自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

息子にワクチン接種拒否した背景

2014年10月11日 | ワクチンと健康

犬のワクチン弊害、ペット先進国では重視されている  

2014・10・11

**********************

 

いつだったか、ブログに、ワクチン接種の話の中で長男の

赤子時代には副作用が出た種痘以外は、予防注射を拒否した

ことを書いた記憶がある。

 

その時を思い出してみると、長男が乳児の時、種痘摂取を

受けて、その副作用で高熱が出て、 川崎病の疑いありと

町医者が診断し、大学病院への紹介状を書いてくれた。

川崎病の疑いのありと診断が下った。


幸い、姑の理解を得て、まだ一歳足らずの息子に手当

(今でいう、アートマセラピー)のみで対処する判断を

下すことができた。


こうして、必死に、文字通りの気功の流れを整え、

自然治癒力を発動させて、何とか、大学病院に行かず、

その事態を乗り越えた。


人によっては、こうした処置は、リスクある行動と

考えるだろう。


しかし、ワクチンの副作用だとしたら、そして、それに対して

西洋式対蹠療法で症状を抑えていくことは、かえって、幼い

息子の体から、生まれながらの免疫システムや、新陳代謝の

生体の自然治癒発動力を弱めることになると、当時、私は

直感した。

 

そして、それ以来、定められたワクチン接種は受けなかった。

息子は、2歳でバンコク暮らし、それからは 印度のデリーで

生活を余儀なくされたが、現地で、風邪やコレラやデング熱に

かかっても、彼の体は薬を取ることなく、十分耐えうる免疫力

と、自然治癒力機能が醸造されていた。

私(母親)にとっては、もしものことがあったら過失致死事件に

なるかもしれないというリスク覚悟で、同時に、必死の覚悟と

渾身のセラピーで、異国での、流行り病から、自分も、そして

息子も、乗り切った。

 

当時は、他人にはセラピーは行っていなかった。

しかし、運命の計らいか、私自身の余命宣告の体に、あるいは、

息子の海外でのこうした熱病に対して、セラピーを施すことで増々、

自然治癒力を引き出す施術を、実地体験で学んでいくことができた。

 

正直、インド・ニューデリーで飲んだ水道水が原因で、コレラに

息子がかかった時は、さすがの私も、救急車を呼ぼうか?と

想った。

自信がなかった。


10歳足らずの小さな息子の体が、痛々しかった。

米のとぎ汁のような下痢が数分間隔で続き、目の前で 

彼の眼球が落ち込んでいく。


顔面蒼白で脱水症状になるのを、セラピー手当で対処する

のは危険だと感じ、いよいよ、救急車をよぼうとした時

だった。

 

息子自ら 宣言したのだ。


”今までママが僕に手をあてて治してくれたじゃない。

大丈夫だよ。

僕は、病院には行かないよ。

ママが、治してよ。”

 

アフリカの栄養失調の子どもの目と、同じだった。

その、息子の落ち込んだ目でそう、訴えられて、そのとき、

初めて、私自身の命を賭して施術しよう息子に向き合った。


何時間か、必死で”祓いの言葉”を唱えながら、言霊で、浄化

をつづけながら、施術をしていたときだった。

症状は少し緩んだのか、息子が突然、”マックのバーガーが

食べたい”と彼の口から出た。

良くなっている! 信じられなかったほど、突然の言葉に、

彼の食欲が戻ったことを知り、そう、私は確信した。

 

これを機に、息子の命は、大丈夫だと内心大きく、安堵した。


翌日にはほぼ、下痢はとまり、果物などを口にすることが

できた。


こうした体験によって、自然治癒力機能を持っている生体

の素晴らしさ、人の身体の、免役システムや代謝機能は、

コンピューターより精密に 細胞の原子レベルで、計算

されて発動されていると感じた。

 

さて、ワクチン予防接種は 時として弊害になる

いうことを、乳児だった、息子の種痘摂取のあとの

症状で理解した。

 

 

 

ならば、犬も・・・?

