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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第二十九章 卵の話

2011年11月13日 | カトリックとは
第二十九章 卵の話

 1961年に白湖農場にいた間、私はマラリアにかかりました。私ば約18日間、43度の高熱がありました。医師は全く農場にいませんでした。当局は少しの薬も供給しませんでした。 運よく、私の囚人仲間の一人が、彼女の家族から送られてきた薬を私に与えました。奇跡的に私は回復しました。
 
 労働改造所の規則は、いったん熱が下がったら、患者は次の日に作業に戻らなければならないと決めていました。そこで翌朝、震える身体でかごを運びながら、綿花を集めるためにテレサと外に出ました。途中、私たちはニワトリ小屋のそばを通りました。突然、私たちは、卵が角の所にあるのを見ました。テレサは私にささやきました。「見て。天主様がどれほどあなたを愛していらっしゃるかを。あなたは病気から回復したばかりです。今、天主様はあなたを強くするために、卵を与えて下さいます」そして、彼女は慎重に卵をを拾ってエプロンに入れました。私たちが晩に小屋に戻ったとき、テレサは言いました。「あなたは台所に行って、そこの女の人にこの卵をあなたのために茹でるよう頼みなさい。でも、あなたは慎重でなければなりません。もし、改造所の看守が見つけたら、あなたを罰するでしょう」

 実は、私はこっそり何かを食べることに慣れていませんでしたので、卵を食べたくはありませんでした。「誰にも気付かれずに卵を食べるのは簡単だけど、殻はどうればいいの?」と私はテレサに言いました。「いいわ、あなたよりはるかに弱い修道女にそれをあげて下さい。彼女はより賢く、殻をどうすればいいか知っているでしょう」 ところが、その修道女は、一人では卵を食べないと言い張りました。「李シスターにあげて下さい。彼女は、より多くの栄養を必要としています」

 このように、卵は次から次へと5人か6人に渡されましたが、誰も自分たちでそれを進んで食べようとは思っていませんでした。 聖母の御誕生日である9月8日が近づいていました。また、9月8日は私たちの逮捕の記念日です。誰かが、私たちが卵を割り、水に入れて茹でるべきだと提案しました。結局、私たち15人のカトリック教徒が皆、その特別な祝日の日に、1さじの卵とじスープを飲みました。1さじの卵とじスープは何も意味もなしませんでした。しかしそれは、私たちがどれほどお互いを愛し、世話をしたかを示しました。

 私は、あの一さじの卵とじスープを決して忘れません。そして、私たちの苦しみの最中に永遠に続く友情が育まれたことを、ずっと覚えていることでしょう。




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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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