言葉は魔法 2016・7・15
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前回の続きから=
森に入ると、死の覚悟ができたハリーは
それまで 手にしていた
“命の再生”と書かれたの小さな入れ物を
こじ開けた。
中から小さな虫のようなものが出てきた。
それが彼の体につくと、突如、亡くなった
母親や父親、など数人が
彼を取り囲んでいるのが見えた。
その取り込みの中から、ハリーの母は
懐かしそうにハリーを見て言う。
“いつも私たちはあなたの傍にいたわ。”
ハリーは尋ねる。
“死ぬときはつらいの? 苦しいの?”
守護霊のひとりが答える。
“眠りに入る瞬間より短いよ。”
ハリーはこうした力強い、母を含む、守護霊たちに
懇願する。
“(これから死のうとする)ぼくの傍にいてね。”
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その続き~
森の奥には黒の世界の首領と家来たちが
今か今かとハリーを待ち構えている。
ハリーが現れた。
ハリーが一人に対し、悪魔の仲間たちが大勢
見守る中、首領との闘いはアッと言う間に
終わったかのようだった。
ハリーは首領の放つ、魔法の矢の閃光に
撃たれて死んだように体を横たえた。
しかし、その実、彼の魂は天上に上っていた。
瞬間のうちに、たぶん、臨死体験をしていたのだろう。
天上をさまよう、ハリーの眼前に、尊敬する、
すでに亡くなっている長老の師が現れる。
師はハリーの勇敢さを称え、状況を説明しようとするが、
ハリーはなかなか合点がいかない。
“先生、今、お話ししていることや起きている
ことは、自分の頭の中で造ったものなのですか?
それとも、本当に現実のこととして起こって
いるのですか?”
師は答える。
“そりゃあ、もちろん、ハリー、お前の頭の中で
起きていることだよ。”
そして意味ありげに付け加えた。
“だが、それが現実ではないとは言えないがな・・”
“先生、だとしたら、私は戻らなければならない。
あの大蛇も生きている。あの首領を倒していない。
みんなのために戻らなければ。”
その時、小さな醜い赤子で瀕死の形相で苦しそうに、
うごめいている得体の知れない知らない生き物が
ハリーの眼に入った。
“あれは先生、なんですか?” と聞くハリーに
“あれだけは、我々も助けてあげることはできない”
と先生は答えた。
その得体のしれない、その赤子の姿こそ、実は、
悪魔の首領の一部であった。
母親を殺そうと戦ったとき、母の傍に寝かされて
いた赤子のハリーの魂に、くっついていた悪魔の
分霊は、ハリーの身体が臨死状態にあって、ともに
天界にきたのだった。
首領はハリーを殺すことで、自分の一部も同時に、
葬(ほうむ)ったのだ。
その分霊が死の世界に来たことで、ハリーは
真にハリー自身に戻った。
穢れ~業(カルマ)が取れたのだった。
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その意味では、クリシュナの言う、一元の世界に、
ハリーは帰ったのだった。
自分自身、本当の自分、穢れのない、真の力
を発揮できるハリー自身になったのだ。
そんなハリーに長老は話しかける:
“さあ、お前が選択できるのだ。
ここは駅のようなものだから、どの列車に
乗るかはお前が選択できる。”
ハリーは再び、母・尊敬する長老の師・母
を守り続け 悪魔に忠誠を誓うように見えていた
元の師らの仇を撃つために、多くの友人たちが
犠牲になった魔法学校を守るために、
真の自分に返った今、地上に戻ることを
決意した。
其の頃、現象界では 森の中で悪魔たちに
囲まれ 倒れている死体と化したハリーが
無言で息なく横たわっていた。
臨死である。
気を失ってはいたものの、今こそ、新しく生まれ
変わったハリーの生命は、天上での体験を得て、
肉体に戻ろうとしている矢先でもあった。
そんなハリーを死んだと思い込んだ、
悪魔の首領は満足気に、意気揚々とハリーの
(一時的な)亡きがらを捕虜の大男にかつがせて、
殆ど、悪魔との闘いで 壊滅状態になった
魔法学校の人々の前に顕れる。
悪魔の統領は声を上げる;
“見るが良い。ハリーは死んだ。
さあ、私の基(もと)へ来い、来ないやつは皆殺しだ。”
どよめく学校関係者たち。
息絶えたハリーを見て、悲しむ生徒たち。