チュチュとチャチャはインド時代から日本に連れてきた

ラサ・アプソー”と呼ばれるヒマラヤのテリア種だった。


彼らは、日本に連れてくるのにあたり、かなり、煩雑

な検査と書類などが必要だった。

すべての検査をクリアーするためには、一年に近い

歳月がかかった。


血清検査では、氷漬けにしたボックスの中に、血清を

いれて、デリーから東京まで飛行機で、自分が、運んで

特定の指定機関でそれを調査してもらい、健康体で

ある証明書を取らなければならなかった。

 

愛するペットたちとともに、日本で暮らすためには

致し方ないことと、を飲む気持ちで マイクロチップ

を 彼らの体内に入れた。


チップは体に害があるという。

そこの部位に癌などができることが多々あると言われて

いる。


中学時代からの友人、Mさんも チップをいれた箇所に

癌ができてしまったワン君の話を、先日話してくれた。

 

 

チュチュとチャチャ は、短期間で、身体には過酷すぎる

準備を強いられた。

インドにいれば、まず強制的に行う必要のない、各種の

ワクチンや予防接種を、一年足らずの間に次々と

おこなうことになった。


5種混合注射、フィラリア薬やノミ取り用のフロント

-ラインの多岐のの使用、そして狂犬病の注射。

 

今にして思えば仕方が無いとはいえ、まだ2歳足らず

の彼らの幼い身体に、少なからず、影響を与えただろう、

と その過酷さをわが身の身体に受けたように辛く、

反省している。

 

日本では、ずいぶんと保健衛生上のためか、ペットには

厳しい社会的規制がしかれているし、ワクチン摂取も

飼い主は徹底して守る。

 

 

外国では、どのような規制になっているのだろう。

たとえば、狂犬病ワクチン接種を例にとっても、日本は

他先進諸国と比べて、厳しいようだ。


狂犬病は犬だけでなく、ネズミやリス、ハムスターなどの

小動物からも噛まれて人が死ぬことがあるという。

 

しかし、日本の場合、昭和32年(1957)以来 

狂犬病のケースは見られず、世界でもイギリスやオースト

-ラリア、北欧3か国などの11か国と同様、狂犬病がクリーン

である国になっている。(*1)

 

米国はまだ狂犬病の発生が見られる。 

それでも、摂取の義務は3年に一度で良いと 米国動物

病院協会(AAHA)はガイドラインを示している。


狂犬病が発生していない国 オーストラリア、

ニュージーランドは、狂犬病予防接種を禁止して、

犬の健康重視を計っているという。 


イギリス、オランダ、アイルランド、北欧諸国は

任意だ。

スイス・オランダ・フランスも2004年から 国内の犬、

海外に行かない犬は、狂犬病予防接種は受けなくて

よいことになった。

 

スイスは、2004年4月1日から狂犬病ワクチン

の接種義務は廃止になった。

これらの国々では、ワクチン接種が不必要である

という理由が以下だ。


つまり、狂犬病が根絶しているのに、あえて、

副作用を与えるこうしたワクチン摂取は不必要である

いうわけだ。

 

愛犬家の多い、ペットを家族と同様に扱う、社会的

認識が滲透している、ペット先進国らしい結論に感じる


それに 反して 狂犬病が半世紀近く、根絶している

日本では まだ、毎年一度の注射を義務付けられて

いるというのだ。

 

ワクチン接種を不必要としたスイスなどの国では、

その副作用を懸念してのことはいうまでもない。

それでは狂犬病の副作用とは?

 

イギリスの調査報告では、以下のような病気に

なりやすくなると指摘している。

大腸炎、ドライアイ/結膜炎、異常行動、神経質、

移り気、超過敏反応、自己免疫疾患、脳炎、性格変化、

脳障害、癌、舞踏病、心臓病、腎臓障害、

肝炎、後部まひ、すい臓病、関節炎。

 

 

また、アメリカでは

筋肉の脱力脳脊髄炎、嘔吐、無気力、発熱、意識喪失、

てんかん

死亡する場合もあるという調査結果があり、副作用として

挙げられているのは; 

自己免疫疾患、アレルギー反応、皮膚病、消化器疾患、

および、 線維肉腫がある。

線維肉腫はガン一種であり、注射部位に発生しやすい

と言われる。

 

昭和28年に制定された法律である、狂犬病予防接種の

義務付け法律は 、犬たちをとりまく、さまざまな

状況の変化した現代に通用するのだろうか?


