自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

秀真伝(ほつまつたえ)と須田家

2014年11月16日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

 りょうおばあ様の真理への探究心  2014・11・16

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秀真伝(ほつまつたえ)は自然治癒力とどう関係があるか?

首をかしげる読者もいるでしょう。

しかし、この秀真伝の研究を姑が続けたおり、神意によって

神気法を姑(はは)が取得できたと自著に綴っています。

そしてそのおかげで、私自身のアートマセラピーも姑(はは)の

理解とつながり、セラピー協会立ち上げの際、協会の主旨に賛同

していただき、理事のお一人にもなっていただいています。

(姑は、家族ですが、真理においては尊敬する先輩としてあえて

敬語を使用しました)

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 我が学び 

細谷川(ほそたにかわ)

の水なれど、

流れ流れて 

ほつま大洋(おおうみ)             

須田りょう

 

私が嫁いだ時、お元気だった大姑様、それが 

りょう様だった。

若いころから真理を究明するため 様々な道をたどって

たどりついた文献が秀真伝であったと聞いている。


須田家と秀真伝研究の関わり合いは、りょう様の時代に

さかのぼるのだ。

 

りょうおばあ様と長女にあたる姑(はは)は、秀真伝

(ほつまつたえ)をもっと深く勉強したいという願いから、

昭和44年、6月、当時の秀真伝研究の第一人者、

松本善之助先生に師事することになった。


友人たちを招いて毎月2度ほど、松本先生を囲んで自宅で

勉強会が始まった。

それは一年半ほど続いたが、その後、姑(はは)は、国家

試験を取って治療師として仕事をする傍ら、秀真伝の研究

に没頭していく。

 

姑(はは)は、秀真伝との出会いから、13年間という

年月をかけて、丹念に秀真伝えのオシデ(古代文字で書かれた

原著)と対訳(40綾全綾)を記し、それをさらに、9回推敲

を重ねた。

 

そうこうしているなか、”手に負えない”秀真伝の難解な

部分にも遭遇していた。

それらの疑問を説くための 出会いが訪れる。


それは、秀真伝を守ってこられた小笠原家の代表者のかたが

須田家に訪問されたことだった。

昭和584月、小笠原通当(道正)様のひ孫にあたる小笠原

長清様より姑(はは)は お電話をいただいたという。


その用件は、ウエツフミの大家 吾郷清彦先生に小笠原様が

連絡を取られ、お会いしたいとお電話したところ、

吾郷先生から、

ここまで(島根県在住)来るのは遠いでしょう。 

横浜にホツマツタヱの研究をしている、須田正子さんが

いるから・・・”と 姑(はは)を紹介されたという。

 

かくして4月中旬、小笠原氏と姑(はは)は面識を持つ。

そして、この時、互いの研究資料の交換をしている。


姑(はは)は語る。

ともに、5人の方たちがいらっしゃり、私のつたない

研究原稿を求められ、この機会にいただいた、何冊かの資料

は私の研究にとって得難い貴重なものだった”と。

 

得難い資料というのは、何をさしているかというと、

四国・伊予宇和島仙台藩(伊達正宗の側室の男子が初代藩主)

の家老職であった、小笠原長弘氏とその甥の小笠原長武氏の

”秀真解説文”だった。


姑はのちに語っている。

“小笠原長武氏の秀真伝大訳を念入りに検討させていただき、

おかげさまで私の研究の三分の二が、形作られたのです。”

 

其の後、姑(はは)は嫁の私を連れて琵琶湖 西北の神社

を訪れた。

その理由は、その神社の御蔵深くに眠っていたといわれる、

虫食いだらけの秀真伝が発見され、それを拝見するためだった。

この秀真伝は新人物往来社で製本され、姑(はは)は買い

求めた。


姑(はは)は言う。

“この秀真伝の特徴は、オシデの横に格調高い漢文の訳

書かれていることでその漢文のおかげで難解で、まだ解決

していない箇所の解釈が進みました。“

 

今年、姑の刊行した秀真伝は、このように、長い年月を

かけて完成したものだった。

先人先達たちの解釈を始め、姑(はは)は 大いに参考

にした文献として下記の論文や研究を挙げている。

 

①平成593日発行/新人往来社/秀真伝

②滋賀県高島郡安曇川町 大字西万木(よろき)の

日吉神社(ご祭神 ニニギネの尊) 御輿蔵奥深く

埋もれていた ”天・地・人”それぞれ各8冊、計24冊

原典著者は 大田田根子命(おおたたねこのみこと)/ 

漢記筆録は 和仁估(わにこ)安聡(やすとし)氏 。

 

話しは一転するが、姑の実母、りょう様は 若いとき、

クリスチャンの賀川豊彦先生に師事していた。

そのとき、賀川先生がおっしゃったという、

”何千年昔より、伝えられた書籍を読むことが大切である”と。

賀川先生の指している本は 聖書の事だろうか?


しかし、何千年昔に書かれ伝えられた日本に残る書物、

それは、秀真伝のことと姑(はは)は語った。

秀真伝には、日本の文化の原点・ルーツが記され、

さらに、人として生きるべき道が 伝えられ ただの神話

ではないという。


むしろ、超古代史としてとらえ、この太古の書物を読むと、

それらのことが、実感として伝わるのである。

噛みしめて読むと、日本人として生まれたことの意味

深さも感じられるに違いない。

日本にいると井戸の中の蛙のごとく、他国での日本の

評価は、なかなか 実感で、わからない。

大方の国では日本は”いにしえの文化”を保持する 正直で

勤勉な国民として尊敬されている。

実際、私がインドに居た15年の間、常にこのような 

リスペクトの感情を 身近なインド人たちから感じられた。


秀真伝を今、私たちが読めば、きっと、眠っていた

日本人のアイデンティティー、和と平和を愛する国民性の

遺伝子的背景を知ることができるだろう。

さらに、これから、もっと、世界が必要とするであろう、

日本人の世界への貢献の意味も理解できるだろうと思う。

 

 

 

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