大化の改新の必然性 2023年5月3日
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前回の続きです。
ある日、私の目前でメッセージを伝え始めた
聖徳太子は、続きを語った:
”なぜ、女性天皇の擁立が必要で
あったか?・・・”
言い変えれば、それは、誰にとって、
メリットであったのか?
それは、当時の権力者、帰化人である、
蘇我一族にとっての 権力を堅固に
するための悲願であった。
私(聖徳太子)亡き後、曽我氏の権力が肥大し、
祖国への立憲を守るため
”大化の改新”が中大兄皇子や中臣鎌足に
よって為され、曽我氏をたおしたのも、
意味があることでした。
日本人の魂と精神を守るためにあの反乱は、
必須だったのです。
蘇我家を滅ぼし、日本古来の天皇制の国体
に戻すために。
が、私(聖徳太子)の時代は、仏教の伝来を
奨励して、異国の精神文化を、
日本人本来の精神文化に融合させることも、
国策として必要だった。
仏教を積極的に受け入れることで、
民衆の異国への関心と畏敬が進むこと
になり、近隣国との友好を保つ良い
きっかけでもあった。
それまで日本の精神的支柱は、神道一筋
だったが、精神文化を取り入れる
ことで、次第に、様相が変わってきた
のでした。”
”それでは、なぜ、そうした大陸文化に
重きを置いた政策が必要だったのか?
私(聖徳太子)が仕えた、推古天皇は、
蘇我一族の純粋の血統を引き継いて
母上は、蘇我稲目の女。
当時、私とともに、政治運営の実権を
握っていた、蘇我馬子は、推古天皇の
叔父にあたる。
大陸文化に重きを置くことで、外交の重要性
を確立すること。
そのためには、蘇我氏の権力を活用する
意味がありました。
そして、曽我氏の権力が充分にふるうため
には、それまでの、天皇血筋の
純粋な系統図と日本人が古代より拠り所
にした行動基盤(風習)などを書き記した
ホツマツタヱは、それを推奨するときには、
精神的支障でした。
何故なら、天皇が神であり、由緒正しき血統で、
古来よりの文化を引き継いでいるという日本人
の誇りは、他国への文化を受け入れるには純粋
すぎたからです。
そのために、蘇我氏の勢力拡大に都合の良い、
新しい、日本古代文化史を編纂する必要が
あったのです。
こうして編纂された曽我馬子の二冊の
天皇系図と、風儀書は、後に古事記
として、正式な古文書として認められ
伝えられるようになりました。
その本源は曽我氏とともに、摂政の座
にいた、私の決断によるところ
もあったのです。”
古事記編纂は、712年。
聖徳太子、蘇我馬子が活躍した時期は、
600年前後。
古事記の誕生までには、馬子が監修した
2冊の書をもとに100年の歳月が
流れていた。
(続く)
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