今、集団自衛権はじめとして、憲法改正を”今風”に

見直すべきであるという世の中の流れがある。

 

ワクチン接種の健康に及ぼす弊害とともに、ペット

先進諸国の諸事情研究を知ったうえで、狂犬病予防

接種の意義と安全性から、見直してほしいと願う。

 

*1)

http://www.pettravel.com/passports

_rabies_free_countries.cfmesによると、

アンティグア、オーストラリア、バリ、バルバドス、英領バージン諸島、

ケイマン諸島、イングランド、フィジー、フランス領ポリネシア(タヒチ)、

グアム、ハワイ、アイスランド、アイルランド、ジャマイカ、

日本、マレイシア、マルタ、ニューカレドニア、ニュージーランド、

アイルランド、セイントルシア、スコットランド、シンガポール、スエーデン、

セントクリストファー・ネイビス、セントビンセント・グレナディーン、

台湾、タークス アンド ケーコス諸島、イギリス(連合王国)、

ウルグアイ、バチカン

 以上31か国が狂犬病が根絶した清浄国 と言われている。


 一方日本が独自に 狂犬病の発生が無い国と認めた国は11か国だ。


台湾、アイスランド、アイルランド、スウェーデン、ノルウェー、

イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、 フィジー諸島、ハワイ、グアム

 

インドから時々日本に帰国していましたが、チュチュとチャチャの

帰国は準備がたいへん・・・

 

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人間のワクチン犬のワクチン

2014年10月08日 | ワクチンと健康

  

We panicked and called the vet, who told us to give Sam 
a paracetamol (which, incidentally, are poisonous to dogs). 
Sam recovered. The next year, again a few days after 
his vaccine, Samson's head swelled up like a balloon and 
he ran round screaming and crying. 
Shortly afterwards, we discovered that Samson had 
autoimmune disease. He died a few weeks ago, aged five, f
rom cancer.
須田訳)
それから(ワクチン接種)数日後、愛犬サムスンがまるでオリバーの
時のように後ろ足を引きずっているのを庭で見つけた。
私たちはすっかり気を動転させて 医者を訪ねた。
サムスンに解熱鎮痛薬パラセタモール(これは犬には毒薬でもあった)
を医師は与えた。
サムは事なきを得た。 
しかし、翌年、ワクチンの2日後、再びサムソンは足を
風船のように腫らした。 
彼は痛みで苦しみ叫び、悲鳴すら上げていた。

それから間もなく、私たちはサムソンが自己免疫疾患にかかっている
ことを知った。
そして、数週間後 癌で命を落とした。


ワクチンを投与する前は、元気だった3匹の愛犬達。
家族と同様のゴールデンレッドリヴァーの愛犬の死を
立て続けに体験した飼い主キャサリンは 

”We can trace his death right the way back 
to the door of the veterinary practice, to the day 
when a vaccine destroyed his immune system.” 
と結論づける。
須田訳)
彼らの死は 獣医師の玄関のドアから始まる。
それはワクチンをうって、彼らの免疫システムが破壊されたその日に
さかのぼることができるのだ。”

愛犬の死と、ワクチン接種。
三種混合、五種混合、9種混合ワクチンもあるとかいう話だ。

この話を、全くの偶然だとする読者もいるだろうし、これに近い体験を
持っている読者もいるかもしれない。

愛犬チュチュとチャチャも、インド生まれであったため、
ある期間に、必要以上のワクチン接種と日本移住のための
マイクロチップを体に埋め込むことになった。

マイクロチップ を首に埋め込むのに立ち会ったが、その時ほど
心が痛んだときはなかった。
体に悪いことは百も承知だった。

7年後、チャチャは、原因がよくわからないまま他界した。
チュチュも、元気だったのに、心臓発作が起きて チャチャの後を
追うように、なくなった。

チュチュの死は筆者は日本にいなかったので間に合わなかった。
奇しくも、チャチャの骨をガンジス河に流そうと。辺境の地にいたため
連絡が届かなかった。

チャチャの死に立ち会ったとき、興味深いことを、葬儀屋さんから
言われた。
チャチャの葬儀のあとの遺体は焼かれた。
良心的な葬儀屋さんでその御骨を家に持ってきてくれて、
骨壺に収めることができた。
骨自体が何か橙色のような褐色になっている部分が特徴的だった。

すると、”この色は、実は小型犬だと、老犬の骨の色です。
まだ7歳にしてはもうすでに14歳の老犬のような骨の色・・・
頑張って生きてきたのですね。”

