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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第二十五章 史マザーの回想

2011年11月09日 | カトリックとは
第二十五章 史マザーの回想

 私が初めて史献芝マザーを知ったのは、1959年9月のことでした。その時、上海の刑務所は全くいっぱいでした。10月1日の国慶節の前に多くの人々を逮捕するのは、中国共産党政府の習慣でした。そのため、私たちの何人かは、労働改造所がある遠隔の地に送られるように決められました。私が白湖農場の中で史マザーに出会ったのは、9月の終り頃でした。私たちがそこに到着したとき、労働改造所には適切なテントすらなく、私たちの住処は、壁も無く、荒いわら葺き屋根で覆われていました。野草か山菜が私たちの食物でした。薬と医療は全く存在しませんでした。労働改造所の規律は、カトリック教徒にとってとりわけ厳しく、作業中はお互いに話すことが出来ませんでした。

 同時に、共産党の矯正官は、公開批判闘争でカトリック教徒をよく狙いました。労働改造所の生活で次の数カ月間、私は史マザーと話す機会は少しもありませんでした。私は他のカトリック教徒から、彼女が重度な心臓疾患を患っているウルスラ会の修道女であることを学んだだけです。厳しい生活水準の下では、彼女は私たちと共に稲刈りをしたり、田植えをすることは出来ませんでした。毎日、作業後に自分たちの小屋に戻ってきたとき、私たちは、いつも彼女が野菜を摘んでいるか掃除しているを見たものでした。そして、しばしば彼女は私たちのために、一杯のお湯を用意して隠しておきました。どんな称賛も退け、「私は軽い仕事をするだけです ですから、私にはあなたたちが戻るまでに一杯のお湯を手に入れる機会があります。一杯のお湯は、あなたたち皆には小さくなり過ぎるでしょう。多分、何も得る機会もないでしょう」一杯のお湯は非常に貴重でした。私たちカトリック教徒それぞれは、最初に熱い飲み物を楽しむよう他の人に請うでしょう。本当に、史マザーの一杯のお湯は、私たち皆の心を暖かくしました。

 史マザーが亡くなる1週間前、私は幸いにもたまたま病気でした。その時、彼女は重度の心臓疾患にかかっていました。そして、彼女は休息のために横たわることが出来なかったので、座った姿勢で数個の枕によって支えられていました。 セメントの床は私たちの寝床でした。私たちはそれぞれ、約60センチメートルの非常に狭い空間しかなかったので、お互いに密接に押し込む必要があり、一方にひっくり返る時さえ、それぞれの側の2人の協力を必要としました。史マザーは、ちょうど私と反対側に横たわりました。前に述べましたように、私は二日間病気でしたので、私は働くことが出来ませんでした。彼女の人生の最後の数日間に、私がこの英雄的な修道女の近くに留まる機会があったのは、実に天主様の御摂理によるものでした。

 私たちの誰もが、労働改造所では宗教的な物を持っていませんでした。私たちは、臨終の秘蹟を与えに来るように聖職者に頼むか、友人と親類に死の床の周りに集まらせることは、想像出来ませんでした。しかし、史マザーは完全な服従と平安を以て、死を受け入れました。彼女はまるで、学校がひけたばかりで自分の両親に会うのを楽しみにしている小学生のようでした。私が新米の改宗者であることを知ったとき、私が最後まで信仰を守るよう励まして下さいました。私たちを御選びになったのは、天主様でした。ですから、私たちは天主様を決して裏切るべきではありません。聖パウロは言いました。「私にとって、生きることは、キリストです。そして、死ぬことは得ることです」(フィリポ 第一章二十一節)

史マザーの啓発と指導の下で、私は何行かの詩を書き留めました:

私は死の傍らに生き
一日生きれば、一日墓へと近づき、
生きる中で死へと向います
生と死の間には、僅かな隔てがあるばかり
生よ!死よ!
生はキリスト、死は幸福
これは私たちの最高な生の法則

 マザーは心を動かされました。彼女は言いました「聖霊を通して、あなたは生と死の本当の意味を理解することを学びました。私はウルスラ会の修道女です。もし後に、あなたが手紙を私たちの修道会のローマの総長へ書く機会があれば、私の霊魂は死の瞬間までイエズス様を褒め称えていたと伝えて下さい。私は修道会の全ての会則を守りました」 彼女の言葉は、非常に深く私の心を動かしたので、私はほとんど涙を押さえることが出来ませんでした。

 何年も後に私がアメリカにに来た時、私はローマのウルスラ会の総長様に手紙を書きました。そして、総長様は数回返事を下さいました。一九九〇年代前半のある日、大司教区から一度、そこに行くようにと私を呼び出しました。私は、彼らが私に何をさせる必要があるのかと思いました。神父様の中には、史マザーに関する多くの質問を私にするために、バチカンから来た方もいました。終わりに彼らは、ウルスラ会の修道女が史マザーを殉教者として列福を求める報告書をバチカンに提出したと私に語りました。天主様がいつの日にか、彼女を讃えますように!




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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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