一人の生徒がよろよろと立ちあがり、決死の覚悟
で悪魔の首領に立ち向かう。
“何を言いたいのかね?” と その生徒に、
からかうように問う悪の首領に、
その学生は果敢に言葉で挑む。
“ハリーの体は死んだかもしれない。
しかし、彼の魂は此処に生きている。”
と自分の胸を指し示す。
“肉体は滅びても、多くのお前に殺された友人
たちとともに、みんな、この心に生きているんだ。”
その時だった。
この勇気ある生徒の言葉の波動の力を受けたように、
ハリーは大男の腕の中で、突然目を覚まし、
完全に生き返り、立ち上がり、周囲を驚かす。
そして渾身の力を振りしぼって、友人仲間と
ともに、悪魔と大蛇とに、最後の闘いに挑むと
いう設定だった。
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コトバの波動、それは、魔法でもあった、
長老も語っていた。“人を殺すも生かすも言葉だ。”
これは現代も生きている魔法だろう。
目に見えないが、一番確実に我々の行動を導く
指針の波動である。
自分で、だから、絶えず、善い波動 プラスの
波動を無言の言葉で胸に語りかけていることは
周囲の様々な負の波動に対して自分を守ること
でもある。
自分の周囲を矢のように飛び交っている様々な
念の波動、特に、マイナス波動を防御する、
防波堤になることだろう。
そして、長老の魂は、臨死体験の時にハリーに言う。
“憐れむべき者は死者ではない。
生きている者だ。
それも、愛を知らずに生きているものこそ、
憐れむべき存在だ、ハリー“
ヒトは死を恐れるが、結局、眠るより速い一瞬
のうちに幽体となって別の世界で生きること。
生命は不滅であるということ。
悪は結局、あの世(幽界)では あの醜い悶え
苦しむ赤子のように実体のないこと。
愛に生きた者だけが、幽界では その愛と勇気の
分だけの、パワー[生命力]と活力を
感じられること。
ハリーポッターは 悪の分霊を一掃するために
果敢に、自らの死を選んだ。
私たちにとっても、死というのはそういう
役目をもっているかもしれないということ。
いろいろな意味で生まれ変わりを意味すると
いうこと。
私たちが悪の分霊を受けているとき、あるいは、
自業(じごう)として積み重ねてきた悪を一層する
ためには、この肉体の死をもって、それを
清算する必要が時には、あるのだろう。
いわゆる 自業自得(じごうじとく)、文字通り、
その言葉の意味通りだ。
クリシュナの話と一見かけ離れた、ハリーポッター
の世界のようだが、共通項はあるような気がする。
悪魔と闘う、ハリーポッターの話は、
”クルックシェトラ(クリシュナとアルジュナが敵と
闘った広場の場所)の闘い”のイギリス版である。
愛のために、それが この闘いの共通する意義
のようだ。
人々を救うために、より良い世界をつくるために・・・
大きな愛の存在がそこにある。
果敢に戦う。死を恐れない。
これこそ、クリシュナがアルジュナに説き
聞かせていたことでもある。
本来、死はないのだから。
身体を失っても、万が一負けても、永遠に
人々の心に生きることができ、
アルジュナの魂も永遠に名誉とともに
幽界に行くことができると
クリシュナは 戦場に挑む前に 知人恩人たちを
”殺す”ことを、恐れるアルジュナに説いた。
それではクリシュナは このハリーポッターの
世界では誰だったのだろう?
ハリーか?
否、ハリーを導く、彼の勇気と良心そのもの
だったのだろう。
それを象徴するように、ハリーはこの首領を
倒して、首領の使っていた“世界一強い魔法の棒”
を手にする。
ハリーの親友はつぶやく。
“どうしよう。
何でも無敵になるこの棒を手にして、これから
僕たちはどうしたらよいのだろう。”
ハリーは冷静に その棒を 二つに折って、
谷間に投げ捨てた。
魔法の棒、不敵の棒、そんなのは必要ない。
もっと強いものを彼は彼自身の中に見出していた
のだろう。
私たち誰もの心に、クリシュナは生きて存在して
いるとギータで述べている。
この放映されたハリーポッターの映画を見て
どこかでそれがつながった。
人が持つ愛と勇気を、 無意識にこの映画は
観る人の潜在意識の中に奮い立たせる・・・
たぶん、そこがハリーポッターの勇敢さに
多くのファンを掴む理由の一つかもしれないとも
思った。
この映画に流れていたテーマは、古代から現代に
通じる人間が探し求めてきた、”普遍性”への答えだから。