今にして思えば、動物の輸入制度の規則に則って、また日本の特に厳しい
様々な検査を通るために インドから日本に連れてくる一年の間に
多くのワクチンや狂犬病の注射、ノミやダニの撲滅のための薬などを受け
させなければならなかった。

ごく自然体だった 2歳足らずの若い彼らの体にとっては、
後々まで影響を残す”何か”を 即効ではない副作用を与えていたに
違いなかった。

キャサリン氏の記事を読んでから、改めて
仕方ないこととはいえ、チュチュチャチャ達への申し訳なさを強く感じた。
そして、ほかのワン君達の健康状態に興味を覚えた。

そこで、朝夕の散歩で会う、ワン友達に健康具合などを聴くことも
多くなった。
元気そうに見える、三歳前後のワン友たちが意外と体に支障を
もっていることが多いのに驚かされた。

”きちんと注射を打っているのに、2歳過ぎたら急に体が
悪いことがわかってきた”という話を、数人の飼い主さんから聞いた。

”うちに来たときは元気だったのに・・・
あかちゃんの時にわからなかったけれど、
しばらくしたら いろいろ体にでてきてねえ。”
と、まるで ワン君そのものが、何か持病を持って生まれてきた
と思っているようだ。

赤ちゃんの時は元気だったが、実は、心臓が弱かった、てんかん発作
の種をもっていたなど、薬を服用しているワン君たちの多いことに
驚かされた。 
若くして、癌になる子たちも少なくない。

そんなに 多くの子犬たちが 生まれつき、体に慢性欠陥の種を持って
いたのかと問いたいような気持になってくる。



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栄養を運ぶ血流と心の関係

2014年10月05日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

余命宣告中、毎朝かかさなかったワッハッハ体操 2014・10・5

********************************************

 

 すでに余命宣告を受けての 晴れやかな吉田氏の笑顔

 

