”恐れを自分の心から抹消できれば癌も癒える”の意味再考 2019・3.20
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前置き)
先日、何年振りかで渋谷のスクランブル交差点を渡った。
学生時代の仲間たちと会うためだ。
その折、数人の仲間が癌の摘出手術を余儀なくされたことを知り、
心を痛めた。
アニータの例は特別かもしれない。
誰もが臨死体験をするわけではないし、彼女が悟ったような、
素晴らしい自分の本質を自覚できる機会はめったにない
といってもよいだろう。
でも、彼女がこの体験を発表した意義は深いと思う。
それは、彼女が語る、愛されるべき、そして無条件に愛されている
自分の魂の本質は、誰にも共通だということだから。
私自身、余命宣告を受けた体験者としていえば、当時の自分の生き方
や考え方と照らし合わせてみると、’恐れ’とは別名、’怒り’と
言い換えてもよいかもしれないと考えた。
それは外部に対しての’怒り’であると同時に、自分に人知れず向けられて
いる’怒り’であることが多いのではないか~と感じる。
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”恐れを自分の心から抹消できれば癌も癒える”というタイトルで
連続して記事を書いている。
このタイトルを見て、どのくらい、”うん、そうだ”と、ピンと
その意味合いを察してくださる方がいるのかと訝った。
むしろ、抽象的でわかりずらいタイトルだと思う。
”恐れ?
今現在、癌や病気になっていないのだから、癌が見つかったら、
考えてみよう。
でも、癌が見つかったら、誰だって怖いでしょう。
恐怖が原因だというのは、おかしくない?”と
思う人が大方だと思う。
なので、もう一度、アニータがここでいう”恐れ”について、
少しまとめさせていただこうと思う。
アニータは彼女の自著(*1)で次のように書いている。
”While I was in that state of clarity in the other realm, I instinctively
understood that I was dying because of all my fears"
訳すと、
”私が臨死の世界にいた間に、直観でわかったのだ。
それは私が(癌で)死につつあるのは、すべて私の’恐れ’から
きていたことだった~と。”
そのことはどういうことかといえば、次の言葉がそれを
具体的に説明している。
”I wasn't express my true self because my worries were preventing
me from doing so.”
つまり、
”私はいつも心配ごとをかかえ、それが自分を本当の自分たらしめる
ことに妨害となっていた”というのだ。
そして究極的なアニータの癌に対する見方は次の言葉にある。
”It was just my own energy , manifesting as cancer because
of my fears weren't allowing me to express myself as the
magnificent force I was meant to be."
訳すと、
”癌は私自身のエネルギーの現れ、なぜなら私は自分を外に
表現できず、表現することに恐れを持ち、
本来の自分の持つ力を抑えていたからだ。”
もっとこの言葉を突き詰めるのなら、彼女は
恐れ=他人・家族・社会が自分をどう評価するか心配=を持ち、
自分を外からの基準で審判し、批判し、自分自身に
つらく当たりながら生きてきたーということだろう。
そんなアニータだったが、臨死体験中、自分の’小我’が’大我’
となるのを体験した。
そのとき、自分は愛すべき、愛されるべき自分だったという
事実に気が付き、同時に、自分が癌になり今、瀕死の床について
いるのは、すべて自分が持っていた、”恐れ”から来ていた
と悟るのだった。
”It had nothing to do with anyone else. I was the one who was
judging me, whom I 'd forgiven, not other people.
I was the one who was judging me , whom I'd forsaken, and
whom I didn't love enough.
It had nothing to do with anyone else. I saw myself as a beautiful
child or the universe.
Just the fact that I existed made me deserving of unconditional
love.
I realized that I didn't need to do anything to deserve this-
not pray, nor beg,not anyathing else.
I say that I'd never loved myself, valued myself, or seen
the beauty of my own soul."
”私が、ほかの誰でもなく、私自身が赦されていた。
自分を批判したのも、愛情をかけなかったのも、見捨てようと
していたのも、私がそうしていただけ。
事実は、無条件の愛情を受け取るために、私は存在
しているということ。
そのために、特別に何かしなければいけないわけでない。
祈ったり、懇願したり、ほかのいろいろな手段は必要なかった。
私は、今まで自分を愛したことはなかった、自分の価値を知らず、
私の魂の美しささえ、見ていなかったことに気が付いた。”
こうしたアニータの気づきは,自著の中で語られる。
が、くどいようだが、一番の癌になった要因についてアニータは、
'恐れ'が原因だという。
その恐れがあるために、楽しく美しく愛されるべき自分であることを
忘れ、人の価値感や社会の価値観の定規で、いつも自分を批判してきた
アニータの、つもりつもったエネルギーが癌となって表出したと、
アニータは知ったのだった。
人が社会人、家庭人、良識ある人間として生活するなかで、
本当の自分を見失っていく要因になるもの、の一つも、
”恐れ”ということになるだろう。
言い換えれば、恐れがあるから、”本当の自分を見せたくない”、
”人から悪く思われたくない”、”批判されたくない”、”無視されたくない”、
”人と違って変わっていると、つまはじきされたくない”、ということに
なる。
中高生の間で、一時、話題になった話がある。
”ラインの友達からくる返事に、一喜一憂するほど、誰かと
つながっていたい” という思いから、返事がなかったり、既読にもならず
そうした’恐れ’が、’自分’を見失うきっかけになっているとアニータは
言う。
自分がそのままで無条件の愛情に包まれていること、無限の大いなる力
の具現した存在が自分だと悟ったとき、”恐れ”の、根っこは
その時こそ、冒頭のタイトルの”恐れがない”という状態になった。
(*1) " Dying to be Me"My journey from Cancer, to Near Death
to True Healing by Anita Moorjani Hay House , 2012
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