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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.7.3.殺到する召命

2010年03月25日 | ルフェーブル大司教の伝記
殺到する召命

 1972年から1973年までの間、聖ピオ十世会にとって唯一の使徒職はイギリスとカルフォルニアだけであった。ただし、フランスのマルヴィエールにあるリュス・クネット(Luce Quenette)女史経営の女学校のためにオラニエ神父は慎ましい指導司祭の任務を担当していた。マルヴィエールは、冬のある日には、スキーを使わなければこの学校付指導司祭も辿り着くことができない程の人里離れた村である。

 しかしながら、エコンでは召命が殺到し始めた。ある者は増大する評判によって引き付けられて来たり、又ある者は(当時フランス国内には依然として数百名いた)叙階当時のミサに忠実であり、教義的に信頼の出来る司祭たちによって送られてきたりした。

 1971年10月には、27名の新入生が入学し、その中の大多数はフランス人であった。例えば、ピエール・アルマン・ダルジャンソン(Pierre Armand d’Argenson)、ディディエ・ボンテール(Didier Bonneterre)、ルイ・ポール・デュブル-ク(Louis-Paul Dubroeucq)、そしてモーリス・モニエ(Maurice Monier)などである。またスイスからは、ジュネーヴ出身で、プロテスタント牧師の息子ドゥニ・ロックと、さらにニューヨークからは既に述べた私たちの友人3名がいた。

 1972年収穫の“製造酒”を受け入れるために、エコンでは十分な場所がないだろうと心配したルフェーブル大司教は、しばらくの間ヴァル・ダオスト(Val d’Aoste)での霊性学年度設立について思索した。彼はオヴィディオ・ラリ(Ovidio Lari)司教からそのための認可を受けたが、それにも拘らず、1972年10月に入学した35名の新入生たちは霊的生活入門をエコンで開始した。彼らは、イギリスや、ベルギー、フランス(ドゥニー・クワッフェ [Denis Coiffet]、ジャン・ミシェル・フォール [Jean-Michel Faure],フィリップ・ル・ピヴェン [Philippe Le Pivain] など)、イタリア、スイス、そしてドイツというヨーロッパの六カ国から来た。

 ドイツではカトリック教会内の革命に対する抵抗は、1965年の降誕祭の少し前、ミュンヘン大学のラインハルト・ラウト(Reinhard Lauth)教授による超越哲学の講義の一つから始まった。そのとき以来、数を増す学生のグループはカトリック教会における危機について研究する為この教授の下に集まり、聖伝のミサの存続を支持した。このグループの中には、シュヴァ-ベン(ドイツ南西部地方)人で数学科の学生であるフランツ・シュミットバーガー(Franz Schmidberger)と、プロイセン出身の哲学生クラウス・ヴォッザック(Klaus Wodsack)がいた。

 1972年、この2名はエコンに入学した。スイス連邦評議会の議長であるロジェ・ボンヴァン(Roger Bonvin)氏は、教室などに使う部屋がある新築の「聖ピオ十世の棟(ウィング)」を視る為に、神学校を訪問していた。二番目の宿泊用ウィングが1973年に増築された。スイス(中北部)のツーク州から来たジョゼフ・ビズィーク(Josef Bisig)を含む、ドイツ語を話す新入生たちが、ますますはるか遠方に旅する大司教の為に、ドイツやドイツ語圏のスイスを開拓することになる。


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聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:現在108782環のロザリオが集まりました

2010年03月24日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか? ロザリオの十字軍の最終日まであと1日となりました! 

 特に今回は私たちの呼びかけに答えてくださったまだお会いしたこともない愛する兄弟姉妹の皆様からの感動的なご報告をも紹介いたします。本当にありがたいことです! 深く感謝しております。

 2010年2月までの分として、2010年3月24日現在の報告の総計は108782環です。90%の目標達成率です! 愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご理解とすばらしいご協力に心から感謝いたします!

 めざせ!12万環、聖母マリア様の12の星となりますように! さらに、お知り合いの方々にご協力をお願いしてください。よろしくお願いいたします。

【報告】
初めまして。
以前から、ピオ十世会のサイトを拝見させて頂いている者です。
東京に行く機会があれば、トレントミサに預からせて頂きたいです。
さて最近ロザリオを十字軍の意向に添って、三十四環唱えさせて頂きました。
本当に僅かで申し訳ありませんが、もし、よろしければ、カウントして下さい。
25日まで、僅かですがこれからも、何とか頑張りますので宜しくお願い致します。

【報告】
アヴェ・マリア!

