬は天馬ブラークと呼ばれ、この旅の

案内役が天使ガブリエルであり、最も高い天空の層、いわゆるスイドラ

までガブリエルは、ムハンマドをいざなった。


その時天使ガブリエルは言う。

 “この先に行けば私は焼け焦げてしまいます。”

そこで、ムハンマドは一人でその先へ一人で進み、神の領域の世界へ

入っていった。

この物語は、イスラムスーフィー派では 象徴的な意味として解釈

される。

預言者の騎乗した天馬ブラークは 人の内側に秘められている

愛の翼”であるという。

天使ガブリエルはクルアーン(イスラム教聖典)の中ではジブリール

と呼ばれ、キリスト教で聖母マリアにイエス受胎を告知した天使と

しても知られる。

さらに 預言者ムハンマドに、イスラム教の聖典となる、クルアーンの

啓示を伝えた天使とされている。                            


一方スーフィー派にとって、この物語における 天使 ガブリエルは。

一つの象徴的意味に解釈されている。

それは、人間の持つ、創造力、智恵、の象徴であり、預言者は 愛の

象徴として描かれているという。


だから、メヴァラーナは次のように詠う。

 “人間の理解しえることのみを 頼みの杖としたときは理性と知性は

瞬く間に 使い物にならなくなるだろう。

それらはガブリエルがそうしたように、こうささやくのだ。

もうこれ以上は無理だ、

私は燃えつけてしまう。

私を置いて、先に進むが良い。私はこれが限界だ。

おお、魂の王よ!“ {メスネヴィー 1巻1112-4}

 

ムハンマドは愛の象徴だ。

彼は弱音を吐く、知性と理性の象徴、ガブリエルを置いて、一人で

更なる先の段階に進んでいった。

愛に満ちた心、それこそが、神へと引き寄せられる術であると

メヴァラーナは考えた。

高尚だろうと、欲望の勝った愛であろうと、とにかく愛は昇華して、

いつか必ず、純粋な愛へと高揚する性質をもっているものなのだ。

 

最後の純粋な愛、それは 自意識を消耗しつくした愛であるのだろう。

メヴァラーナはそれを、

本来そうあるべき姿であり、ゆえに美しく貴重である”と詠い、

【“メスネヴィー 1巻―1853】

そうした愛を自己の中から掘り出すことが大切とした。

 

天使ガブリエルに象徴される知性や理性では神には、近づきえない。

神について知ることはできても、最後の歩みを進めること、つまり、

神を至近距離で感じることはできないということなのだろう。

 

だから、メヴァラーナの次の詩がそれを補う;

“神と人間との間を分かつものを海に例えるのならば、知性とは水泳の

達人のようなもの。

愛とは海を走る帆掛け舟。

海の中を泳ぎまわり、つかの間の楽しみを得ても、長続きはしない。

泳ぎ手はいつか疲れ果てて 海の底深く溺れて沈むだろう。

航海を成功させた人達は、帆掛け舟の乗船客だけだ。“

 

愛の重要性はここで言われ、その根本には当然のこととして神への

厚い信仰がある。

 

ハディースに寄れば ムハンマドは次のようにも語っている;

“神がアブーバグルを、誰よりも優れたものと定められたのは、彼の心

にある強い信仰(イーマーン)によるものであり、彼の斎戒や喜捨と

いった行為がその理由ではない“

ここで言う愛とはm無我の愛、神への愛、それが信仰の強さに繋がり、

神へ近づくための、唯一の行為である、とムハンマドは言う。

 

礼拝や断食など、イスラム教で定められた戒律をすべて守っても、

この信仰の強さを抜きにしては、意味がないということでもある。

愛は言葉で説明できない。

神との交流も然り。

甘い果実の蜜にも似て、味わったことがなければ、その価値を知ること

ができない。

 

メヴァラーナは繰り返し詩篇で詠う。

“愛【神】を知り、探し、愛そのものに(神そのものになる)・・・

’なる’という最後のスパイスは、愛にいよってのみなしえるのだ”と。

 

次の簡単なフレーズにその心を知る。

“問うた、: 愛とは何か? 応えた; 知りたくば愛せ“

 

 

参考;“JALAL AL-DIN AL RUMI’  A Muslim Saint, Mystic and Poet 

Original title; Mevlana Celaleddin Rumi

Written by Prof.Dr.Emine Yeniterzi

Translated to English by Prof.Dr.A.Bulent Baloglu

日本語版 神秘と詩の思想家 メヴァラーナ 

トルコ・イスラームの心と愛

2006年 丸善プラネット株式会社 訳 西田今日子

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする