自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

University of Delhi 大学院で学んだこと(3)

2017年07月20日 | 健康と直結する”一元論”について

 

インド古典音楽とヴェーダの一元論との関係 2017.7.20

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今まで、自然治癒力について、いろいろ書かせていただきました。

セラピストの須田さんという見方が、日本では、協会関係

人たちには一般的です。

私自身はセラピストである前に 15年住んだインドでは、

シターリストでした。

そして、その二つの顔の根幹に、不二一元説をもって、

生まれながらの虚弱体質と

アトピー性皮膚炎を全快させた、一人の真実を求め放浪する

精神的旅人の素地があります。

 

実は、当協会のフェースブックには、海外の方がたまに、訪れています。

たぶん、spontaneous healing therapy japan という正式協会名称で

興味を持たれたのでしょう。

また、その中のおひとりからメールを協会公式メールアドレスにいただき、

“(記事)内容など、もう少し英語での情報がほしい”ということで

ありました。

そこで、今日は、この手元にある、インド時代、大学院に提出した

博士論文を元に、原稿を上げさせていただきます。

ここからそのまま、一部をリクエストに応じて、英文でフェースブック

に載せるためです

日本語訳もつけますので、お付き合いくださいませ。

ちなみに、私は、(インド国立)デリー大学大学院の芸術学部で

古典音楽を主体に、インドの伝統美学と日本の美学の比較研究を

していましたから、直接、ご紹介する当時の原稿は、自然治癒力

セラピーとは

関係ありません。 

が、智慧のある読者の方ならお気づきと思いますが、実は、

このインド古典音楽は神にささげた聖なる楽曲であり、

ヴェーダ哲学ときってはきれない関係があるのです。

そして、ヴェーダ哲学という、不二一元説を説く教えは、

’形而上的癒し’=’spontaneous healing ’とこれまた、切っても

きれない関係があることから 当協会の主旨に関係深い

ことをご理解していただけると思います

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Indian Classical Music and Non-dualistic Philosophy

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”Musical sound is produced by physical organ or instruments. 

Through its physical vibration is sometime regarded as a material 

reality which is perceived by the sensory organs.”


ここでインド古典音楽を通じて、ヴェーダの一元論的哲学との結びつき

に話題が変わる。

上の部分を訳すると

“音楽的な響きは、体の機構(声帯など)か、楽器を通して生まれる。 

ここで生まれる物理的な波動は 我々五感感覚機能に翻訳されて、

物質的に存在するという認識がなされる。”

としたうえで、

“According to the Vedic Philosophy, however, music is not mere 

concept that exists outside the Infinite Being.

訳) 

ヴェーダ哲学によれば、音楽は無限なる存在の外枠にある概念ではない。

と五感の感覚で表現される音楽、特に、古代古典インド音楽に対して、

ヴェーダ哲学教えの枠の外にでるものではないとここでいう。

 

つまり、先回お話したように、古代インドでは、音楽は神に捧げる、

聖なる魂的な波動であり、単純に、楽しみや気分高揚の手段ではないと

みなされてきた。

 

In this regards, Dr.S.N.Ghoshal Sastri says about it

“Sound and sense is based on the duel-non-dualistic theory, and 

letter A to Z are considered the visible form of the invisible sound. 

The poet Kalidasa worshipped the eternally united duality of Vak

(sound) and artha(sense) as to the parent of the Universe. 

Sound and Sense are virtually the first manifestations of the 

unevolved whole. … 

The scholastic school of Indian aesthetics relish it as Two-in-One, 

or the eternally united parents of the Universe, symbolized in ‘Uma 

Mahesvara’.

