自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヨガのイロハ~一元思想:感覚と一夫多妻の関係

2021年07月23日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

感覚を制御する方法             2021年7月23日

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先回は諸感覚の位置づけについてお話ししました。

’舌を制する人’は、自分自身を制しているといえる~とは、

インド修行時代に、先人たちから聞いたことです。

なぜなら、舌は、二つの大きな仕事をしているからです。

一つは、口の中で、’食物の嗜好’と、二つめは、’

言葉を司る’働きをしているからです。

 

口に入れる食物が、添加物が少なく、塩や砂糖が

効きすぎていないで、身体に優しいものだと、味わって

判断できるのが舌の役割です。

舌が確かなら、健康を促進する健全な食物を消費する

ことが容易でしょう。

また、他人に喜びを与える優しい話し方や、自分の想念

や感情を穏やかに、正しく他人に伝える任務も持って

いるのです。

 

こうした本来の舌の働きですが、今は、薬剤や麻薬、

酒や行き過ぎたカロリー高い食べ物や、喫煙、飲酒、そして

他人の悪口や批判をすることに、快感を覚えるように

なってきているという、残念な事態になっていると、

先人たちは警告してきました。

 

サイババ師は、舌のみならず、5つの感覚器官はすべて、

神から与えられた、それぞれ、その目的に相応しい

使い方をしている限り、その人には、神の

祝福が与えられるとしています。

 

今日はそのあたりから、お話しさせてください。

 

“初感覚に定められた目的のために、神から与えられた

諸感覚を正しく用いることによって、はじめて人間は

神の高さにまで、向上できます。

 

自分が感覚器官を所有しているからといって、あなた方

はその器官を勝手に気ままに用いることは慎むべきです。

感覚器官は、戦車にくびきでつながれた馬のようなものです。

この感覚器官という馬を正しく、さばくことで、戦車が

人生の究極の目的までなめらかに安全に進むことが

できるのです。

 

馬は戦車の前に置かれます。

が、こんにちでは、逆です。馬は戦車のうしろに

繋がれています。

 

さらに、感覚を尊重するあまり、繋げるのはふさわしくない、

戦車の中にいれて置こうと考える人達もいるのです。

馬(諸感覚)を戦車の中に入れてしまうなら、

どうやって、戦車は動くのでしょうか?

 

感覚を大切にするばかりで、内面的に制御するという

努力は、いったい、どこにいってしまったのでしょうか?

 

こんにち、このようにして、感覚を甘やかし、それに仕事

を与えないということをしているケースが多い。

そのため、感覚は暴走して、主人に災害を与えるという

結果に終わってしまうのです。

感覚を大切にしすぎるために、馬に上等な餌をしこたま与え、

法外に太らせ、役にたたないほど、肥えてしまうという、

厄介な結果を生んでいるのです。

 

この状況は多くの妻を持った王様に喩えられます。

ウッタナバーダ王には二人の妃(きさき)がいました。

この二人の妃が対立したために、ドルーヴァ王子は

森にはいって、苦行をせねばなりませんでした。

 

また、ダサラダ王には三人の妻がいました。

一番年の若い妻の要求にこたえるため、王は、

最愛の息子ラーマ王子を森に追放するという苦痛を

味わいます。

そして、結局、息子との離別の苦しみのため、命を

落とさねばならなかったのです。

 

これが二人か三人の妻を持った男の苦境とするの

なら、10人の妻を扱う男の状態を想像してみなさい!

 

心という重要なVIPは、5つの感覚器官と、5つの

行動器官を操らなければならないのです。 

各器官は自分で選んだ対象物で楽しみたいと、主張します。

たとえば、鼻は、マサラ・」ドーサ(南インドの美味しい

食べ物)の香りに魅惑されています。

 

耳は快い音楽を楽しむことができるように、ラジオを

一定の局に合わせたいと主張します。

目は、新しい映画を見たいと切望しています。

 

このように、それぞれの感覚器官が、まるで、

王様の妻たちのように、好き勝手に自分の欲望に夢中に

なっていて、主人である‘心’はどのようにして、その全部

の要求を満たすことができるでしょう。

 

それが不可能なとき、心は挫折を味わいます。

そんなことでは、10人の妻と結婚した、この心は、

平安を楽しむ余地もなくなるのです。

これは一つの喩(たとえ)です。

 

諸感覚を、正しい規制のもとに、置いて、初めて、

人は、平安を味わい、周囲の人達をその幸せを

分かち合うことができるのです。

 

諸感覚の要求を一致させる方法は無いのでしょうか?

一つ、その方法があります。

これは、善も悪も、公平な心で扱うということです。

 

具体的な例をお話ししましょう。昔、トゥカラムと

いう人物がいました。

彼はこの点で優れた例を示しています。

彼は偉大な帰依者で、非常に優しい心の

持ち主でした。

 

一方、彼の妻は、がみがみと不平ばかりこぼす、

女でした。それにもかかわらず、

トゥカラムは、冷静と忍耐で、妻とうまく

やっていくことができました。 

人は、売り言葉には、買い言葉のしっぺ返し、

歯には歯を、という信条に

囚われている限りは、不和と面倒にぶつかります。

 

ところが、トゥカラムは忍耐に富んでいました。

彼は家族を養うために、2分の1エーカーの小さな

農園を耕していました。

近所の人に頼まれて、彼はあるとき、その狭い

土地に、サトウキビを栽培しました。

作物が熟したとき、トゥカラムの善良さに

付け込んだ、多くの通行人が、サトウキビを

少しずつとって、噛むようになりました。

 

残っていた作物全部を収穫する時期になりました、

トゥカラムは、残ったサトウキビを束にして

自分の荷車に積み、家路に向かいました。

途中で、村の子供たちが彼の周りに集まり、サトウキビを

ねだりました。

 

トゥカラムは、気前良さを発揮して、荷車のサトウキビを、

自由にとって行きなさいと、子供たちに言いました。

最後に家に着いたときは、サトウキビが一本だけ、

残っている有様でした。

 

これを見て、妻は、カンカンになって怒り、

トゥカラムを罵倒しました。

‘あんたは、家庭生活に向いていないよ!’、

と言って、荷台に残っていた一本のサトウキビを

持ってきて、それで、夫をたたきました。

 

サトウキビは3つに折れて、そのうち2本は地上に

落ち、1本が彼女の手に残りました。

トゥカラムは、そこで静かに初めて口をききました。

‘私は帰り道で、ずっと、1本だけ残ったサトウキビを、

家族三人にどうやって分配しようかと考え考え、

帰ってきたのだよ。

 

すると、今、お前が、この問題を見事に解決して

くれたので、嬉しいよ。

お前はその手に持っているサトウキビを食べなさい。

地面に落ちたこの2本は、二人の子供に分けてやると良い。’

 

このような平静な言葉は、高貴な魂の持ち主にしか

使えないものといえます。

この性質は、献身を信仰によってのみ、得られるものと

言っても過言ではないのです。

 

神に帰依するという、その信仰と献身は、言い換えれば、

神に完全に、総ての事象を、安心して、信頼して、

お任せする心持で、自分の目の前にある、

するべきことを平静に専心しているという美徳を

養うことなのです。

この方法で、感覚を確実に制御することができます。“

(以上サイババ師の講義から)

 

まだまだ、サイババ師が語る、このお話しは続きます・・

 

 

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