トマス小野田神父様
ロシアの奉献のロザリオのご報告をさせていただきます。
2月27日~3月22日19時現在(日本時間)
25環捧げました。

あと少しで3月25日を迎えます。
ロザリオの十字軍は私にとって大きな希望です。
天主様の祝福が豊かにありますように!

【報告】
罪びとですが・・・ (希望)
ロザリオの十字軍に参加していない者です。
が、昨年からこの修道会のご意向に沿ってロザリオを唱えてきました。
ロザリオを5連唱えて一環と考え、この一年近くで620環唱えました。
犠牲として断食、そして不快なことがあっても不満を漏らさないなど小さな犠牲を捧げたつもりです。
それでも、罪人であることには変わりありません。
こんな罪びとの祈りをも聖母は聞き届けてくださることを信じています。
ロザリオのカウント数に加えてくださることを期待しています。

+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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聖伝のカトリックの御影を紹介します その4

2010年03月24日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

Original Traditional Catholic Catholic Traditional Image (by Bellator Dei)s by BellatorDei をいくつかご紹介します。



[Catholic Traditional Image (by Bellator Dei)]



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聖伝のカトリックの御影を紹介します その3

2010年03月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

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聖伝のカトリックの御影を紹介します その2

2010年03月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

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聖伝のカトリックの御影を紹介します

2010年03月24日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.7.2.聖人たちの島で

2010年03月24日 | ルフェーブル大司教の伝記
聖人たちの島で

 第二バチカン公会議後の典礼改革に対する抵抗は英国においても同様に組織されていた。

 雑誌アプローチ誌 のハミッシュ・フレイザー(Hamish Fraser)氏によって組織された一般信徒の運動を、1966年以降ルフェーブル大司教は支持した。

 また、ウナ・ヴォーチェ連盟に加盟していたラテン・マス・ソサイエティー(the Latin Mass Society :ラテン・ミサ会)という団体があった。さらに新しいミサの実施前でさえ、ある一般信徒たちは、教会を用いるか、あるいは“カトリック迫害時代(penal days)”の様に、秘かに個人宅を用いるかして、聖伝のミサに忠実であることを決心していた司祭たちが捧げるラテン語ミサを提供するネットワークを展開し始めた。

 1969年以降、ヒーナン(Heenan)枢機卿によって受けられた特典(indult) に則って、司教たちの認可、これはわざと少なく控えめに許可が与えられたのであった、を受けている聖伝ミサだけをラテン・マス・ソサイエティーが組織することを取り決めた時、ある人々はルフェーブル大司教に救いを求めた。その内の一人がウナ・ヴォチェ・スコットランド連盟の会長メリー・ネイルソン女史(Miss Mary Neilson) である。彼女はローマで開催された1969年度ウナ・ヴォーチェ連盟会議で、ルフェーブル大司教に会っている。大司教はまた1971年、英国を訪問した。エディンバラ(Edinburgh)で、彼はやがて聖ピオ十世会の二代目イギリス管区長となるであろう若きエドワード・ブラック(Edward Black)に出会った。

 そうこうする内、その聖伝主義においては最先端にあり社交的で陽気な男、ピーター・モーガンが1971年6月28日にエコンで司祭に叙階された。直ちに大司教は彼をイギリスに送った。そしてまもなく彼は、サウスワーク(Southwark)司教区のロンドンに聖ピオ十世会の家/支部修道院を設置した。

 ルフェーブル大司教はサウスワードのサイリル・コーデロイ(Cyril Cowderoy)司教に手紙を送り、この家が小規模の小神学校として設置されたことを説明した。1971年5月1日、コーデロイ司教は、聖ピオ十世会の“固有の会員のための祈りと勉強の為の家”なら認可するという返信を送った。3月8日、大司教はよろこんでこれを受け入れた。

 その後少しずつモーガン神父の下に数名の勇気ある司祭たちが合流してきた。彼は様々な教区長たちによって明らかに支持されることのない出張使徒職を組織した。

 1972年秋、聖人たちの島からの 聖伝司祭召命の初穂がエコンに現れた。先ず一人目は、軍人らしく実践的なスコットランド人、エドゥワード・ブラック、さらにもう一人は二ヶ月後に来た、沈着かつ熱烈で、シェークスピアとベートーベンを熱愛する英国人、リチャード・ウィリアムソンであった。

