自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

結果を求めることがストレスになる 

2016年07月06日 | 健康と直結する”一元論”について

 

補足 三つのグナの説明とともに  20167・6

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 印度イラスト無料 に対する画像結果さて再び、ギータの中に戻る。 

クリシュナはアルジュナに言う

“心を中道におき、善と悪、成功と失敗、喜びと苦しみなどの

二つの基準に、焦点をあてる二元法から放ち、結果を求めず、

己の心(ハート)が智慧に導かれるままに対処していくのなら、

無駄な努力を払ってきた、という言葉は生まれない。


そのように今を生きていれば、求めざる結果が得られるという

ことはないのだ。

そうした努力をわずかでも行えば、巨大な恐れからでさえ自分を

守ることができる

汝がそうしようと決心をしたのなら、心(マインド)も凝固のものとなる。 

その努力をしようと決められない者だけが、数々の点在した視点に

心(マインド)を迷わされるのだ。


悟りを得ぬ者たちが、聖典ヴェーダを論じあうことに興じ、その行為こそ、

上なく最上であるなどという。

が、彼らの現実は現世(うつしよ)の快楽に心を奪われ、社会的地位を

気にかけ、絵に描いた餅のような、ヴェーダの行為から得る結果を

美辞麗句で称えるが、そんなものは野心とともに焼け失せよ。


どっぷりと現世の感覚的喜びに浸り、識別感覚を失った彼らはそれが理由で、

心からの先に述べた“努力”への実行決意と、実践を果たすことはないだろう。


アルジュナ、よく聴け!

ヴェーダには三つの自然的傾向が述べられている。

つまり、サットワ、ラジャス、タマスというグナだ。(後記補足参照)


それぞれ、均衡と平和、攻撃的、愚鈍的な三要素がこれにあたる。

が、汝は自然界のすべてが属するこの三つの性質どれかをも超越しなければ

ならない。


二つの要素、二元的なもの、たとえば、悲喜、勝敗、寒冷といった対象

比較要素を超えた存在として、自己を維持しなければならない。

たとえば、失うものに対しての恐怖や憂い、得た物を守り持つという

当たり前の感情にかかずらわない、という決意を持たねばならぬ。 

ではどこに視点を向けるのか?


汝の内奥 身体を心配する心の領域を超えた部分にだ。 

そこかしこに水が豊富に使えるところで、水はポットにためられる。 

同様、ヴェーダを紐解くものは、すでに内奥に存在する実質はそこかしこ、

いたるところに存在し、その時を超えた実在と一致した自覚を持つものが

ポットの水と同様に、ヴェーダの真理を使うといえるのだ。”

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