下界の人には私たちが見えません 平成25年7月13日
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著者はしがきから
わたしは1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員で
あった。
3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。
大師は私たちが 偉大なる法則の働きを、実証されるのを
実際に見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込む
ことを許してくれた。
私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”
と題して、発表するが、そこに盛られた内容をそのまま
受け入れるか、否認するかは、読者の自由である。
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一通り、食事を楽しんだ後で調査団の隊長が
”神の属性の中で何が一番最大のものと思いますか?”
とこの麗人たちの音楽会で、一人の霊人に聞く。
すると、
”愛です” という答えが返ってきた。
さらに続けて:
”生命の樹は神の楽園の真ん中、つまり、私たち自身の
魂の いと深きところにあります。
それから生え出て、完全に熟しきり、もっとも完全
にして、生命を与える果実となったものが愛なのです。
・・・略・・・
愛という神心原理を働かせば、あらゆる悲しみ、
あらゆる病、あらゆる窮境、人類を悩ます あらゆる
欠乏を取り除くことができるのです。
・・・略・・・
もし、人類がこの神の御業を行おうと望むのであれば、
大いなる偏在生命より生ずる、この愛の流れによって、
満たされなければならないのです。
・・・略・・・
私たちが’生き動き存在している ’不可視の普遍質料’
の中にはおよそ、人の望み得るすべての善きもの、
完全なるのがあり、信念によって、引き出されて具体化
されるのを待っていることを知っていただきたい。
・・・略・・・
又、与えることは与えられることであり、こうして
愛の法則が成就されるのです。
与えることによって、私たちは因果応報の過つこと
なき、法則を発動させます。
与えればたとえ、返礼など全く考えていなくても、
返礼をさけることは不可能です。
なぜなら、あなたが与えた豊かさはあなたに返ってきて
初めて法則が成就するからです。
・・・略・・・
本来の豊富さを悟れば、人はいろいろな制約や限定の
枠を遙かに超えるようになることは間違いないのです。
豊富を思うに当たっては 細かいところまで考える
ことは一切捨てなければなりません。
豊富という以上は 一一細かいところまで考える必要は
ありません。
又、いつも豊かな気持ちでいるためには、常に心を広げて、
普遍なるものの中に遊行し、完全なる自由を大いに
享受しなければいけません。
しかし、この自由を放銃と多いちがえてはなりません。
なぜなら、私たちは すべての自分の想念とすべての
行動とに責任を持たされているからです。
・・・略・・・
準備が完全に整えば、その殻を破って、美しい花となって
咲き出します。
丁度、そのように、人が実相を開顕するときや、まず、
自我のからを破らなければならないのです。
略・・・
平安、健康、愛、喜び、そして繁栄が今ここにあるのです。
もし、私たちが神のみを見上げて暮らすならば、どのような
災害も私たちの上に来ることなく、どのような害悪も私たち
に地下ずくことはできません。
無限で不滅、の宇宙霊の子なるあなた方の真ん中に神は
ましますのです。
ゆえに、あなたがたが怖がらず、失望しなければならない
ものは何一つない。
恐れなければならないものも何一つない。”
こう、霊人は述べられ、さらに、人間の理想を次のように語られた:
”私たちが、自分の理想とするところものもを、かたちなき
もの の中に、明確に入れると、普通の人間的意識には
見えない’形象なきもの’から、直接に形をとって、顕れてくる
のであります。
・・略・・
ごく熱心な少数の人々だけが悟り、精進し続け内なる実相を
顕現し、本当の神の見栄を行うものです。
そのほかの人々は、はじめのうちはよろしいいが 間もなく
物質性という第一番目の壁にぶつかり、それを
超えるのには、非常の多くの努力をしなければならなく
なります。
そのために、そんな、難儀をすりよりは、浪のまにまに、
漂ったほうがずっと、気楽であると思い、やがて、落伍する
ようになるものです。
私たち一行は、みんなこの地球上の肉眼に映ずる俗界に
住んでいました。
事実 私たちは地球を離れたことはありません。
私たちは低俗な意識を持っている人々には見えないのです。
もっと、他界意識の層にいる人々には私たちがいつでも
見えるのです。”
低俗な人たちには見えない姿で存在している霊人の存在・・・
この話を読み進め、一つの話を想いだす。
30代の初め、私は、バンコクに住んでいた。
当時4歳前後の幼い息子と、タイ人の友人宅を訪れた。
友人は、観音様の安置している、部屋(仏間)に私たちを案内した。
その友人の名前を仮に、アンチェリーとする。
彼女は、その観音様が来た由来を語り始めた・
それは、ある朝、アンチェリーさんのところに見知らぬ人が来た。
そして、ある方からの使者だとだけ告げて、来た目的を伝えた。
”この方から、こちらのお宅に、特に、お預かりの品がありますが、
あなたがアンチェリーさんですね?”と聞いた。
”はい” と友人が 訝しげに答えると、使者は語った;
”私の師匠があなたのために、観音様を彫りました。
この師匠は高名な方ですが、月に一体、神様の御用で、
神様の告げる方のために、観音様を彫りあげます。
どこの誰かは わからなくても、夢で その観音様の
行くべき場所と祀るべき人の名前が明示されるのです。
こうして、今、ここに、師の彫られた御像をもって、
伺っています。
ぜひ、お受け取りください。”
と、観音さまを 友人に手渡し、そのまま、どこへと
なく立ち去ったという。
不思議ないきさつのある、観音様は仏間に大事に祀られていた。
友人の家の仏間に案内され、小さな20cmほどの観音様を
拝見してから、庭で一服した。
そこで談笑していたら、息子がアンチェリーさんに 突然、
尋ねた。
”アンチェリーさん、ほら、庭の隅にいる、美しい
女の人、だれ?”
私には誰も見えなかった。
友人は、一瞬ハットして、息子の応えに 少々の間をとった。
そのうちに、息子は他の事に気をとられて、質問した返事を待たず、
その場を離れてしまった。
後日アンチェリーさんは私にこう語った。
”実は観音様をお祀りしてから、滑らかな白い陶器の
ような肌の美しい女性が私の家を見守って、時々
歩く姿を父がみているの。
私も、その気配は感じるわ。
一度、階段から降りてくる真っ白な足をちらっと観て、
私は、怖くて、目を閉じてしまったけど、きっと、その方
だと思う。
たぶん、父のいう、観音様なのかもしれない。”
”でも、小さな子供は ひろ(息子の愛称]以外にも、
その人を観ていて、誰?と母親に ひつこく聞いて、
怒られていたので、その時、もしかしたら・・と、私はその
美しい女性のことを思い浮かべたの。
ひろが同じ質問をしたでしょう。
きっと、心が純心な子供には姿が見えるのね・・・”
その女性が観音様かどうかは定かではないが、きっと、
そういうこともあるのだろうとその話しは、印象に残って
いる。
霊人が言われるように、波動の精妙な方達は、純粋な人の
眼にはその姿を現されるのかもしれない。
参考)
ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻
S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著
仲里誠吉訳 霞が関書房
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