自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

生を全うする、という意味

2012年08月28日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

自分に頼れ、杖はいらない。  2012/8/28

 

* 自分の糞は自分で気張るがよろしい。 寄りかかることから

独り立つことを考えだしたら、

それが病人解脱の第一歩だ。

* 考え付かないまま、苦しみ足らず、煩い足らず、時には死んで

しまう人もあるが、惜しいことだ。

* もっと切実に苦悩煩悶させたなら、あるいは、発奮して、

自分の独り立つ姿を見つけえたかもしれない。

あるいは寄りかかるものが一切無力なるに気づいて、自分で

立ち上がったかもしれない。

* より掛るものを 病人に与えることは、親切らしく見えるが

かわいそうなことである。

以上(整体の神様と言われた 野口晴哉氏の言葉から)

 

 

*****自然治癒力セラピー協会から 一言 ****

”自分の糞は自分で気張る”という野口氏の言葉は、

”自分の中にある力しか結局病に、立ち向かう

ことはできない”という意味であろう。

それは、自分自身の中の生命力が鍵となる。 

食によりかかる、医師によりかかる、薬に寄りかかる、

占い師によりかかる、宗教によりかかる等など、

私たちは気が付かないうちに、何かに寄りかかって 

病をいやそうとしている。

 

”苦しみ足らず”、そのため、命を落とす人がいると

いうのは、禅問答のようだ。

苦しめば癒されるのかというと、そういう意味ではないだろう。

苦しみながら、自分の生命力を信じる、自然治癒力の

発揮に全力を傾ける、そのためには、

心配してくれる周囲の人とぶつかることもあるだろう。 

寄りかかるものを与えたいと提供されても、それを拒まなけれ

ばならないときもあるからだ。

何より、孤独の中で信念を貫きながら、不安を拭えない

自分自身と戦うこと、それが一番の苦しみだろう。

それでも切実に、求めていったとき、”自分の独り立つ姿”、

つまり、何にも寄りかからない、内にある、健康になろうと

働く体の不思議な力に信頼を置いている自分が顕現する。

 

”寄りかかるものを病人に与える”とは、そうした、一人立ちの

’しんどさ’から後ろに背もたれを与えて、

一時的に楽ができる状況を作ってあげるということだろう。 

背もたれによりかかって、背骨が曲がっていれば、病に

立ち向かうための気合ははいらない。

野口氏が、”自然健康保持会”を立ち上げられたのも 

生命は自然のものであることを信じ、人工的無病より、

人に本来備わっている、自然の健康を求められたからで

あった。

 

”人間にとって、なすべきことは、その生を全うすることだ。”

という野口氏の深い信念。

それは、´生’の本質を理解しして、’生命’の本質を十分に、

生かしながら、それに重心を乗せて生きる方法をとってこそ、

真の意味での全うすることになるのだろう。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 心の持ち方:口角が上がってい... | トップ | 真に言葉というものは・・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自然治癒力・生命力・発揮する考え方」カテゴリの最新記事