自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

エミール大師:俗界・幽界・霊界・神界

2013年07月14日 | 健康と直結する”一元論”について

 

動物界・鉱物界・植物界            平成25年7月14日

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 著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた11人の

調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師

たちに接触した。大師は私たちが 偉大なる

法則の働きを実証されるのを実際に見るために、

大師がたの生活の中に親しく入り込むことを

許してくれた。

 

私のノートを今ここに、“極東における、大師たち

の生活と教え”と題して、発表するが、そこに

盛られた内容をそのまま受け入れるか、否認する

かは、読者の自由である。

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ここで出現した悠久なる霊体はなおも語る:

”死という関門を経て可視界を過ぎ去ったものは

今度は幽界に現れます。それは俗人は 心霊界で

働くようになっているからです。

 

物質界=可視界と本当の霊界との間に。

大きな幽界が存在するのはそのためです。

本当の 高度の霊的なものを目指す熱心な人は、

この低俗な幽界を突破しない限り、本当に高度

なものを把握できるものではありません。

高級な霊的なものを悟るためには、心霊現象を

超えて直ちに、神に至らなければならないのです。

死は、魂をただ、心霊界に解放するだけであって、

そこで、また、魂は いろいろと現象化するの

です。

こういう風に死んで逝った人は、

’ただ一つの神の霊、一つの神の心、一つの神の体

あるだけであって、すべては、この一なるものから

出てきて再びそれに還るのである’ ということを

悟らなかったのです。

 

この一者からでて、完全なる体を与えられた霊は 

一なる神霊の一部分です。丁度、私たちの腕が

肉体全体の一部であって、決して別のものでなく、

私たちの 四肢がてんでに離れているものでなく、

全体と一つとなっており、全体を構成するために

ぴったりと 接合しなければならないようなもの

です。

 

そういうわけで、一切の霊、神の表現し給うた、

すべてのものは、ぴったりと接合して初めて完全

なるものであります。”(205)

 

さて、ここで、隊員のひとりりが”物質の相対性”

について 悠久なる霊に質問した。それに対しての

答えは:

 

”正確には質料というべきです。

物質ではなく、質料の相対性というべきです。

ここでしばらく、5つの王国、つまり、鉱物界、

植物界、動物界、人間界、神界のことを考えて

みましょう”

といって、それぞれの生きとし生きるものの

それぞれの種類に関して、大師は、話題を変えた。

 

”鉱物界、植物界、動物界、人間界、神界のこと

を考えてみましょう。

鉱物界のどの一部をとってみても、すべて一つの

生命=神の生命の顕れであります。

 

鉱物の各部分が空気や水という要素と結びついて、

解体、あるいは、分解したものが、土壌になった

のであって、その各部は依然として、元の生命、

即ち、神の生命をとどめています。

 

この鉱物界だけが次の 一段と高い、神の表現

である、植物界の出現する場となります。

植物は、それ自身、この共通の、一なる生命

を含んでおりながら、今度は 鉱物界から

また生命の一部をとって、増殖し、神界を

目指して一段と高い表現をします。

 

これがまた、その次の、高い神の表現体で

ある、動物を出現させることになります。

動物は、同じくそれ自身’一なる生命’を含み

ながら、この生命の一部を植物から抜き出して

増殖し、神界を目指して、さらに一段と

高い表現をします。

 

これが次の、神の一層高度の表現である

人間界出現の契機と、なるわけです。

人間が この王国に達したとき、彼はあり

としあらゆるものが、一つの根源から

でてきたのであって、すべてのものは、

一なる生命=神の生命’を持っていること

を認識するのです。

 こうして、彼は、すべての物質的なもの

の上に支配力を得たのであります。

しかし、私たちはここで止まってしまう、

必要はないのです。なぜなら、すべては

進化するからです。人間はここまで到達

してもまだ、征服すべき新しい世界の

あることを発見するでしょう。

 

さて、私たちは一切の空間には ただ

一なる生命=神の生命が存在すること、

全ては 唯一の根源・唯一の根本質料 

から発していることをみとめるところ

まできました。

 

それなら、すべて質料は 相関的、即ち

関連しあっているということになります。

そうではありませんか?”

こうして、霊人の話は終わり、会食も

終わりになった。姿なき合唱団の伴奏する歌

が聞こえていたが、最後には、姿を現して、

会衆の間を歩き 座談して、あるいは、

時には、彼らの頭上の方に浮かび、隊員達

に強烈な しかし、この上なく、楽しい、

思い出を与えた。

著者は以下のように、その時に体験した

感想を書いている。

”もし、私たちが沈黙を守れば、姿なき

合唱団の音曲はいつでも聞けるのだが

音曲に合唱がともなうのは、このような

時だけであるということだった。

其の後 数回、試してみたら、わたしたち

にも、音曲を聞くことができた。

 

それは何時も 低い美しい甘美なもので

あったはが 数名の大師たちでも集まら

ない限り、あの晩のような 歓喜に満ちた

屈託のない、集会にはならなかった。

この音楽が天使の聖歌隊といわれている

ものだそうである。”

 (207)

ここに、調査隊は3日間泊、この間にも、

多くの大師たちや弟子たちとあった。

そして、三日目の夕方、彼らは再度 冬の宿舎

での再開を約束した。

 

続く・・・

  

参考)

ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 

全5巻

S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 

仲里誠吉訳 霞が関書房

 

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