’人生は闘いだよ’ 2024年1月14日(日曜日)
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前書き)
自然治癒力とヨガとの関係は、治癒力を発揮するためのスピリチュアルな
原理ということでしょう。
今 ご紹介しているクリシュナのお話も、ヨガのいくつかの原型がそこに
登場しています。
今日から、少しそれに触れていきたいと思います。
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ご紹介している、ギータに描かれるお話は、クンティ家と
その敵,ドリタラシタラ(Dhritharashtra)家の闘いでもあります。
これは、インド古代の歴史のお話でもあり、現代にも通用する
象徴的なお話ともいわれています。
というのは、現代の社会をみても、戦争や内紛が絶えず、勢力の闘いが
絶えないこと・・・だけでなく、私たちの心の中にも、勢力(信念)の葛藤
があることは、数千年前も今も、変りはないでしょう。
それが、このギータのお話の、アルジュナとクリシュナの時代の闘いと
とても、共通しているというわけです。
精神的な闘いの中では、本当の敵は、自分自身かもしれません。
自分の中には、本当にたくさんの’自分’がいて、それぞれが、別の顔をもち、
何かの課題にあたったとき、それを、どう対処していくかは、やはり、自分自身で
決めていくわけしかない・・・その時に必要な、スピリチュアルなヒントが
ヴァカバッド・ギータのクリシュナの言葉と共に、描かれているといえそうです。
私たちの心が、迷い混乱するとき、正しい答えを探そうとします。
私たちの生きている世界には、”絶対的真実”が、もし、あるとしても、多様な
価値観の中に埋もれていて、なかなか見いだせないから、人は納得がいく、解決法
をすぐ、見出しえないのかもしれません。
”人生は闘いだよ”という人がいます。
それは物質的な闘いであると同時に、心の葛藤や悩み・苦しみの打開に、人は闘い
続けているということでもあるかもしれません。
そのジレンマが、ギータの中で、アルジュナの迷いに見られます。
彼は、親戚の仲間や、自分の師に歯向かい、武器をもって、戦うという行為と、
そうした行いの意義を、”大義”の中に見つけられず、苦しむのです。
ところで、クリシュナが味方に付いたアルジュナの属する、クンティ家は
スピリチュアルな存在として暗示されています。
一方、親類にもあたる敵方ドリタラシタラ家は 物質的な象徴として描かれています。
だから、双方の闘いは、’聖と俗的象徴’の闘い’と言えます。
’神に従順な心と、それに相反する心の闘い’、とも言えるでしょう。
インドの賢者は、この闘いは、現代の私たちの心の中で毎秒起きている闘いでも
あると教えています。
ここで’神’といっても、特定の’神’ではなく、人によっては、’宇宙の意思’とか、
’最高の善’とか、’大いなる人智を越えた力’とか、’Super Consciousness’ とか
さまざまな呼び方があるでしょう。
スピリチュアルに興味のある人や 精神的理想を追う人にとっては、自分の心
の葛藤や価値観同士の格闘が、毎瞬、私たち一人ひとりの心の中に繰り広げられ
ている自覚があることでしょう。
私にとっては、’アートマと自我の葛藤’といえます。
ところで、ヴァカバッド・ギータの第二章で説かれた、ヨガ(教え)の軸は、
”サンキャ・ヨガ”といわれます。
具体的には、自分の本質である、”アートマとは何か”を理解すること、
アートマを自分にも、闘う相手にも、見出すこと、
感情に左右されない、アートマを見据える不屈な信念を養うことなどの
大切さを、クリシュナはアルジュナに説いています。
それによって、神の心と一体になることが可能であるヨガの行法
になるというのです。"サンキャ・ヨガ”と呼ばれるヨガの行法です。
次回から、少し、具体的にお話させていただきたいと思います。
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