自分に頼れ、杖はいらない。 2024/12/16
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*引き続き、整体の創立者、野口晴哉氏の言葉から:
①自分の糞(kuso)は自分で気張るがよろしい。
寄りかかることから
独り立つことを考えだしたら、
それが病人解脱の第一歩だ。
②苦しみ足らず、煩い足らず、
時には死んでしまう人もあるが、惜しいことだ。
③もっと切実に苦悩煩悶させたなら、あるいは、
発奮して、自分の独り立つ姿を見つけえたかも
しれない。
あるいは寄りかかるものが一切無力なるに気づいて、
自分で立ち上がったかもしれない。
④より掛るものを 病人に与えることは、親切らしく
見えるがかわいそうなことである。
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”自分の糞は自分で気張る”
という野口氏の言葉は、健康になるのも、大便をするのも
共通項がある~というわけだ。
健康になろうとしたら、トイレで、気張るように、
”自分"の力しか 役立たない。
それは、自分自身の中の生命力への信頼と理解
が鍵となる。
それが無ければ、便器がない所で、気張ることが
できないように、健康のシステムが
理解されず、力が出ないからだ。
人は、体調が不良になり、健康に自信が
なくなると、何かに頼る、つまり、寄り
かかりたくなる。
食によりかかる、
医師によりかかる、
薬に寄りかかる、
占い師によりかかる、
宗教によりかかる
等など・・・
何かに寄りかかって 不安を解消しようとする。
野口氏はそこで、②の次のように言う:
② ”苦しみ足らず”・・・・。
これは、一見矛盾した、禅問答のようだ。
では、苦しめば ’癒されるのか’ というと、
そういう意味ではないだろう。
苦しみながら、何も役に立たない、と感じた時
結局、自分で立つことを考える。
そこに来て初めて、寄りかからない方向に目を
向けることができる。
外部に頼ってみたものの、役に立たないと知り、
いよいよ、自分の生命力を信じる・・・
そうして、自然治癒力に焦点を定める。
野口氏は、整体の神様と言われる人。
整体は、背骨を中心に気を流していく。
これも、自然治癒力を奮い立たせるためだ。
それが野口氏の③の言葉につながる:
”もっと切実に苦悩煩悶させたなら、あるいは、
発奮して、自分の独り立つ姿を見つけえたかも
しれない。”
禅問答の答えがここにある:
切実に苦しみに打ちのめされて、一人で立つ、つまり
自己の生命力に気が付く人がいるからだ。
④の”寄りかかるものを病人に与える”とは、
苦しみに翻弄されている人の ’しんどさ’ を
気の毒に想い、立つよりは、寄っかかるために
”背もたれ”を与えることを言う。
こうして、一時的に楽な背もたれによりかかって
いる限り、その人は、いつまでたっても、
独り立ちできない。
むしろ、持たれて、背骨が曲がって、丹田に力を
いれて、クソを出すべき踏ん張り力が、抜けるだけだ。
背もたれを与えるのは、だから、決して親切な
行為ではないと、野口氏がここでいう、理由だ。
さて、
野口氏が、”自然健康保持会”を立ち上げられたのも
”生命は自然のものであることを信じ、人工的無病より、
人に本来備わっている、自然の健康を求められた”
からだという。
”人間にとって、なすべきことは、その生を全うすることだ。”
という野口氏の深い信念。
’生を全うする’とは、健康的に余生を送りつつ、
老衰して、自然に、枯れた木の葉が枝から落ちるような
静かな死を、苦しみなく迎えることだと、私は思う。
もちろん、生まれながらに、敢えて病弱な身体に宿る、
不屈な魂の持ち主もいる。
そういう方たちは、この例には及ばない。
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