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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第三十五章 彼は我々の時代の聖フランシス・コザビエルでした

2011年11月19日 | カトリックとは
第三十五章 彼は我々の時代の聖フランシス・コザビエルでした 

私が中国の上海で若い女の子だった時、私は君王堂で御ミサに与っていました。私の学校である震旦女中から歩いてしか2分かかりませんでした。これらは、天主様が私の霊魂にカトリック信仰の種を植えた主な2つの場所でした。君王堂は、アメリカのカリフォルニア州からのイエズス会の司祭によって管理されていました。いちばん最初は、フィリップ神父様が私たちの主任司祭で、彼はますます多くの中国人信者がやって来るのを目にしました。その後、フランシスコ・ザビエル朱神父様が主任司祭となりました。朱神父様は、八人の息子がいた非常に熱心なカトリック教徒の家族の出身でした。彼らの内4人はイエズス会の司祭に叙階されました。神父様は、上海の神学校に入った最年長でした。後に、彼の長上はパリ大学で地理学を学ぶために彼を海外に送り、数年の勉学の後に博士号を取得しました。彼は、共産党が中国を掌握した数年前に、自分の故郷の町である上海に戻り、そして君王堂で働きました。

 彼はしばしば、聖フランシスコ・ザビエルは、アジアのでいくつかの素晴らしい布教活動をしたとおっしゃいました。彼の最大の願望は、日本人、インド人、そして中国人を改宗することでしたが、彼は中国へ行く途中に小舟の上で亡くなりました。彼は朱神父様の守護聖人でしたので、朱神父様は、聖フランシスコ・ザビエルの夢を働き続けたいと考えていました。「この有名な聖人は、アジアでの11年間の使徒的活動で100万人の霊魂に洗礼を授けました。中国は巨大な人口を持つ自分の国ですが、とても沢山の霊魂は、未だに天主様の御名を聞いたことが無いのです!

 悪魔はとても忙しく働きかけています。私たちは償いと祈りを以って、彼らの手から霊魂を掴み取らなければなりません」彼は1953年に逮捕され、懲役20年を言い渡されました。5年後、彼は白湖農場に追放されました。囚人のほとんどは農作業をしました。ちょうど聖フランシスコ・ザビエルの足が、南インドの焼けるような砂と日本の凍てつく雪の上を歩いたのと同じように、私たちの朱神父様の足は、夏には熱くて汚い水の中を歩きました。彼は次々に籠の重い泥を運び、冬の間は飢えていました。聖フランシスコ・ザビエルと朱神父様は異なる場所と時代に生まれ、布教活動を行うために異なった方法を取っていましたが、彼らはイエズス様に仕えるという同じ目標を持っていました。私たちは霊魂を救い、異教徒を改宗させるために、代償を払わなければなりません。何事も、イエズス様の苦しみを模倣することなく達成することは出来ないのです。

何年も前から労働改造所で朱神父様と過ごした人は、彼の信じられないほどの忍耐力に驚きました。私たちは、朱神父様がユーモラスな司祭だったことを知っていますし、そしてどのような状況の下でも、彼は腹を立てませんでした。彼について、いくつかの驚くべき話があります。私たちは、寒い日にはほとんど農作業がありませんでしたので、労働改造所で私たちは毎冬に特別な洗脳のクラスがありました。共産党の幹部は、すべての囚人のために、午前中3時間、夜二時間のセッションを開催しました。これらのセッションでは、誰もが自分自身を吟味して「罪」を告白し、自分が行なったことに対して謝罪の言葉を述べる必要がありました。私たち司祭と信者にとって、私たちは何か間違ったことをしていませんでしたし、私たちが自分の国を裏切ったり、破壊したと言うことは問題外でした。共産主義者は私たちの信仰を否定したいというのが事実でした。私たちはこの組織的な精神的拷問の間、多大な圧力の下にありました。時々、相次いで会合がありました。朱神父様は主要な標的でしたので、彼らは自分の攻撃を神父様に集中させました。神父様は非常に賢明で、まるでこの世界に住んでいなかったかのように自分の目を閉じて黙っていました。どんなに共産主義者がヒステリックに叫んでも、朱神父様はそれを完全に無視して眠ってしまいました。彼はさらに、会合で大きないびきをかきました。幹部は頭を横に振って言いました。「何て頑固なやつだ!こいつを治せる薬は無い!」

別の面白い話がありました。それは1960年代の秋、労働改造所で起こりました。朱神父様は、小秋收(シャオチュショウ)と呼ばれた軽い作業である二度目の収穫を行うのに割り当てられていました。小秋收は、綿やピーナッツを集める程度でした。隊長たちは、囚人たちが徹底的にその任務を遂行しないことを恐れ、何人かの人々が一度同じ仕事を繰り返すように割り当てました。小秋收で多くの綿とピーナッツを集めた場合、共産党の隊長は、最初に収穫をした人たちに何らかの処罰を与えるでしょう。人が小秋收に何かを得ることができなかった場合、彼は時間を浪費したことでその人を責めるでしょう。かつて、朱神父様は小秋收の仕事をしていました。彼は非常に賢明でした。彼は座るための小さな椅子を持って、一つの茂みから次の茂みまでゆっくりと移動しました。4時間後、皆の籠にはその半分程でしたが、朱神父様の籠には、ピーナッツ一粒もありませんでした。私たちの司祭は、彼の部隊では有名な「お人好し」でした。

 人々が彼に願い事をする度に、彼はいつも「はい」と答えました。彼らは、少ない収穫の場合、共産党の隊長が彼らが何をしたかをチェックしたことを知っていました。ピーナッツは栄養豊富でしたので、囚人には非常に魅力的でした。彼らはピーナッツを、自分たちの口に入れるのを待つことが出来ませんでした。その後、彼らは待つのを避ける方法を考えました。彼らの多くは、次々に朱神父様のところへ行き、彼の籠からピーナッツをつかみながら言いました。「あなたはお人好しだ。今日も御世話になります!」朱神父様は微笑んで、すぐにピーナッツの殻を埋めるように彼らに頼みました。正午に隊長がやって来て、彼が神父様の籠が空になっているのを見た時、朱神父様を怒鳴り始めました。「誰もが一生懸命働いているじゃないか。おまえは一粒のピーナッツも摘まずに、5時間何をやっていたんだ?」神父様は、非常に穏やかに答えました。「今日、私は幸運です。あなたは、最初に収穫をした人々を賞賛してはいかがですか。御覧なさい、彼らは完璧な仕事をしました。私は、何も取れませんでした」

朱神父様は、中国の安徽省で1984年に亡くなりました。カトリックの信仰のために、彼は二度逮捕され、三十年以上投獄されました。彼は中国で、そして中国のために、自分の血を流しました。彼は実に、私たちの時代における聖フランシスコ・ザビエルでした!




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