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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第三十二章 善き羊飼い: 傅玉堂神父様

2011年11月16日 | カトリックとは
第三十二章 善き羊飼い: 傅玉堂神父様

 1962年、無数の囚人が白湖農場に送られ続けましたが、状況はまだずっと悪いものでした。 医師と看護人のいる現地の病院を置くことが必要であり、問題はどうやって彼らを得るかということでした。彼らを唯一の方法は、囚人の中から探すことでした。 共産党の幹部は、私たち女子部隊に来て、私たちから10人を選びました。彼女ら殆どはカトリック教徒でした。私は聖約翰大学医学院で学んでいたので、幹部は私に特に興味を持っていたように思えます。そして、テレジア、マリア、メイ及び私は、一緒に病院へ働きに行きました。

 1962年秋、40歳位のサレジオ会司祭である傅玉堂神父様が上海からやって来ました。彼は非常に痩せていました。私たちは、彼の外見から栄養失調にかかっていたのが直ぐに分かりましたが、それでも彼は依然として穏やかで安らかでした。彼は舟によって労働改造所に送られ、病院遠く離れた民家に留まっていました。神父様を連れてきた人々は、病院に着くまでに2日2晩かかり、その患者が死にかけており、十分な手当てが必要なカトリック司祭であると私たちに言いました。傅神父様は病院に着くと、私たちは彼を扱うために最善をつくさなければならないお互いにつぶやきました。すぐに彼を救急治療室に送りましたが、彼と一緒に添えられた小包の、何着かのぼろぼろな衣服と2個の壊れたカップというわずかな所有物は、この勇気のある人物に悲惨さを与えただけでした。彼は全くぼろぼろの服を着ていました。髪の毛はもつれて、呼吸するのに困難があり、完全に横たわることが出来ませんでした。ですから横たえるために、彼はひざを立てなければなりませんでした。人は彼の姿勢から、どれほど苦しでいたかが分かりましたが、彼は決してうめかず、めったに何か助けることをするように看護人に頼みませんでした。

 その時期は、多くの人々が栄養不良で亡くなっていました。毎晩、私の病室では、少なくとも12人の患者が亡くなりました。共産党の指導者は、もしあまりに多くの人々が亡くなるならば、生きている人々が造反するのを恐れていました。利己的なこの雰囲気の中で、彼らは死亡率を低下させるために、いくつかの手順を採用しました。手順の1つは、夜に看護人が一杯の砂糖水瀕死の病人に分配することでした。砂糖水は不釣り合いなほど限られており、あまりに多くの患者がそれを必要としました。私たちカトリック教徒の看護人は、最初に傅神父様のことを考えました。私たちは彼がそれからより多くの活力を得られることを望みました。私が彼に近づいて「神父様、あなたのカップを出して下さい」と言ったときは、いつも彼は1分位ためらい、十分な砂糖があるか私に尋ねたものです。「そうでなければ、私は待てます」 私は、彼の健康が他の誰よりも重要であると、彼に言いました。そして、彼は震える手で壊れているカップを私に手渡し、「ありがとう、ありがとう」と言いました。

 また、傅神父様のすぐ向かいには、陸さんというカトリック教徒の患者がいました。陸さんは時折、彼がカトリック教徒であると私に言いましたが、何年間も教会に行ったことがありませんでした。今、彼は死に直面しており、自分はとても罪深いと感じていました。彼は、司祭が臨終の秘蹟を彼に与えるだろうと望みつつ、生きていました。 時々、私は彼が夢を見ていたと思いました。この労働改造所では、私は彼のためにどうしたら司祭を見つけることが出来るでしょうか? 天主様は天主様です。その御摂理は、あらゆる不可能性の上にあります。2、3日後に答えは来ました。聖霊は目を開けました。陸さんのために何かをするのが私の仕事であり、向かいに横たわる信者がいることを知らせるために、私は傅神父様のところに急ぎました。この信者は死にかけており、司祭が罪の赦しを彼に与える必要がありました。傅神父様の回答は、簡潔でしっかりとしていました。「司祭が信者のために臨終の秘蹟をするのは、私の務めです。すぐに痛悔の行いをするように彼に言ってください。そうすれば、私はすぐに罪の赦しを与えます」私はこのことにとても心を動かされましたが、私は急いで陸さんに出来るだけ早く教えました。陸さんは顔に涙を流して十字架の印をし、心の底からの微笑みと共に、数時間後に亡くなりました。そのような祝福された死を目のあたりにするほど、慰めになることはありません。数日後に、傅神父様自身も亡くなりました。

傅神父は、多くの本を翻訳した有名な言語学者でした。共産主義政府は、彼らのために翻訳の仕事をするように神父様を誘惑しましたが、神父様は彼らの要求を拒絶しました。 カトリックの信仰を否定することを望んでいなかったので、神父様は逮捕されて、懲役7年の判決を下されました。彼は、容赦のない肉体労働と栄養の無い食物のために、白湖農場で亡くなりました。





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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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