自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

コナン・ドイルのスピリチュアリズム(1)

2018年09月22日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


ドイル氏のスピリチュアル研究の背景 2018/9/22

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前置き)ESP体験、いわゆる超常現象とか霊的現象というのは、

自然治癒力セラピー協会で扱うジャンルではないと思っている。

 

が、コナン・ドイル氏のそれは、ある意味注目に

値するものかもしれない。

というのは、当時(あるいは、今も?)サー(Sir)の

名誉ある称号を与えられていたドイル氏が、こうした超常現象

研究に没頭していること事態、ともすれば、非科学的で

あるということから、

 知識人からのバッシングにあったり、名声ですら、剥奪(

はくだつ)される可能性があったからだ。

 

実際、幾人かの高名な学者たちは、心霊的興味を明らかにして

一線から身を引かざる得なかった。(下記参照)*1~

 

ドイルが、心霊現象を通じて、何を究極的に求め、

何を訴えたかったのか?

そこには、”人間の本質”にかかわる”彼のメッセージ

があったように思う・

 

”人間の本質” とは何か?”自分”とは? 

そうした疑問を持ち、自分の内面へ

の探検を始めるこが、自分自身の中にある

霊性を磨くための1つの行為だと私は思う。

 

人は誰にでも、霊性がある。それに興味の

ない人も存在するし、そうであっても、

世の中を渡っていく上では、とりたてて

不都合はない。 

が、いつか、ヒトは 自分の霊性と向き合う時

が、必ず来るだろう。

 

本質というのは、自分のルーツにも似ていて、

子供が親を求めるように、ヒトは自分のルーツ

に自然に回帰したいという、深い願いが

誰の心にも、あるはずだから。 

 

ところで、心霊学においては、大方の実験

は霊媒というツールを通して、行われることが多い。 

しかし、特殊能力をもった、霊能力者が

”健全か”といえば、必ずしもそうではなく、

霊能力者が自然治癒力を発揮しやすいかと

いえば、そうとも限らない。 

 

ドイルの心霊学へのアプローチは、

そうしたEPS体験をもとに展開されていくが、

彼は、単なる心霊現象の研究を超えて、

宗教を超えた”何か”に的を最終的に

しぼったようだ。

 

それは、人間の本質を、当時の社会の中で

大きな影響力を持っていたキリスト教的

倫理観を超えて、見据えたという意味で、

彼らしい心霊学のメッセージがあるように

感じる。

 

’霊性’とはそもそも、何か?

霊性は霊能力でも、超能力が

あることでもない。

果たして、ドイルは霊性の研究で、

霊性の意義をどのように考えたのか? 

このあたりもまた、興味があるところだ。

 

コナン・ドイルは世界的に有名な

シャーロック・ホームズ探偵の生みの親で

知られているが、一方彼自身が精魂こめて

霊的探究に取り組んだことを知っている人は

そう多くないかもしれない。

 

1926年には、一巻と二巻合わせて、

7百ページに及ぶ、“スピリチュアリズムの歴史”

という大著を発表した。

そもそも、日本では、スピリチュアリズム 

という言葉自体、胡散臭く感じる人が

多いようだ。

 

日本に住民票を移して1年ほどたって、

宗教心理を少しかじる内に研究者の方たち

との話の中で、この言葉を使うときには

誤解を招かないように、慎重さが必要だ

ということを知った。

 

本来、スピリチュアリズム というのは、

最近の日本で話題になるような、幽霊や

心霊的な類(たぐい)に関する分野とは

異なっているのだが 日本では、実証性の

根拠が薄い、霊の話などが、

スピリチュアリズムと考えられていることが多い

という話に驚いた。

 

Spirit というのはキリスト教文化圏で

いう所の、聖霊をもともと意味して

いるが、転じて、人間の“自我の根源”

ような意味で使われてきた。

 

サイケという言葉もこれに準じていて、

日本語でそれを“霊”と訳したため、

曖昧な意味合いが混流してきたような気がする。

 

古来からの日本語を使うのならば、

むしろ、“魂”という言葉のほうが適切な

気がする。

魂は物的な身体に入ることで、ヒトとなり、

身体的な五感の機能との相互作用

で感覚や意識などが芽生える。

 

成長するとともに、その独自な感覚意識は、

“個性”的な“自我”を形成していく。

スピリチュアリズム というのは、

そのヒトの“魂”の自覚を促して、“本来の自分”

という、現代社会で見失われがちな

“魂的自分”を探究しようとする“働きかけ”と

いってよいだろう。

 

スピリチュアリズムの考えの基盤は、

まず、そこにある。

そして、魂というのは肉体死後も存続する

わけで、肉体はこの世に存在する

ための“衣服”、“地球服”にすぎない~と

理解したうえで、魂の直視が可能に

なるのだろう。

 

だから、“肉体死後も生き続ける”という

認識は、スピリチュアリズムの基本だ。

 

近年では、実証的事実をデータとしてそれを

もとに、この二つの基本的見解を示している

のだが、それを”近代スピリチュアリズム”