すでに吉田法夫氏のことは拙ブログで何度もご紹介している

が、私の親友のお兄様でもある。

御命日が 昨日の、10月4日・


吉田氏の癌余命宣告3か月と宣告されてから、したためられた

著書(*1)の中から抜粋して、皆様にご紹介させていただき

たい。


それがご供養になると同時に、余命宣告後、ご自身で体験

された明るく生きる方法を、少しでも多くの方たちに、

伝えたいと願ったお兄様の魂が、心から喜んでくださる

と信じるから。

*************以下、引用文


心の在り方と血液の循環は、とても密接に

かかわっています

たとえば、自分が望んでいない出来事が突然に

訪れたとします。

急に青ざめ、、人からは’血色が悪いよ’と声を

かけられたりしますね。


それは体中をめぐる血液の循環が悪くなり、血流が

滞ってしまうからです。

まさに、心と体がつながっている証拠です。


不安や恐怖など’負の感情’は血流を滞らせてしまう

のです。

血流が滞った状態で、いくら良い栄養や薬を摂った

としても、ベストな状態で体にはいきわたりません。


昨年(2008年)、横浜で開催された’人体の不思議展’に

よると、私たちの血管は、総延長で地球約2周半もの

長さがあり、その中を流れる血液は、その距離をたった

40秒で流れるという驚異的な働きを持っているのだ

そうです。


これは私たちが、体にそう指示しているからではなく、

体が勝手にそうさせている人間本来の力[須田注:自然治癒力

と大生命]の力です。


40秒で地球2周半・・・人体の能力とは、まさに神業です。


私たちが普段の食事から摂る栄養や水分、薬の効果は、

その驚異的な血流の働きで、体のすみずみにまで

行きわたります。


逆に言うと、血流を滞らせてしまうことで、それらの

栄養は体にいきわたらなくなってしまうのです。

話しを戻すと、血流を滞らせる原因の一つとして、

’負の感情’があるのです。


つまり、血液の循環を常日頃、スムーズにするのも、

心の在り方次第なのです。

*******

吉田氏は 自ら、マイナスの感情、恐怖や悲しみ、などの

ストレスで血液の循環を滞らせないよう、努力をされて

いる。

その一つの方法が、次のやり方だった。

*******

不安や恐怖が、血流を滞らせてしまうというのは、

逆に言うと、笑いには血流を活発にする働きがある

ということです。


医学的にも、笑いが病の治療に効果的である事実が

証明されています。

日ごろのストレスなどで、発生する活性酸素は

笑いを取り入れることで減るというデータが出て

いるのです。

********

薬と笑いの効果の実験があるそうだ。

それは、二つの同病患者で同程度の重さの患者達を

二つのグループに分ける。


笑うと口角が自然と上がるから、一つのグループには、

患者たちに、口角を人工的にあげるため割りばしや

鉛筆のような棒をくわえてもらう。


もう一方のグループは、普段通りにしてもらい、

双方に同じ薬を同量飲んでもらう。


すると、薬の効果が高くでたのは、前者の人工的に

笑う表情を作って飲んだグループだった。


たとえ、人工的、意図的で感情がなくても、こうして

笑っている表情をつくるだけでも、薬に対して好ましい

効果をあげたことは興味深い。


そこで、吉田氏は次のような小さなことを心掛け、

毎日実行したという。


その実行によって、少なくても、3か月の余命宣告期間

を延長した、3年近い余命を楽しまれたのも、その

成果大なりと言えるような気がする。

********************以下引用


病気の不安や恐怖に心を奪われず、’前向きな心’へ変わる

潜在能力の訓練法は、具体的にどのようなものでしょうか?


それは、一日に、50個の感謝を見つける’ありがとう運動

です。

拍子抜けしてしまいましたか?(笑)


しかし、これが効果絶大。

誰にでも、今この時からできる訓練法です。

とても簡単なうえにお金も一切かかりません。


正しい判断や前向きな心を引き出す潜在能力の訓練

につながります。

最初は意識して行うことで そのうちそれが本物

になっていきます。


体の調子が悪い時ほど、思考も悪いところを見つけて

しまいがちになるのは、とてもよくわかります。

それでも、最初は意識をして、無理にでも感謝できる

何かを探していくのです。


一見 残念なエピソードほど、潜在能力を鍛える

チャンスです。

残念なエピソードとは、傍目から、客観的に見て、

それは残念だと思える結果が生まれたときが、

プラス思考に変えていく能力を養い、潜在意識から

マイナス想念を掃うチャンスというわけです。


たとえば:

食事のとき、10あるうちの4しか食べられなかった

とします。

そのとき、’半分残してしまった’ではなく、’これだけ

食べられた’というほうへ意識を向けてみるのです。


いつもは座れるはずの電車で、座れなければ、”残念、

疲れるなあなるところを、’おかげで足腰を鍛えられた、

ありがとう’というように。


こういうとらえ方を意識的に探し、実際口に出して

みてください。

独り言でも構いません。

声に出すことも、脳を活性化させる重要なポイントです。


一日に、50個は多いようですが、探し出してみると、

結構、見つかるものですよ。

眼の真のコップにさえ、感謝は見つかります。

’おいしいミルクが飲めるよ、ありがとう’と。


普段あまり考えないという人でも、感謝を探し始める

ことで、自然と笑顔に変わっていくから不思議です。


心が感謝であふれると、人は必ず、プラス思考に

替わります。

気が付けば、自然と表情豊かな笑みの人になって

いることでしょう。


逆に愚痴ばかり口にしていると、表情は重く、残念なこと

しか探せないめになっています。

良いことがあっても気づけず、自ら逃してしまうのです。

*******************


ポイントは、継続で、有難うを漠然というのではなく、

具体的に感謝の内容を意識的に声を出していうこと~

と吉田氏は言う。


極め付きは 吉田氏自らお孫さんと 庭で毎朝している

という’わっはっは体操’だろう。

**********以下引用

 私は毎日、’元気元気 ワッハッハ体操’をしています。

両足を、左右に大きく広げ、両腕をポパイのように

踏ん張るポーズで上下させながら、

’げーんき! げーんき! ワッハッハー!’と

お腹の底から大きな声を出すのです。


想像されると、ちょっと滑稽かもしれませんが・・・

これは不思議です。 

おかしくなくても、笑えてくるのです。

 *****************

これは、実に、インドのヨガ道場などで取り入れられて

いる 正式な、ヨガ体操の一つでもある。

私もバンガロールのアユールヴェーダのセラピー施設で

ヨガの先生からこれを教わったことがある。

 

