奇蹟に隠された見えない世界の科学 2014・4・19
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サンピエトロ寺院のドームを原子の大きさとしたら?
バラの花の香りを生み出す聖者のお話しは先回させていただいた。
その中でどのようにしてバラの香りをつけられるか
という理由をヨガナンダ師は簡単に著書の中で述べていた。
“人間が感じる視聴臭覚・味覚・触覚のいろいろの感覚的刺激は
電子と陽子の多種多様な波動によって作り出される。
この波動の変化は、原子よりも一段次元の高い、プラーナと呼ばれる
精妙な生命エネルギー(これは知性を有するエネルギーでそれぞれの
感覚に相応する観念を内包している)の波動の変化に応じて
決まるのである。
ガンダ・ババは在るヨガの技法を用いて 自分自身をこのプラーナ
に同調させ、プラーナに直接はたらきかけて、その波動を構成しなおす
ことによって、目的の物や匂いを物質化することができたので
ある。”(引用終り)
”
この一行には
見えない科学の世界の法則がさりげなく述べられている。
”あるヨギの自叙伝”が書かれてすでに半世紀ほどたった現在、
ヨガナンダ師の生きていた当時とはくらべものにならないほど
ここで述べられている電子と陽子の多種多様な波動 等、
量子学で解明されるミクロの世界は より深く解明され知られてきた。
それも そのスピードは速い。
筆者の大学生の頃は教室では
“中心にある原子核を野球のボールに喩えると
原子核よりも小さな遠視が周回する軌道は野球場の外周に匹敵するほど
離れている“と教わった。
これは
“すべての物体は原子で構成されていて、原子の中心には原子核があり、
その周囲を電子が衛星のように回っている“という ラザフォードの説
を基にしていているが、すでに今では古典的なモデルとなって
しまっている。
その後、原子の重量の大部分を占める原子核の質量は、10万分の一
と言われ、研究が進むにつれ、素粒子がさらに詳細に分析された。
2014年秋現在では、原子核は原子全体の”1兆分の一”にしか
ならないと言われる。
〇を並べてみると、以前は”0.00001%”が原子核の原子に占める
重量だったのが、現在の量子学では”0.000000000001%”に
過ぎないとういうわけだ。
実際のわれわれの眼で見える物に置き換えて、これを喩えると、
原子をイタリアにあるローマ・サンピエトロ寺院のドームの
大きさとすれば、原子核の大きさはどのぐらいになるだろう?
ドームは直径34m、周囲100mある。
すると、中心にある”原子核”は”塩粒程度”の大きさに過ぎない。
そのまわりをまわっている”電子”といえば、舞い上がって見える
”埃(ほこり)”程度の存在になってしまう。
ここで自然治癒力的にこのことを見てみると、私たちが肉体に
備わっている五感の感覚機能の働きを再確認させられる。
私たちの認識している肉体は、”物体=固い物質”という常識である。
これほど、細胞を構成する原子、原子の核と電子との空間が
大きいものとすると、私たちの身体組織そのものは スカスカ
であるといえそうだ。
すると、五感の感覚機能で固体であると感じているこの認識は
科学的にみれば、錯覚以外のなにものでもないということになる。
物体は原子で構成され、原子の中身はスカスカな空間であるからだ。
こうした現代の科学的成果を踏まえると、
偉大なる聖者やヨギが起こすさまざまな、奇跡的行為の秘密が
科学的に実証される日もそう遠くないと感じられる。
冒頭のヨガナンダ師の言葉にあるように、この空間のエネルギーを
統括して意識的に組み直すことができれば、
”空間のエネルギーを自由に意思想念(聖者のエネルギー)で変えて”、
自由自在に花の香りを創りだしたり、
あるいは、肉体を瞬間移動させたり、
齢1000歳を超えても若々しい姿でいることができる”
ということになる。
空間には、そういう意味でエネルギーが満ちているともいえるだろう。
覚者は知っている。
そのエネルギーこそ、”物資の本体であり、われわれ人間も含めて
すべての被造物、あるいは、地上の存在物の実在の相(すがた)
である”ということを。
自然治癒力も、このエネルギーがなせる賜物だ。
現代の西洋医学を中心とする、人間は物質であり、病状が現れれば、
機械を修理するようにその箇所だけの不具合を油をさしたり、
ネジを交換したりして治すことが本筋だとする考え方は、肉体=物質
という事実に成り立つ。
しかし、そうでないことが証明されれば、”エネルギー本質論”に
立ち返るならば、そのような療法自体は、根本的に見直される
ことになるだろう。
矛盾に満ちているといえよう。
それが効果あるとしたら、それも結局は、医師と患者の信頼関係、
周囲の人々の”愛やいたわり”、など目に見えない要素(プラスエネルギー)
さらに、”感謝”と”受容”といった患者の心も大いにプラスに関係して
いるに違いない。
あるいは、
その人がいかなる状況でも”この世での使命”が残っていれば どのような
状況に置かれていても“生かされる”だろう。
そして、薬や二義的なものに頼って治ったとしても、結局は
それらの物質や方法が、本人の”生命力よ自然治癒力への導火線”
となったといっても言い過ぎではないと思う。
結局は本人の中にある生命力しか、自己を癒すことはできないからだ。
とはいうものの、こうした考え方に違和感を覚える方もいるだろう。
かの有名なアインシュタインのお話しをここで思い出す。
それは”すべて存在する物、人間もふくめ”、
“すべて質量あるものは、遍く、膨大なエネルギーに変換される”
と証明した。
その方程式が E=mc2[二乗] だ。
(m=エネルギー、m=質量、c=光速)
アインシュタインの功績は、”粒子とエネルギーは分かちがたく
渾然一体”であることを証明したことだろう。
エネルギーが変われば、その原子の粒子も変わる。
否、エネルギーを変えるから、その原子を変えることもできる
ともいえるだろう。
想念も、エネルギーだ。
もし、それが証明されれば、肉体=物質で堅い固体であるという
常識を基盤とした、現代の医療そのものは根底から見直される
時が必ず来るだろう。
心には力がある。
いいかえれば心で作り出される想念には力があり、それは、
エネルギーにほかならない。
先のアインシュタインの方程式でいえば、エネルギーは
質量をもつ物に変換できる ということがここでもあてはまる。
つまり、健康な想念は健康な体を造る と言い変えることが こ
の方程式を応用的に考えていけば、できるのだと思う。
参考図書)”見えない世界の科学が医療を変える”
長堀 優著 でくのぼう出版 2013年
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