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.7.1.アメリカがエコンへやって来る

2010年03月23日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅶ.召命における展開


アメリカがエコンへやって来る

 ルフェーブル大司教は、希望をもって召命の潜在的源泉としてアメリカ合衆国に眼差しを向けていた。近代主義による荒廃に直面して、アメリカにはカトリックの聖伝に基づいた強固な抵抗力があったからである。ゴマー・ド・ポー(Gommar De Pauw)神父主催のカソリック・トラディショナリスト・ムーヴメント(カトリック聖伝運動)や、フランシス・フェントン(Francis Fenton)神父によるオックスフォード・ローマン・カソリック・ムーヴメント、ジョゼフ・ジェドゥラ(Joseph Gedra)神父のトリエント・ラテン語ミサ委員会(Committee for Tridentine Latin Mass)などのような組織化された運動が存在した。多くの司祭たちは、例えば、ノースダコタ州、パワー・レイク(Power Lake)のフレデリック・ネルソン神父のように永遠のミサに忠実に留まった。他のカトリック信徒たちは特定の宗派に属さない反共産主義ジョン・バーチ協会(John Birch Society)に所属していた。これらの多様な組織にあるそれぞれ異なる傾向は、ルフェーブル大司教にとって初の新入生たちの中に反映されていた。

 合衆国においては、スイスの聖ピオ十世会の創立とその神学校についてすぐに知れ渡った。1970年12月29日、カリフォルニアの一人の若いカルメル会士ジョージ・ポストは、ルフェーブル大司教に手紙を書き送った。神学生として入学が許されたので、ポストは1971年秋、フリブールのヴィニェッタ通りの家に入学した。しかしながら、これより先の、1971年3月、大司教は合衆国の視察を行っていた。大司教はケンタッキー州のコヴィングトン(Covington)にいる友人、アカ-マン(Ackerman)司教の「聖ピオ十世神学校」 で教授を務めるラムゼイ(Ramsay )神父を通して、ニューヨークの3名の神学生、アンソニー・ワード(Anthony Ward)、ドナルド・サンボーン(Donald Sanborn)、そしてクラレンス・ケリー(Clarence Kelly)と面会した。

 3月18日、大司教はコヴィングトンから、友人で後援者でもあるジャン・ルコント将軍(General Jean Lecomte)に手紙を書いている。

「私は合衆国におります。それはアメリカから神学生がいちいちスイスに来させるのを避けるためです。ここで優れた召命を引き寄せる為にも、建物をもてればと考えております。」

 当分の間、この計画が延期されたので、3名のアメリカ人は1971年10月5日と6日にエコンで霊性学年度を開始した。

 ヨーロッパ人の神学生たちにとって、クラスメートであるアメリカ人の性格は新たな発見であった。彼らはレクリエーションや皿洗いの最中には非常にリラックスしていたのが、典礼法規に関しては驚くほど融通が利かなかった。先ず、彼らはエコンでのミサには、詩篇 Judica me (天主よ私を弁護し:階段祈祷詩篇42,1-5)と最後の聖福音が省略されていると的を射た非難をした。さらに会衆に向かって、書見台から朗読される書簡と聖福音についても同様の非難をした。1974年に、大司教は1960年度版典礼法規の厳密な順守に立ち返った。しかしそれは、神学校を卒業したら教皇ヨハネ二十三世以前の諸規定に従うつもりでいた彼らアメリカ人神学生たちのある者にとっては十分に納得のいくものではなかった。同じ神学生たちは、何故ルフェーブル大司教が新しいミサを無効であるとか、使徒座が空位である と判断しないのか理解に苦しんだ。

 物質的で技術的な手段を重視する自然主義的な日常生活と、観念主義ならびに形式主義に傾いた敬虔さとのコントラストから生じる典型的なアメリカ人特有な弱点の煽りを受けているこの若き聖職者たちが起こし得るもめ事をルフェーブル大司教はすでに予想していたに違いない。1974年、ミシガン州のアルマダ(Armada)に創立されてから、コネチカット州リッチフィールドに移転された後、ついにミネソタ州のウィノナに定着したアメリカの神学校は、厳密に言えば、本当に自然な自然村政と本当に超自然の聖寵との調和の取れた統合の達成を目的にしていた。それにもかかわらず、間もなくして聖ピオ十世会を去ったアンソニー・ワードと、ルフェーブル大司教と共に留まる為にルフェーブル大司教からはるかに距離を置いていたクラレンス・ケリーや、ドナルド・サンボーンの両神学生は、この理想の達成に一役買おうとはしなかった。この状況において、私たちはある若き英国人がもつ、あの整然とした知性と、決然とした不屈の堅忍が必要だった。



