自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

解脱を目標に、究極まで自分を突き詰めた偉人

2023年06月16日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

インド独立の”無抵抗主義”の覇者、ガンジー翁の場合



**************************2023 6月16日

前書き)
無所有という状態・・をタントラの教えでは、男女の愛の中に、
持ってきました。

種族の保存や、本能発露のためではなくて、無執着のまま
相手に対し、情熱的感情をぬきにして、心身、特に、肉体的
表現が行われれば、そこは、祭壇と同様の、神聖な場となると
説かれました

欲望を真正面からとらえて・・というのは、そこに、無執着
かどうか?愛か本能か?相手を尊重しているか、自分勝手
な行為か?
というような、俯瞰的な眼で、心の内から見据える第三の眼を
意識して、できることです。

この教えを取り入れて、解脱(成仏)を試みた、世界的政治
指導者のお話です。

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解脱をモクシャ と サンスクリット語でいう。

生まれ変わりの輪からはずれ、、カルマを超越した状態をいう。

この状態に到達すると、人は、カルマ解消のためには、

人間に生まれる必要性がなくなる。

特別な使命を持ち、救いのために、あえて人間の肉体を

持って、生まれる場合もある。

いわゆる、精神的指導者として、人類に光明をもたらすためだ。

インド在住時代、ガンジー記念館を訪れたとき、 

ガンジー翁は モクシャを人生の最終ゴールに置いていた

ことを彼の書簡から知った。

同時に、ガンジーは、欲望を客観的に見ながら、

執着をたちきり、モクシャの実現の最終目標である、

’自我の超越’を試みていたことも知った。


この欲望は 人の三大欲望の一つで、生存と種の撲滅

を避けるために、天から授けられた、欲望でもある。

が、これによって、葛藤や苦しみを産みだすことも

事実だ。

ガンジーは、自ら、それを昇華するために、人生最期まで、

自己人生の最終目的である、解脱のために、その欲望と

真正面に取り組んでいた。

これも、一つの、タントラ的修行でもある。

タントラ修行について、次のような ラジニーシ氏の

一節が、興味深い。

“タントラではパートナーを自分のグル(師)と考え、
その身体を聖なるものとみなして、礼拝する。
性的感情を持っても、所有欲はもつべきではない。”(1)

彼は、

タントラの究極のゴールは、

精神的・霊的な明瞭性、自分のエゴを、より大きな意識の中に 

消滅させること、

全体性、永遠、空性、至福の存在状態の中への、自己の消滅

である。”

 という。


ガンジー翁は、晩年は、信奉者の女性などを、密接的に

傍に置いていたようだが、彼の親近者、ボース氏への

手紙には、彼らと夜も共にすることを認めたうえで、

次のように書かれていた:


”私にとっては女性に触れぬことがブラフマチャリヤ
なのではない。

今していることは 私には新しいことではない。”

と前置きして、

”……実験(須田注:ガンジーの試み)の前提に、女性の

劣等性があると、お考えになるとは驚かざるを得ない。


もし私が、色情を持ち、あるいは相手の同意なく女性

を見れば、そのとき女性は、劣等者であろう。

私の妻は、私の欲望の対象だったとき、劣等者であった。


私の隣に、裸で妹として寝るようになってからは、

彼女はもはや劣等者ではなかった。”

このガンジー翁の言葉は、次の、ラジニーシ氏の言葉と
どこか、一致する。

もし特定の個人に対する、荒々しい情熱的欲望に
捉われてしまうなら、人は自らの瞑想的中心~存在の
中核を、見失ってしまうだろう。“

私には、ガンジー翁が、臆面もなく、人が隠す事実を公
にしながら、自己の解脱を試みた、大いなる修行者として、
感じられてならない。


(1)”ヒュー・ミルン 『ラジニーシ――堕ちた神』第三書館)1991年 P・42~43)




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