訳) 

この点に関して S.N.Ghoshal Sastri博士は次のように述べている:

“音と感覚は 不二一元論説への闘いをベースにしているようだ。

それは、AからZまでの視覚でとらえる文字が、視覚でとらえられない音

という形で表されるように。詩人Kalidasaは、Vak(音)と、artha(感覚)

の二元性を統一した宇宙の生みの両親として、崇拝していた。

音と感覚は、実質的な‘Unevolved whole’(変容なき統一体)の物質化

したもので

ある。 

インドの美学の一派 スコラスティック派はこれを、two-in-one

(二物合体)、もしくは、´ウマ(女神)マヘーシュワラ(シヴァ神)

’に象徴される、宇宙の生みの親の永久的結合と呼ぶ。

 

余談だが、ここでいう宇宙創造の造は、陰陽の結合であり、それが、

ウマ女神とシヴァ神に象徴されている。

日本の超古代神話 “ほつま伝え”でも、宇宙創造は陰陽の考え方が根底にあり、

キリスト教などの一神(いっしん)的な宇宙創造とは異にしている。

東洋的な思想や哲学の原点に陰陽論が欠かせないのは、このあたりからすでに、

端を発しているのかもしれないなどど思う。 

一元論、つまり、二者は存在しない、ヴェーダ哲学に two in one という

例外を認めているところは興味深い。

否、むしろ、一元的な見方をするがゆえに、two in one どころではなく 

thousand in one という表現も可能かもしれない。

二つが一つではなく、千も一つ、万も一つ、無限数も結局は一つのOne 

に帰結すると考えるところが、一元論の特性だ。

私たちの体と心は一つ、あなたと私も一つ、だけではなく、無数の森羅万象

と私も一つ、無数の他者と私も一つ、ということなのだ。

砕ける波のさざ波を数えれば限界が無いが、そのさざ波を生んでいる海は

一つだし、惑星の数は限りないが、その惑星を包んでいる宇宙空間は

一つであるのと同様かもしれない。

 

さて、冒頭の音楽とヴェーダの関係に戻ると、

Another aspect of Dual-non―dualistic relation between man and 

the Omnipresent Being can be seen in devotional music. 

The devotional music is a statement of surrender and dedication to 

the Real Being. 

The important point is that through music people seek for 

realization and enlightenment.

 They expect a spiritual union with the Omni Present, dedicating 

music with devotional heart and pure love to Universal 

consciousness.” 

訳)

一元論的であり、二つの対象をもつ関係、つまり、人間と永劫的な存在、

との関係は、聖なる音楽の内に見られる。

神に捧げる賛歌でもある聖なる音楽は、 人間からの真なる存在に対する

全面降伏と捧げる気持ちの表現である。

大切なことは、人は、こうした音楽を通して、悟りの境地に達することを

模索し続けてきたということだ。

至高なる存在とのスピリチュアルな繫がりを、宇宙意識への敬虔なる心と

純粋愛をもって、期していることだ。

 

インドで庶民に支えられている宗教には、バジャンと呼ばれる讃美歌

は古くから存在していた。 

古典音楽ではまだ楽器が発明される前から、ドゥルパッドと呼ばれる形式

で、崇高なるこうした宇宙意識への人の意識が交わる極点を模索されていた。

後世、本来は、音楽を禁じているモスリム教がインドに伝わったとき、

スーフィー派と称される宗派がインドでは広まり、キルタンと呼ばれる

一種の讃美歌が造られ、信者に歌われた。

上の節での真意は、こういうことだろう。

“When a man achieves beauty of music he fulfils the ambition to be 

one with the Supreme Bliss. 

In other words, ‘duality in non duality’ is also achieved because ‘ he 

and He’(duality)  becomes one(non-duality)at that moment.

訳)

人が 音楽の美を達成したとき、最高級の至福に満たされたいという

要求は満たされる。

それは、言い換えれば、‘一元性の中の二元性’が、実現したということだ。

なぜなら、その時、‘その人と神’という二元的区別は一元の中でなくなり、

両者は一体になるからだ。

 

すべては神の現れであると聖者は言う。

インドの古典音楽の美学にとっても、同じことが言えるだろう。 

We may say the beauty of Indian classical music manifest is He 

alone.” インド古典音楽の美とは、’神’の具象化したものと言えるだろう。

 

   

当時デリーにての演奏会で・・

 

 

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