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バチカンのシスティン礼拝堂のバーチャル・ツアーが出来るようになりました

2010年03月22日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 アメリカのヴィラノヴァ大学とバチカンとの提携プロジェクトで、システィン礼拝堂のバーチャル見学が出来るようになりましたのでお知らせします。

 次のリンクをご覧下さい。
http://www.vatican.va/various/cappelle/index_en.htm

【↑このページに入ったらENTERをクリックしてください。】

The virtual tour of the Sistine Chapel, a joint project of Villanova University and the Vatican, has been launched here on the Vatican Web site:
http://www.vatican.va/various/cappelle/index_en.htm

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【参考資料】
ルーブル博物館のバーチャル・ツアー
http://www.louvre.fr/llv/musee/visite_virtuelle.jsp?bmLocale=ja_JP

聖母の汚れ無き御心に教皇様がロシアを奉献するため:現在108103環のロザリオが集まりました

2010年03月22日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか? こちらソウルでは今、大粒の雪がこんこんと降っています。
 さて、ロザリオの十字軍の報告をご紹介いたします。

 2010年2月までの分として、2010年3月22日現在の報告の総計は108103環です。90%の目標達成率です! 愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご理解とすばらしいご協力に心から感謝いたします!

 今、ベネディクト16世教皇は、多くの攻撃を受けています。手遅れにならないうちに、ベネディクト十六世教皇様が、周囲の反対を押してでも(ちょうどそうしてモートゥー・プロプリオを発表したように!)、ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献して下さるように祈りましょう。

 2010年3月25日まで、わずか3日となりました!めざせ!12万環、聖母マリア様の12の星となりますように! さらに、お知り合いの方々にご協力をお願いしてください。よろしくお願いいたします。

 まず、或るご夫婦からは計357環の報告を頂きました。

【報告】
トマス小野田神父様

3/7から3/20まで、14環のロザリオを報告します。
日本は関東に暴風波浪警報。帰宅時、髪が旗のようになびきました。

【報告】
+Ave Maria

小野田神父様、お元気でお過ごしですか。
黙想会のご指導は大変ですか。

ロザリオの十字軍のために、うちから、日本の分として、650環 お捧げします。この分は、ダブりません。ご心配なく。

【報告】
アヴェ・マリア!

 小野田神父様、いつもお世話になっております。いつもいつも霊魂に必要な糧を下さり本当に有難うございます!私たちにとって、神父様はノアの箱舟のような存在であります。引き続きこれからも御指導よろしくお願い致します。
 ようやくロザリオ十字軍の報告をさせていただきます。長く遅れてしまいましたことお許しください。
 2009年4月25日~2010年3月8日までです。 計318環です。 聖母マリア様がどうか受け入れてくださいますようにお願いいたします。
 あと、1月に御ミサに一緒に与るお恵みをいただいたヨゼフ【仮名】さんからもロザリオの報告を受けておりましたのでお願いいたします。昨年の12月に、ロザリオの十字軍のお話をさせていただいてから、1月の御ミサの前までの間の報告でした。計50環 とのことです。
 今月も是非また聖伝の御ミサに与らせていただきたいと思っておりますが、もしその際にはまたご迷惑をかけてしまいますがいろいろとご指導よろしくお願いいたします。ロザリオの十字軍としては引き続き聖母の御取次ぎを願ってまたロザリオをお捧げしていきたいと思います。またご報告いたします。
 それでは、神父様もお体気をつけてください。ではまた失礼いたします。  
【報告】
小野田 神父様

ご無沙汰してます。ブログ見るのが楽しみです。
ロザリオの報告ですが30環は超えていると思います。数えていませんが、毎日1環は通勤時に唱えています。その後に聖会保護者なる聖ヨゼフの祈りもしています。
 聖木曜日に教皇様が聖伝のミサを捧げられる様ですが、もし捧げられるなら本当に有り難い事と思います。捧げられたらyoutubeなどで見ることができるかと思いますので、もし捧げられたら神父様にも情報が入ると思います。その時は教えて下さい。教皇様が聖伝のミサを捧げられるよう祈ってます。楽しみに待ってます。必ず、司教様方もごミサをされる日が来ることを祈ってます。
 27日の御ミサには是非行きたいですので、明日、有給の届けを出すつもりです。ミサに行けるように祈って下さい。宜しくお願いします。

