自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

病気を意識している方達へ贈るクリシュナの話

2016年07月09日 | 健康と直結する”一元論”について

異国の神様クリシュナのお話しと自然治癒力?

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4 つ葉のクローバー, 運, 緑, 水, 点滴, ドロップ水の, 幸運のお守り

 

このサイトに出会ってくださった方達は 

ほぼ、こんな思いと葛藤している

ように思います。

病を薬を少なめにして癒したい、自分の肉体と心

のバランスをとりたい、

特に、性欲や食欲、物欲など、そうした欲望に

振り回されてしまう時 

どうしたらバランスが取れるのか? 

 

自然療法の本質は? 

介護で疲れているのに誰も相談できない、

宗教団体に入ることにいよって

救われるのではなくそうした問題を自分自身

の中身を変えることで、

問題解決したい~などなど。


それらの問題がご自身に与える葛藤は並大抵

ではないはずです。

そうした思いで開いた自然治癒力協会のページ

に異国の神様のような名前が登場して 

こうした問題に関係のない物語が意訳されている。。。。

がっかりされたり、当惑されたりすることでしょう。

****

私の体験から一つの結論、

それは私に適応された結果 というべきでしょうが、

多少の方達へのセラピー療法を通じてその結果

他人にも当てはまるとわかったことを 

ぜひ、紙面でお話ししたい。

 

そうすることでこうした人生の、自分を見つめ

ながら歩く同志たちと痛みを共有し発散させたい

という願いから 異国の物語を紹介させて頂いた

次第です。

 

今、お話ししている クリシュナ神のお話しは 

確かに、ヒンズー教に出てくる神ではありますが、

ヒンズー教を説くためではなく、クリシュナ神が

(史実として存在) 一人の兵士に語り説いた

ところの 


”病も不調和も、不完全に見える姿も実際は

マーヤ―(影や幻)である” 

ということ、


人間の本体は不死身のアートマなのだから、

恐れるものは、何もない死ですら、一種の幻影

にすぎないと説いて勇気づけたお話、 

それを お伝えするために今 翻訳経過途中です。

 

叡智ある皆様ならすでにお気づきでしょうけど、

’時間’という言葉と概念はこの三次元、地球上、

あるいは宇宙世界に使われる言葉です。


本当は 最先端の量子物理学者が判明したように、

私たちが考えてきたような時間は無い、

あるのは今という点、瞬間という今、のみ

であるということです。


としたら、紀元前5千年前とも、一万年前とも

いわれるこのクリシュナの時代に説かれた真実は 

真理として多くの大師や覚者に伝えられ、

現代に語り継がれ、そこに流れる真理は今も

生き続けていておかしくありません。

 

”ジずら”の話ではありません。 

~が生きている というのは ~を実行したとき、

効果がある ということです。

 

もし、今、いろいろな不調和で悩んでいると

しても、その現状に真理の目という 皆さまの

叡智の部分を引き出し、意識して見つめ直すと、

客観視でき、そこに、この真理を当てはめて

向かい直したとき、本当に 

病は癒され、不調和は調和状態に なる  

というのが ささやかな でも、

ぶれることのない 私の信念であることは 

先にお話しした セラピーを通じて得た体験 

として体験に基づいたものです。

 

ということを踏まえて 引き続き 時々 

違うジャンルの話も加えながらも、

ギータ物語のクリシュナ神とアルジュナ

対話をご紹介させていただきたい

と思います。

 

 

 

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結果を求めることがストレスになる 

2016年07月06日 | 健康と直結する”一元論”について

 

補足 三つのグナの説明とともに  20167・6

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 印度イラスト無料 に対する画像結果さて再び、ギータの中に戻る。 

クリシュナはアルジュナに言う

“心を中道におき、善と悪、成功と失敗、

喜びと苦しみなどの二つの基準に、焦点を

あてる二元法から放ち、結果を求めず、

己の心(ハート)が智慧に導かれるままに

対処していくのなら、

無駄な努力を払ってきた、という言葉は生まれない。


そのように今を生きていれば、求めざる結果が

得られるということはないのだ。


そうした努力をわずかでも行えば、巨大な恐れ

からでさえ自分を守ることができる

汝がそうしようと決心をしたのなら、

心(マインド)も凝固のものとなる。 


その努力をしようと決められない者だけが、

数々の点在した視点に心(マインド)を迷わ

されるのだ。


悟りを得ぬ者たちが、聖典ヴェーダを論じあう

ことに興じ、その行為こそ、

上なく最上であるなどという。


が、彼らの現実は現世(うつしよ)の快楽に

心を奪われ、社会的地位を気にかけ、

絵に描いた餅のような、ヴェーダの行為から

得る結果を美辞麗句で称えるが、そんなものは

野心とともに焼け失せよ。


どっぷりと現世の感覚的喜びに浸り、識別感覚

失った彼らはそれが理由で、

心からの先に述べた“努力”への実行決意と、

実践を果たすことはないだろう。


アルジュナ、よく聴け!

ヴェーダには三つの自然的傾向が述べられている。

つまり、サットワ、ラジャス、タマス

というグナだ。(後記補足参照)


それぞれ、均衡と平和、攻撃的、愚鈍的

三要素がこれにあたる。

が、汝は自然界のすべてが属するこの三つの性質

どれかをも超越しなければならない。


二つの要素、二元的なもの、たとえば、

悲喜、勝敗、寒冷といった対象比較要素を超えた

存在として、自己を維持しなければならない。


たとえば、失うものに対しての恐怖や憂い、

得た物を守り持つという当たり前の感情に

かかずらわない、という決意を持たねばならぬ。 


ではどこに視点を向けるのか?


