自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

アートマ・真の自由

2012年11月21日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

アートマをみつけるために

11月21日(水)

 

   

                         

 

“あなた方が、努力して到達すべきは、感覚からの自由であって、

感覚の自由ではありません。” 

とインドの聖者という。

感覚からの自由とは“感覚に支配されない”ということ。

つまり、感覚が生み出す欲望のいいなりにならないと

いうことでもある。

みなさんは 今までみてきた 5つの感覚器官の中で 

最もコントロールが難しいのはどれだと思うだろうか? 

それは、舌 とその 機能 だといわれている。

舌をコントロールできれば ほかの4つの感覚器官の

コントロールは 

た易いとさえ、インドの聖者は言う。

なぜなら 舌は二つの感覚を 司っているからだ。

それは 食べる事、”味覚”と 話すこと、”言葉”だ。

適切な言葉を口から出すことと、適当な身体に

有効な食物をとることは 

双方、生きていく中で慎重を要するところだ。

そして、このふたつの機能を 自由に操ること

ができるようになったとき、

人は自分の中のアートマと たやすくつながることが

可能だ とも言われている。

 

 なぜそれほど難しいかと言えば、誰でも失敗する、

舌の陥りやすい過ちのせいだ。 

さらに、体に良い食べ物は頭でわかって

いても、ついつい刺激を食べ物にすり替えることが

多いという現実だ。

 

前者からお話しすると・・・・

舌が陥りやすい過ちとは、

①嘘 ②噂話 ③他人の批判と中傷 ④話過ぎ

など。

どんな人でも心当たりが少なからず あるだろう。 

” あの言葉、言わなきゃ良かった”と一言を後悔する時だ。

舌によって、私たちの心の平安を乱す原因が造られる。

口から放たれた、言葉という”矢”は 肉体に刺さる

物質的な矢と違い、 心に一旦刺さったら、

なかなか、抜くことはできない。

抜くことができない、心の矢は、半永久的に残る 

怖い毒矢となることもある。

 

ペット好きな人は言う。

“犬や猫は何も質問しない。友人たちはいつも

私に質問して一言多いことを言って人を傷つける。

もしかしたら、私もそうやって人を傷つけて

いるのかもしれない。”

たしかに犬や猫は無駄なことは言わないだろう。

無駄なことも質問しないし、干渉しない美点を

持っている。

 

後者の、味覚 に関して言えば、身体に有効な食べ物、

心に栄養となる食べ物の選択がとても難しいことが

あげられる。

食物の摂取は心の平安と身体の維持に大切だ。

ところが、刺激を求めるために、味覚に頼ったり、

心のストレスから、

身体に害である物を摂取している場合が多い。

心の鬱状態が食に影響して過食症やその反対に

なったりする。

想い通りにいかないとついつい、食べることで、

体はそのイライラを昇華しようとしたりする。

心の持ち方いかんで、塩や砂糖のさじ加減が違う

ことも、台所に立つ人なら経験があるだろう。

 

アートマを自分の中にみつけるために平安な

心持を維持することは必要だ。

平安な心でいるとき、人は穏やかでやさしく 

温かい言葉と態度が他者に

外界に対して自然に表現されるはずだ。 

平安であるためには 摂取する食べ物の質が

関係する。

準ヴェーダと言われる、ヴァカバッドギータ 

の中で クリシュナ神 

と闘った ビシュマの言葉にそれがうかがえる。 

“心ない恥知らずの人々(カラヴァ兄弟のこと)

から受けた食べ物を

摂取し続けて私の血液は濁り、あらゆる清い想いが

それによって消されてしまった。”

と。

 

人間が束縛される不純な想い、

その根本的原因が食べ物にもあると

いうのはヴェーダの食に対するとらえ方だ。

 アートマとは真の自分であることをたびたび、

このブログで 述べてきた。

これを 仏教では仏性、キリスト教では内在する

キリスト、神性などと呼んでいる。

 

ところで、生き物、たとえば、動物や虫には 

それぞれ、

一つだけコントロール不能な感覚がある。

それによって、命を落とすことがあるほど、

それぞれの強い欲求にかられる。 

たとえば、鹿は聴覚、象は触覚、蛾は視覚、

魚は味覚、ミツバチは嗅覚というように。 

“飛んで火にいる夏の虫” といわれるように、

本能的に明るいものに向かって

飛び込んでくる蛾は、電灯にぶつかって、

身を滅ぼす。

 

私たち人間は一つどころか、5つものコントロール

の難しい感覚器官と

5つの感覚機能をもっている。

これだけでも、身を破滅に導かずにアートマへ

と向かう事は、

どれほどたいへんか 想像がつく。

 

それらの感覚を統御してアートマを実現するために 

昔から、様々な方法がとられてきた。 

いわゆる修行といわれる。

滝を浴びたり 断食をしたり、山にこもって瞑想したり、

ヨガのポーズをとったり、肉体の五感を自分(アートマ)

の支配下に置くため、

文字通り、肉体に鞭(むち)をうち、いためつけた。

しかし、私たちはそれらの修行が無意味とは言えないが、

必需だともいえないと考える。

なぜなら、修行のための修行になりがちだからだ。 

修行を多く積んだという自負が無意識に、

その人のアハムカーラ(エゴ自意識)

を強めることにもなりかねない。

大切なことは、自己の本性を知る、否、

気づけばいいということだけだ

 

ヴェーダ思想では、五感の感覚が マーヤ― と呼ばれる、

幻想でできた世界を創りだしているという。

マーヤーとは現実の幻の世界、三界は唯心の現れといわれる、

この現象世界をさす。

私が般若心経で解釈するところの、空の中、即ち、

時間と空間を造りだす、

空の点を軸に描いた、円内、それが、現象世界でもある。 

空間と時間に限定される、マーヤ―の一過性の

人生舞台である。

その幻を創りだしている元が われわれの五感の

感覚器官から来る情報と

それに影響されて踊る心(マナス)であるというのだ。

その幻を打ち破らない限りはアートマ顕現は不可能なのだ。

 

 

空の蒼さ~広さ~雄大さ~透き通るようなブルー~吸い込まれそう・・・・・   

 

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