今この原稿を書いているのは8月下旬。

投稿予定日は、10月上旬だから蝉の声は聞こえていない

だろう。

外からは、アブラゼミやミンミンゼミが 賑やかに羽を

震わせ、体全体で絞り出すように、最後の生きる証の歌

を合唱している。


吉田氏も 平成21年 最後の夏、7月16日に庭でなく

蝉の声をこんな気持ちで聴いておられる。

 

7月16日(木曜日)

庭の緑に、朝陽で輝く水滴。

朝陽とは先日誕生した孫の名前でもあり、

俺にとって、その美しさはひときわだった。


さらに早いアブラゼミが 'ジイジイ’と高い声で鳴きだした。

’ジイジイ、守ってるよ、生きててね’と聞こえた。


こんなに幸せな朝が今日も来た。

生きているって素晴らしい。

**************************** 

 そしてそれから2月余り・・・・

地下から、天上へ二次元から三次元の世界へ、旅立つ

夏の蝉のように、精一杯の生きる力を発揮されて 天

国へ旅ただれた。

謹んでご冥福をお祈りする。

 

*1~”末期がんを元気に生きる” 

~命の分かれ道にたつあなたへ~2010年 文芸社

 

 

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ユクテスワ師 ヨガナンダにメッセージを委託

2014年10月02日 | 健康のための心の波動

 現象世界で生きて死んでそれで終わりでない私たちの生命  2014・10・2

*********************************************

私たちは身体をもって地上生活を送っている。

ユクテスワ師によると、こうした日常生活の中でも 幽体や観念体は無意識の中に

私たちの行動を作動しているという。

 

例えば、五感の感覚が起動しているとき、食べたり、聞いたり、嗅いだり、

触ったりというときは、肉体が作動している。想像したり計画したりするときは、

おもに幽体が作動している。深い思索や内観、瞑想などのスピリチュアルな活動の時は、

観念体が主体的だという。

 

だからユクテスワ師の言葉によれば、人間は“官能的人間”、”知能的人間“ 

”霊感的人間“ に分類される。ヒトの意識について言えば、目を覚ましている

16時間は自己意識は“肉体”に置かれ、睡眠中は幽体、もしくは、観念体にあるという。

 

夢を見ている時は幽体にあるので、幽界にいる人のように、夢の中でいろいろなものを

想念で作り出すことができる。夢を見ないほど、熟睡しているとき、眠りが深いときは、

観念体に意識を移している場合がある。

 

この場合は短い睡眠でも、十分心身疲労の回復に役立つ。反対に幽体に意識が在る

場合は 疲労回復力があまりなく、逆に悪夢などみて、疲れてしまうこともたまには、

あるかもしれない。

 

最後に肉体死後復活して、幽体でありながら肉体の衣をまとって、ヨガナンダ師の前に

姿を現した、ユクテスワ師は愛弟子にこう語った。

 

“ヨガナンダ、私は今お前に私の生と死と復活に関する事実を語った。

私が肉体人間の住むこの神の夢(須田注:リーラの世界)にすぎない地上界から

幽体をまとった魂たちのすむ、同じ神の夢である、幽界の星に復活したことを

広く人々に伝えなさい。

 

そうすれば、夢の死に怯えたり、嘆き悲しんだりしている人の心に新しい希望が

わくだろう。“

 

このメッセージは死におびえている人達だけの朗報ではないだろう。

筆者が読んで印象を強くした点は、今現在、肉体と幽体とアートマ体を備えて

生きている私たちも、この地球に居ながらにして、幽体の資質をもっと強めて、

日常に生かすことができるということだった。

 

幽体人たちは3つの眼をもっているとユクテスワ師は語る。

第三の眼というもので額の中央に垂直方向についている。

地上人と同じく、目 、耳、鼻、舌、皮膚などの外面的感覚器官を備えているが、

感覚情報は”直覚”で経験するという。

 

つまり、目は必ずしも見る機能だけを持つのではなく、耳や鼻や皮膚を通して

みることもできるというのだ。目は聞くこともでいるし、舌も同様、食べる事

味覚のみの働きに限定されていない。

 

第三の眼[霊眼)が開けた僧に、かつてインドで会ったことがあるが聖者は

の言葉を聞くまでもなく、過去に起きたことを、第三の眼でみていて、

その時点での軋轢や不満などを第三の眼で聴いていた。

 

