自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

プラーナと背骨と蛇

2023年06月20日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


肉体的”欲望”は大切に扱おう・・・
自分の欠点も含めて
2023年6月20日
******************
今日でタントラにちなむ記事は終わりです:::

欲望とか、肉体的次元のエネルギーとかのお話だけではなくて
私は、地球に生まれた宿命として、欺瞞と矛盾と、弱さに満ちた
自分自身の、弱点をも、大切に扱いたいという気持ちで
これらの記事を、まとめました。

それでは、続き・・・です

********
“欲望の抑制は危機”だと ラジニーシ氏(1)は、いう。

その理由は、
“どんなことをしても、性的な力を弱めようとしても、
それは何らかの形であらわれてくる”のだから

だから彼は提案する;
“我々、人間は、性的な存在であることを認めようじゃないか”
と。

ラジニーシ氏の側近だった、ヒューミルン氏は著書(2)に
次のように、書いている;

欲望の抑制は果てしない問題を生じさせることになる。
タントラでは次のように説かれる~

この世の快楽を享受するがいい、しかし、それと同時に
神の存在を汝自身の内に見出せ、と~

何に従事していても、常に、心の内なる、第三者の眼で
自分とその行為を、俯瞰して、”神の存在”を真摯に追う。
私は、ここにタントラの教義の深さがあるように感じる。

ヒュー氏は言う:
タントラの基本的な認識では、人間の持つダイナミックな
諸エネルギーを覚醒させることは、可能である。”、

”タントラでは、すべてのエネルギーが、適切な方法で解放
されれば、それは背骨を通って、脳の上昇し、心および
霊的中枢と一体化し、愛と意識の抱擁が起こる”

これはいわゆる、プラーナの上昇のことだ。

プラーナとは、生命力で、シバ神の絵には、多くのコブラが
シバ神の身体を巻きつくように描かれているが、生命力が上昇
する際に 蛇のように見えるため、プラーナの象徴となっている。

さらに、続けて、

”タントラの信奉者たちは、至高のリアリティーが見出される
のは、欲望を充足させることによってであって、決して苦行
によってではないと固く信じている。“ 

(P・44)と ハミルトン氏は、著書で語っている。
 
では、至高のリアリティとは何か?

“精神的・霊的な明瞭性、自分のエゴを、より大きな意識の中に
消滅させること、
全体性、永遠、空性、至福の存在状態の中への、自己の消滅
である。“
(P・42~43)

最後に、ラジニーシ氏の講義の言葉を引用したい。
これらの教えの基礎に、普遍的な事実を
たんたんと 詩に託しているのが印象的だった:

”まず心身を浄化し、成長を 妨げ幸せから遠ざけている要素
(心のパターン、生活習慣、思い込みなど)を排除します。

そうすることで 生まれ持った能力や力が、発揮できるように
なり、成長します。

そして究極の自己実現である悟り(超自我体験)を達成します。

真実は自分の中にある。外に探すな。

私たちは一人ひとりが宇宙の縮図です。
すべてを有する存在です。
 
しかし自覚がなければ、宝の持ち腐れで、何の役にも立たず、
何も持たない ちっぽけな存在と(自覚)して 
一生を終えることになってしまいますが、
一度自分の中に、目を向けることさえすれば
そこには無限の可能性があり、
しかしその可能性を生かすために
することがたくさんあることに気づくでしょう。
 
そうして人生が 本当に動き始めたら、迷っている
ヒマはありません!

今、ここに生きよ!

タントラの教えでは、私たちはすべてを 内に秘めて
いるのです。

そう 自覚できたら何も心配することなく 今の瞬間を
味わって精一杯生きることしかなくなりますね。。。

目覚めよ!

過去を未来を思い煩わずに
今の瞬間に意識を合わせて在ることができたら・・・
常に意識を繊細に保ち、人生の神秘に気づくことができる
でしょう・・・

何といっても、本人が気づかなければ何も起こっていないのと
同じことになってしまいます。

探すな、立ち止まってよく見ろ。

”見ろ!”です、
”考えろ”ではありません。

考える、というのは 論理や理屈の次元での解釈に
偏ってしまう危険があります。

見る、というのは感情や心身の感覚なども 
含めたより全体的な体験として感じる、
ということになるのでより深さが増します。
 
探し回っているせいで 気がつかないこと、よくあります。
”真実”も 同じなんですね。

タントラでは人生のどんな瞬間も 
気づきへの悟りへのきっかけとなる、と言います。

人生のどんな時も 精一杯 ”体験” できれば
無駄なことはない、ということなのです。”  以上引用
 

 
*1)
「OSHO:オショー、
本名、チャンドラ、モハン、ジャイン(1931-1990)
インド人神秘家。現代人のために新しい瞑想法を編み出し指導。
個人の意識開花のためのガイダンスとして約7千回にのぼる
講話を行った。
インド西部、プーネのアシュラム(道場)、アメリカ、
オレゴン州のコミューンには
世界中から内なる旅をする者たちが集まって来た。
いまでもプーネのアシュラムには多くの人々が訪れ、
瞑想やセラピー、ダンスやペインティングなどの創造性の
ワークショップが開催されている

(2) ヒュー・ミルン 『ラジニーシ――堕ちた神』
第三書館)1991年(再版)暢沢立也訳

 
コメント
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