汝の内奥 身体を心配する心の領域を超えた部分にだ。 


そこかしこに水が豊富に使えるところで、

水はポットにためられる。 

同様、ヴェーダを紐解くものは、すでに内奥に

存在する実質はそこかしこ、いたるところに存在し、

その時を超えた実在と一致した自覚を持つものが

ポットの水と同様に、ヴェーダの真理を使うと

いえるのだ。”

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ギータ・5人兄弟の属したパンダヴァ家の言霊

2016年07月01日 | 健康と直結する”一元論”について

 

ギータの隠された意義と目的  2016・7/1 

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アルジュナのチャリオットに乗ったクリシュナ

との対話形式で綴られたギータに

まだ足を一歩踏み出したばかりだが

今日は、アルジュナの兄弟たち、つまり、

パンドヴァ兄弟の象徴するものを

考えてみたい、


パンドヴァ5兄弟は、サハデヴァ、ナクラ、

アルジュナ、ビーマ、ユディスティラの5人だ。

それぞれ、固有の特質を持っている。 


例えば、サハデヴァは、Damaという特質を持つ。 

この特質によって、悪から己れを遠ざけることが

できる。 

絶えず揺れ動く感覚器官の刺激と その感情を

制御することに長けている。


ナクラは Sama, と言われる特質を持つ。

心の統制により、集中力を高め、エネルギーを

取り入れることができる。


アルジュナはmanipura チャクラの場所、

肺の中央に在る“火の要素”に呼応している。

(以前のブログ参照*1)


自己制御にたけて感情に流されがちな弱い心

に打ち勝つことができるとされる。

心身の浄化が促進され、深い瞑想を可能に

する資質である。


この火の要素は、自己制御力とともに、 

霊的促進には不可欠で、この要素を

兼ね備えたアルジュナは クリシュナ神を

御者に自らの軍馬車に同席すると

いう光栄に浴した。 


戦場を走り回り、その間、バカヴァッド・ギータ

の物語を構成する、

クリシュナ神の対話の相手に、アルジュナの 

自己制御、忍耐、決断の力をもってして、

クリシュナ神の信者の代表として選ばれた。


ビーマは、ヴァイタリティ―と生命力、

プラナ[生命力]をコントロールする人として

描かれる。


深く 静かな、正しい呼吸法を知っている彼は、

怒り、強欲、セックス欲などの情熱の虜に

なることなく、聖なる愛に満ちている人物

として描かれる。


ユディスティラは、創造的な波動と聖なる

静けさを持つ人として登場する。 


彼は、5人兄弟の仲で、最も、年長である。

ここで創造的というのは、真理の創造だ。

直観的な想像力を、真理が具現化するまで

持ち続ける資質を持っている。


バカヴァッド・ギータの中で、この5人の兄弟に

直接アドヴァイスを与え、サポートする

クリシュナ神は、ヤダヴ一族王家の血筋を

ひく人物であり、宇宙的意識を持つ 

kutasthaと呼ばれる聖霊的存在として、

この世に誕生した。 


この宇宙的意識は、所謂、神の意識とも

古今東西で言われてきたもので、

この意識が 私たちの肉体の隅々にまで浸透して、

生命力として、生きている身体の活力源と

なっている~

と インドの聖者たちは考える。


聖者Patanjali は 以前にも書いたように

ヨガ大聖典(Yoga Sutras)の著者でもある。


この聖者自身、バカバッド・ギータについて、

神自身が自己の資質と迷える子供たち(人間)

を結び付け、一つにするために書かれたものだ” 

と言っている。

 

科学、特に物理量子学とヨガは究極なる法則、

あるいは、

真理に向かってあざなえる縄のようだ。


科学者は物質の現象的事実を実験によって

構築しながら、奥にある原因をつきとめようとする。 


一方、ヨガの法則によって生きるヨギ達は、

まず、因果や原因の”因”を定義したうえで、

現象世界に起こる事柄を解明しようとする。 


二つのアプローチは正反対ともいえる一方、

そのゴールは一つともいえる。


つまり、科学的思考と真理的洞察思考は 

同じ目的地を持つと仮定しても、目的地から

たどって道を見つける科学的方法と、目的地に

着きそうな道を探していくヨガ的方法と対比

できるだろう。


さらに、SRF(アメリカ)を創立した、

ヨガナンダ師は、メタフィジカルな

解釈ではあるが、この戦いの物語は、実は、

たちの中にある、物質的な要素

と、霊的要素との闘いを比喩したものだとする。


そして、自己の本質が出現するために、

自己の弱い性質に打ち勝つために、

何が必要なのか?


その答えが、5人のパンダヴァ兄弟に象徴されて

いるともいう。

パンダヴァ兄弟の Panduという言霊は、

buddhi[ブッディ) すなわち純粋な智慧を意味する。 


自己実現のために、ブッディを使いこなし、

本質を顕現する~それが、

ヴァカバッド・ギータの物語に秘められた意味

でもある。

*1   

経絡とチャクラ     

2012-12-02

 

タージ, ・ マハル, インド, 観光, 宛先, アーキテクチャ, 建物, 構造

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