ギータの隠された意義と目的 2016・7/1
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アルジュナのチャリオットに乗ったクリシュナ
との対話形式で綴られたギータに
まだ足を一歩踏み出したばかりだが
今日は、アルジュナの兄弟たち、つまり、
パンドヴァ兄弟の象徴するものを
考えてみたい、
パンドヴァ5兄弟は、サハデヴァ、ナクラ、
アルジュナ、ビーマ、ユディスティラの5人だ。
それぞれ、固有の特質を持っている。
例えば、サハデヴァは、Damaという特質を持つ。
この特質によって、悪から己れを遠ざけることが
できる。
絶えず揺れ動く感覚器官の刺激と その感情を
制御することに長けている。
ナクラは Sama, と言われる特質を持つ。
心の統制により、集中力を高め、エネルギーを
取り入れることができる。
アルジュナはmanipura チャクラの場所、
肺の中央に在る“火の要素”に呼応している。
(以前のブログ参照*1)
自己制御にたけて感情に流されがちな弱い心
に打ち勝つことができるとされる。
心身の浄化が促進され、深い瞑想を可能に
する資質である。
この火の要素は、自己制御力とともに、
霊的促進には不可欠で、この要素を
兼ね備えたアルジュナは クリシュナ神を
御者に自らの軍馬車に同席すると
いう光栄に浴した。
戦場を走り回り、その間、バカヴァッド・ギータ
の物語を構成する、
クリシュナ神の対話の相手に、アルジュナの
自己制御、忍耐、決断の力をもってして、
クリシュナ神の信者の代表として選ばれた。
ビーマは、ヴァイタリティ―と生命力、
プラナ[生命力]をコントロールする人として
描かれる。
深く 静かな、正しい呼吸法を知っている彼は、
怒り、強欲、セックス欲などの情熱の虜に
なることなく、聖なる愛に満ちている人物
として描かれる。
ユディスティラは、創造的な波動と聖なる
静けさを持つ人として登場する。
彼は、5人兄弟の仲で、最も、年長である。
ここで創造的というのは、真理の創造だ。
直観的な想像力を、真理が具現化するまで
持ち続ける資質を持っている。
バカヴァッド・ギータの中で、この5人の兄弟に
直接アドヴァイスを与え、サポートする
クリシュナ神は、ヤダヴ一族王家の血筋を
ひく人物であり、宇宙的意識を持つ
kutasthaと呼ばれる聖霊的存在として、
この世に誕生した。
この宇宙的意識は、所謂、神の意識とも
古今東西で言われてきたもので、
この意識が 私たちの肉体の隅々にまで浸透して、
生命力として、生きている身体の活力源と
なっている~
と インドの聖者たちは考える。
聖者Patanjali は 以前にも書いたように
ヨガ大聖典(Yoga Sutras)の著者でもある。
この聖者自身、バカバッド・ギータについて、
”神自身が自己の資質と迷える子供たち(人間)と
を結び付け、一つにするために、書かれたものだ”
と言っている。
科学、特に物理量子学とヨガは究極なる法則、
あるいは、
真理に向かってあざなえる縄のようだ。
科学者は物質の現象的事実を実験によって
構築しながら、奥にある原因をつきとめようとする。
一方、ヨガの法則によって生きるヨギ達は、
まず、因果や原因の”因”を定義したうえで、
現象世界に起こる事柄を解明しようとする。
二つのアプローチは正反対ともいえる一方、
そのゴールは一つともいえる。
つまり、科学的思考と真理的洞察思考は
同じ目的地を持つと仮定しても、目的地から
たどって道を見つける科学的方法と、目的地に
着きそうな道を探していくヨガ的方法と対比
できるだろう。
さらに、SRF(アメリカ)を創立した、
ヨガナンダ師は、メタフィジカルな
解釈ではあるが、この戦いの物語は、実は、
私たちの中にある、物質的な要素
と、霊的要素との闘いを比喩したものだとする。
そして、自己の本質が出現するために、
自己の弱い性質に打ち勝つために、
何が必要なのか?
その答えが、5人のパンダヴァ兄弟に象徴されて
いるともいう。
パンダヴァ兄弟の Panduという言霊は、
buddhi[ブッディ) すなわち純粋な智慧を意味する。
自己実現のために、ブッディを使いこなし、
本質を顕現する~それが、
ヴァカバッド・ギータの物語に秘められた意味
でもある。
*1 | 2012-12-02 |