そしてしかるべき忠告を、与えてくれた。

その対面の間、わたしが話したことといえば、”ナマステ”(こんにちは)と

”ダンヤバード”(ありがとうございました)という挨拶以外には、最初から

最後までほとんど無言で、僧侶(スワミ)の言葉をただ、聴いているだけであった

と思う。その時、高僧からの私への質問は何もなかったのだ。

 

”何を聴きたいか?”ということも問われる前にすでに知っていらした。

だから、高僧は心の赴くままに話し、その答えを出してくださった。

第三の眼とは誠に不思議なものだと感を深くした体験だった。

 

ところで、地球人の肉体は常に傷つきやすく、事故や危険から障害を防ぐために

服などで防御されている。ユクテスワ師の肉体の衣を脱いだ後に、選んだ星では、

住人たちは、精妙で希薄な幽体は時には、肉体のように切り傷や打ち傷

つけることがある” そうだが、彼らは想念の力~エネルギーで”治そうという

意思を働かせることによって、ただちに治してしまう”と、ユクテスワ師はいう。

 

一方、地球に生きて肉体を維持する我々も、瞑想や内観でこの第三の眼を

開かせることはできると 現代のヨギの大師は教える。

 

そして、第三の眼を開くのと同時に、幽体のパワーを全力に開けば、すでに

内在している、アートマエネルギーを駆使して肉体細胞の隅々を活性化して、

新陳代謝や浄化作用を促して健康な状態を保てるはずである。

 

幽体になったら この地上人として持っていた魂の個性はどうなるのだろう?

ユクテスワ師は教える:

”過去世において、愛したものの外観がその後、幾生涯の間に変化しても

幽界人はその正確な直覚を用いて相手を見分け、自分たちの新しい幽界の家に

向かい入れる。なぜなら宇宙のあらゆる原子には、消すことのできない個性が

与えられているからだ。”

 

それはちょうど、役者がどんな役柄を演じても、服装を合わせて変えても、

その役者の持ち味はアイデンティティとして我々には理解できるので、役者の

個性までがその役柄でわからなくなるということが無いのに似ている。

 

そうは言っても、誰でも あと~日の命です・・と宣言されたら、今与えられ

ている命を懸命に生きようとできるのだろうか?

執着を感じ、この世から離れ去りがたく思うものなのか?

 

ユクテスワ師も 幽界人の死について語り、

”幽界人はその光の幽体を脱ぎ捨てる際に、死と苦闘する必要がない。

だがそれでも、多くの者は、より霊妙な観念界へいくために、

着なれた幽体の衣を捨てなければならないと思うと、いくらか心残りを

感じるものだ” と言っている。

 

肉体人間、幽体人間にしろ、”体”をまとっている以上はそういう執着感は

多少なりともつきまとうものなのだろう。ユクテスワ師が述べるように、

 

”魂は本来、姿や形を持たないものであって、身にまとう衣、すなわち、

体を持つことによってのみ、識別される。しかも、一つでも体を持っている

ということは、また、満たされぬ欲望があることを意味している。”

 

充たされない欲望、ユクテスワ師の師匠であるラヒリ・マハサヤ師でさえ、

最期の"欲望"を果たせぬまま、ババジの弟子としての前世を終わり、今世では、

再び、目の前に現れた師ババジがその欲望を顕現せしめて、マハサヤ師のカルマ

を取り去ってくれたというエピソードを先回ご紹介した。

 

マハサヤ師には”荘厳な宮殿を一度見たい”という密かな願いがあったのだが、

たぶん潜在意識の奥に埋もれていたのだろう。

 

それを空っぽにしない限りはまた体をもって生まれる宿命を否めなかったのだろう。

それを知る、師のババジだからこそ、’お前の、最期のカルマをとるために’ と 

マハサヤ師のためにヒマラヤ山中で宮殿を出現させたと ヨガナンダ師の自叙伝には

記されている。

 

まさに、からだ(身体)を持っている我々には、カルマが残っているという

ユクテスワ師の話は、マハサヤ師をもってしてもそうだった・・・と納得する

とともに、聖人君子に見える人格者でも、もしかしたら、潜在意識の奥深く

に眠る多かれ少なかれ、物質的欲望がまだ、くすぶっているの

かもしれないと思うと、愛おしい存在のようにさえ感じてしまいそうだ。

 

 

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