+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.6.4.バリエル神父がくれた宝

2010年03月22日 | ルフェーブル大司教の伝記
バリエル神父がくれた宝

 霊魂が有する諸能力の区別、原罪によって人間本性が受けた4つの傷、対神徳や倫理徳の成長、並びに聖霊の七つの賜物などを土台としてその上に建てられた聖トマスの堅固な霊性学は間もなく、ルフェーブル大司教が自分の神学生たちに説き聞かせることを望んだ使徒的熱意や霊的戦闘の意味と、罪の現実性とを調和させる道具の援助を受け取った。そのような援助を、エコンにてルドヴィク・マリー・バリエル神父が説き進め、説明し、さらに大衆化したロヨラの聖イグナチオの霊躁に見出すほど、ルフェーブル大司教は本当に幸せな方であった。

 バリエル神父は、マルセイユ近郊のシャトー・ゴンベールで生まれ、若者として、この熱心なプロヴァンス地方の田舎者は第一次大戦で戦った。つぎに、彼はマルセイユ司教区の「善き牧者教会」の主任司祭となった。後年、シャボイユにある「王たるキリストの小教区協力者(CPCR)」の司祭になる。彼は王たるキリストの小教区協力者の創立者であるヴァレー神父の親友であり、公会議後の自由主義的傾向から距離を置く前は、シャボイユ本部の修道院長であった。聖伝の軌道に乗せて、王たるキリストの小教区協力者の再創立ことを考えながら、1971年10月のある日、エコンを訪問し、そして居続けた。最後に彼は自分の計画を放棄した。聖イグナチオによる霊躁の炎を聖ピオ十世会の会員たちに伝えながら、神学校の“霊的指導者”として、より好ましい形で、この計画を成し遂げた。

 夕の“霊的講和”の中でバリエル神父は“修練者向けミルク“を提供した。彼は聖性への渇望を、典礼の黙想と聖人たちの生涯という模範を通して神学生らに植え付けることに秀でていた。バリエル神父は、イグナチオ的霊的道のりにそってこだまする聖イグナチオの“原理と基礎”にある抗しがたい論理を神学生たちに解らせた。

 ルフェーブル大司教はイグナチオが用いた完璧なトマス主義(聖トマスによる哲学と神学)を賞賛した。自我の征服(克己)であれ、己の聖化の究極目的と手段である聖主の愛を悟ることであれ、人間は常に自分が頂きたいと望む恩寵を、黙想を通して天主に乞い求めなければならない。

「従って、私たちが天主を愛するにつれ、聖主は霊魂を照らし給い、またこの霊魂は己の中に天主との一致を妨げる障害を直観的に感じ取るのです(1976年エコンでの黙想会、1986年9月の司祭黙想会にて)。」

 事実、この聖ピオ十世会創立者は気をつけてしばしばこう繰り返していた。
「カトリック教会の霊性でない限り、私は何か特別な霊性を皆さんに課そうなどとは望みません。 」

 そういう訳で、大司教は聖トマスの神学大全の霊性の道のりの方式を好んだ。それでも大司教は、バリエル神父がほとんど毎年夏に指導し、自分も一度与った “30日 ”が、後日どれ程自分のためになったかを述べながらそれを奨励した。

 バリエル神父は、イエズス・キリストの玄義のイグナチオ的な観想が、霊魂を聖性に向かって“高飛び込み”させ、また第二の回心に至らしめることを非常によく悟っていた。彼は言った。

「時には、8日間の黙想会をしただけで、参加者たちが神秘的な細道に沿って導かれているのを見たことがあります。」

 バリエル神父なくして、エコンは(今日の)エコンではなかっただろう。モリロ(Morilleau)司教が神学校視察中に言ったように、足を踏み入れる者が「修練院にいるような感動」を体験することはなかったであろう。

「[彼は]救霊に対する激しくも疲れを知らない絶えざる願望を備えた司祭の驚嘆すべき模範でした。(霊魂の)永遠の救いという考えに憑りつかれ、バリエル神父は信仰によって生き、天国の現実と接触して生活していたのです。至聖三位一体や、イエズスの至聖なる聖心、聖ヨゼフ、聖なる諸天使らなど、彼はこれらの信心で養われていただけではなく、それを他人にも教え、奨励していました。」(1983年3月8日、エコンでの霊的講話で)

