自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

アートマをめぐって、演繹的な考え方 

2012年09月16日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

9月16日 (日曜日)

 

 自分はこういう人間だ~と、一言でいうならば、みなさんは、

どのような定義づけをするのだろう。

演繹的に考えた場合、前提をどう置くかで、その後に引き出される結論が

異なる。 


自分の本質は、純粋で、善なる、愛深い存在であると、心から信じて

いれば、大前提に、まず、その観念が出てくるだろう。


たとえば、”私の本質は、純粋で善なる愛深い存在である”→

至高なる存在は、そのような特質を持っている”→”だから、

私の本質は、至高なる存在と同質なのである”・・・のように。

 

そう信じる理由は、たぶん、その人の体験によるものかもしれないし、

研究を重ねてそのように納得できる何かを得たのだろう。

高い確率で、人の 純粋性を信じられる体験をしているのかもしれない。 

確率論にもよるというのは、人によっては、”世の中悪人ばかり・・”

と 認識できる体験を多くいれば、前者のような 結論にはいたらない。


”私の本質は小賢しく自己中心的で自分さえよければ良い”→

”世の中を見るとモラルにかけて、不条理ばかりが、まかり通っている”

”だから、私のような人間のほうが善人より多いはずだ”

 

たとえば、以下のような前提はどうだろう?

 “大前提. どんな人も 赤ちゃんで生まれる。

 小前提・ 赤ちゃんは純粋だ。

  結論・  だから、人の心に、純粋な心の部分は必ずある。“

 

大前提は 一般的原理である。

小前提は 事実など、結論は、個々の事象を表す。

先に述べたように、前提が異なると、結論も異なる。悪人ばかりと

結論つけた後者の例に合う前提は、たとえば:


 “どんな人でも 赤ちゃんで生まれる~大前

”赤ちゃんは、生きるために、自分中心的だ”小前提

だから、人は 社会教育がなされないとき、本来、エゴイスティックである

~結論

 

という言い方も可能かもしれない。

 

自然治癒力は 誰にでもある~という命題に関して、大前提(一般的原理)

「動物には自然治癒力がある」、小前提(事実など)「人間も動物の一種である」、

結論(個々の事象)「だから、人間には自然治癒力がある」と単純に考えられる。

 

話を、先のアートマ論(人の純粋性)に戻すと、相手が、自分と同様、

”純粋で 善なる存在である”と信じている人にとって、相手が

 ”善なる自分”を、いつか、必ず、わかってくれるだろうと

いう ”甘えと期待”が 無意識の中にあると、人間関係はうまく

いかなくなる。

楽天的ともいえるが、’想いよがり’の強い人となり勝ちな

側面が同時に出てくる。 

それが甘えだということがわかるのは、相手のためにと考えて行った

行動に対して、相手が自分の意図していない”不本意な印象”を持っている

とわかったときだ。


自分としては、愛をもって、注意や意見を、相手にしたつもりが、

愛を感じてもらうどころか 顰蹙(ひんしゅく)を買う場合がある。

”純粋な想いから発動した行動”と信じる自分の態度を 相手から逆に、

”心の領域が侵害された”として、受け止められてしまうこともある・


アートマは誰にでもあり、その心の奥底に純粋で愛深い泉があるにせよ、

しょせん、自分の価値観でしか、行動していないときに

多々こんなズレが生じるみたいだ。

 

 

現在 現れているその人の不完全さは 完成を目指すプロセス上

一つなのだから、今後必ず、改善されていくだろうという認識が 

自分の心のどこかにある。

そして、アートマを信じる人なら、そう感じているだろうというのは、

これも自分の価値観、人からみれば、幻想のように見えるということに

最近、気が付いた

アートマという無色透明な誰もが持つこの生命力の中心は繋がっていても、

私たちの身体とそれにともなって生じる心は、やはり、1人ひとり

個性豊かで個別のものだということは、しっかりと

認識しておかないと、難しい。

 

とはいえ、これだけは声を大にして、言い続けていきたい。

”私たちは、幸せを求め続け、自分自身にある、無限の供給に続く、

アートマ(自分の本質をさす)の 扉に いつか 手をかけるだろう。” 

もう開けていらっしゃる先達の方達も多い。


登山のルート口は、東西南北 どこから登り始めようと、勾配か

緩やかか急なのかの違いはあっても、その道は、一つのゴール、

即ち頂上に向かうように、幸せを求める限り、アートマに到達する

以上の喜びはないのだから、必ず、そこに向かっていると思いたい。

 

このことを演繹法で言うのなら

大前提:人の幸せは物質や欲望(知的、情的、能力的、社会的、霊的)

への執着が消えたとき、生命本来の喜びを味わうことである。

小前提:執着は小自我が強い時に、自分から離れられないもの

結論:自己の本来の純粋性~アートマ意識~になったとき、

小自我から離れることができ、本来の喜びと向き合える。


即興の前提論であまり説得性がないが、簡単に言えば、そうなるのだ

と思う。

 

 

 

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