という呼び方をしている。

ドイル自身、当初は、こうした霊的云々の

事柄には懐疑心を抱いていたようだ。

が、納得いくまでそうした事象の研究を

続けた結果、“人類にとって、最も重大な

”ことは スピリチュアリズムの理解

結論づけた。

 

私自身、個人的に、ドイルの

スピリチュアリズムへのアプローチを知る

ことは、わくわくする。

なぜなら、ドイルは、エジンバラ大学の

医学部を卒業した医師で、シャーロック

・ホームズという名探偵の生みの親で

明晰で、理知的な判断をこなす人に違いない

というイメージがある。

 

頭(ブレイン)の生みの親~そのドイルの、

‘自己追跡でもある、魂への旅’の足跡を、

彼のスピリチュアリズムの研究とともに

追うのは、推理小説以上に、

スリルに満ちているような気がするからだ。

 

これからご紹介するドイルが人類に対して、

“新しき掲示”と名づけ、“重大なるメッセージ”

と呼んだ”スピリチュアリズム”についての本を

書いた背景に、一言触れさせていただく。

 

ドイルが、著作を発表する背景には、

第一次世界大戦があった。

 

ドイルの母国、イギリスは植民地支配で

その権勢を伸ばし、他国の利権を、

手段を選ばず奪い、富を搾取する

資本主義的社会構造があった。

主戦場となった、ヨーロッパは

その精神文化の支柱をキリスト教に置き、

すでに2千年経ていた。

 

愛を教えるキリスト教の精神が”対戦”

という修羅場・土壇場で活用されて

いない、現場を目のあたりにしたドイルは、

形骸化したキリスト教の体制

を強く感じた。

形骸化した理由,それは、教会の”しるしと

不思議を無視した”人工的教えが

その理由の一つと考えたようだ。

 

そうした社会的背景の中、霊学の研究で

得た彼の結論を、”新しき啓示”

と呼び、スピリチュアリズムの隆盛が

世の中を立て直す一つの手段と

考えたようだ。

 

そうしたことを念頭に、近藤千雄氏訳で、

要所をかいつまみながら、

ドイルの”魂の旅”に皆様と御一緒したい。

次回から、著書の要点を抜粋してお話を

続けていきたい。

 

~1 参照記事 

スピリチュアリティと世間の風当たりとして、 

2017年・6.月15日に投稿した中の一部です。

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”人間・この未知なるもの” の著者 アレクシス・カレルは 

ノーベル・生理医学賞を1912年に受賞した。

組織培養法を発見し,血管縫合術,臓器移植法を考案して

現代医学の礎を築いた功績がたたえられた。

ところが、氏は、1904年に故国フランスを離れ、

アメリカ・カナダにわたっている。

 

その一番の大きな理由が、1902年に、巡礼団付き添い

医師として,キリスト教聖地、聖地ルルドを訪問した際、

重症の結核性腹膜炎の少女,マリ・バイイが聖水を浴び,

急速にその症状が回復した事実に遭遇したからだ。

 

そして、この時の事例を、「ルルドの奇跡」が実在したとして、

リヨンの医学会で発表した。

ところが、このことが、きっかけとなり、医師仲間からは非科学者

とそしられ、実質的な医療活動が 故国ではできなくなった。

 

シャーロック・ホームズの名前を知らない人はいないだろう。

彼は、アーサー コナン ドイルが生み出した推理小説の中の

有名な主人公だが、この生みの親、コナン もまた、イギリスの

王室からサーの敬称を与えられたにもかかわらず、人生晩期、

教会からは疎んじられるようになった。 

 

なぜなら、彼は心霊学に傾倒して、”今のキリスト教では人は救えない”

と公然と、背反的意見を述べていたからだ。

結局、小さな名も知られない教会の墓地に眠ることになった。

 

ところで、最近、宗教心理学の研究会代表を務める先生とメールで

こんなやり取りをさせていただいた。 

それは、”宗教というのはスピリチュアル という広範囲な捉え方で

呼ぶことができるか?”という質問と、 心療内科設立者、池見博士が

提唱している信条(*須田注:先回の記事の後半に記載してあります)は 

宗教心理学の分野として考えて良いかという確認だった。

 

二つの質問に対して、肯定的お答えをいただいた。 

が、心療内科でいう所のスピリチュアル的提示の方法は、

今後の課題となるだろう、というコメントも頂戴した。

 

やはり、現代においても、コナン・ドイルの時代とあまり変わらない

一種の”うさん臭さ”と”非科学的”な趣は、”心霊”とか”スピリチュアリズム

という言葉に対して、まだまだ、残っており、専門的学会や、

学術的分野で、魂や霊的な話はタブー視される風潮があるのかもしれない。

 

 

 

参考著書:“The New Revelation by Arthur Conan Doyle” (1918 )

 Psychic `Press Limited, 23 Great Queen Street, London, 

WC2B5BB, England

 

注1 ~ 以上”~”の引用部分 

= ”コナン・ドイルの心霊学” 新潮選書、コナン・ドイル著、

近藤千雄翻訳 1992

 

 

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