インドの古代聖典 ギータより
2023年10月25日
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悟りを得た人の考え方の特徴とは?
ヴェーダ哲学の元にある、インドの古代聖典”ギータ”から
ご紹介したい。
”真理を 会得せる者は”から始まる、言葉の数々・・・
”ギータ”は、ヒンズー教の聖典と、思っていらっしゃる
かたが多い。
が、もっと、普遍的な、宗教に偏らない、真理を説く。
仏教の”般若心経”の教えの真髄が、このギータの根底に
流れている。
(以下抜粋)
1・真理を 会得せる者は、見るも、聞くも、触れるも、
嗅ぐも歩くも、眠るも、呼吸するも、“自分自身は何事もなさず”
と感じる。
かれは語るも、手放すも、受け入れるも、眼を開くも、
閉じるも、己自身とは別なる “感覚” が、その対象に対して
働くにすぎぬことを知る( 5章 8~9節)
(須田註)”自分自身は何もなさず” という意識は、小さな
自我意識で、行動しているのではなく,肉体の内なる、大きな
自我【大我】こをが 常に、自分の身体を通して、行動して
いるのだという自覚
2.万物に、等しく内在する神を見るものは、誠の自己を自我
意識によって、けがすことなく、至高者への道をたどる。
(13章29節)
3・我は 本来不生不滅にして、万物の主なるも、おのが幻術
を用いて現象界に化身する。(4章6節)
(須田註:ここでいう、我は、大我(実存的自己)で
その大きな自我(大我)こそ、自分の身体と心に内在する、
神 でもある)
4・三つの属性(グナ)より、有る 我 が幻術をつきやぶる
ことは難しい。
されど、’まことのわれ’に頼るものはこれを克服する (7章14節)
(須田註;ここでいう’我’は、3のそれ と異なり、現象界
の感覚と感情にゆさぶられている"小我"であり、最後のライン
の’まことのわれ’は、内なる、神性のこと。
ここでいう、不生不滅 は、般若心経の言葉通りである。
実存する真の自己は、生まれたり死んだりすることなく、
3つのグナ(次回説明)を駆使して、現象界に物質化した
形をとる(化身する)
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