 バリエル神父は、ピエモン(Piémont)のモンタレンゲ(Montalenge)にある黙想の家での霊躁指導に働き尽くめであり、それは自分が完全にへとへとになるまで続いた。1983年3月1日、ルドヴィク・マリー・バリエル神父はエコンにおいて、その英雄的な霊魂を天主に献上した。その日は、ちょうど聖ヨゼフの月の初金曜日で、この聖ヨゼフに対して彼は限りのない信頼を抱いていた。

 自分が指導してきた霊的な子供たちが増え、彼らが世界中で一般信徒たちをはじめ、聖ピオ十世会会則で望まれているように、司祭たちにまでも霊躁の指導をしているのを見ることで、この老兵士の喜びは満たされたことであろう。実に聖ピオ十世会は、“司祭職の聖化という会本来の目的”を実現するのである(聖ピオ十世会会則 Ⅷ,3)。

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.6.3.様々な顔ぶれではあるが結束した教授陣

2010年03月21日 | ルフェーブル大司教の伝記
様々な顔ぶれではあるが結束した教授陣

 エコンに住む教授たちのうちには、例えばベルト神父のような教授がいたが、すぐにドン・エドゥアール・ギユー(Dom Edouard Guillou)神父が神学校に合流して来た。パリにある、源の聖母(Notre Dame de la Source)修道院から来たベネディクト会士である彼は、ヌヴェル・ド・クレチアンテ(Nouvelles de Chretienté)誌 の典礼関係の編集長であった。愉快でお茶目な声でこの典礼学者の修道士は、「新しい典礼」の逸脱を多様な厳しい格言を引き合いに出している。彼曰く「典礼とは教訓ではなく、教えるための手段でもない。」「ミサとは、ベラベラと話すものではない。」しかし、まさにもう一方の極端に走ろうとしている神学生たちに対して警告した。「典礼法規形式主義こそが、どんな改革でも受け入れさせてしまった。」ドン・ギユーはドン・ゲランジェの本当の弟子であったので師匠であるドン・ゲランジェの格言を何度も繰り返した。「典礼とは、力強さと荘厳さとのその最高の段階にある聖伝である。」

 もちろん、ドン・ギユーは、ローマ典礼擁護の為に「典礼博士(ドン・ゲランジェ)」の戦いの光によって、パウロ六世による数々の典礼改革に対する鋭い批判を行った。「カトリック教義と慣習を弱めることで、異端者たちを引き寄せようとするあまりにもありがちな盲目な希望」をプロスペール・ゲランジェはすでに告発していなかっただろうか?彼は「反典礼的な異端」が持つ様々な特徴を特定しながら、あらかじめ新しいミサを非難していなかっただろうか?彼が特に注目した点として、「天主崇拝の為の祭式文における聖伝に対する嫌悪」と、「巧妙に朗読箇所を選び出し」、新しい教義を普及させるために「都合良く削った抜粋箇所」を引用することによって、“聖伝の声を黙らせること”を狙って“聖書朗読によってカトリック教会式の祭式文を入れ替える”というやり方がある。従って、“典礼とは、諸刃の剣であり、カトリック教会の手中にあれば人々を救うことができ、異端の手中に落ちれば、霊魂たちを情け容赦なく滅ぼしてしまう。 ”

 もうひとつ特に実用的な価値を持つ科目は護教学だった。この科目は若き跣足カルメル会士ドミニク・ド・ラ・プレル(Dominique de La Presle)神父により、教会論と合わせて教えられた。彼は議論の学問的な手法に神学生たちを綿密に教えた。ドミニク神父は、大イルミナティら によって予言され計画されたエキュメニズムにある秘法的で悪魔的な起源を解き明かした。教会史はブルジュ(Bourges)の大神学校から来たクリスチャン・ドュムラン(Christan Dumoulin)神父が担当した。彼はその論理的精密さと驚くほど愉快な演出能力で知られた教師であった。

 熱い学問というものがあるのなら、それは社会倫理学、又は広義の意味で政治学である。これは熱狂的なオラニエ神父の流儀で教えられた。彼が忠実に従ったのはルフェーブル大司教の指示である。

「政治において私たちは、自分個人の考えを持つことは許されますが、その為にはその考えがカトリック教会の教義と一致していることが条件となります。しかし神学校は、特定な政治形態のどれにもつながっていません。そこでは、私たちはもっと上に立たなければなりません。倫理学によって教授される一般的な政治学の諸原理のみがあるのです。民主主義は、無統制と独裁制の狭間で往ったり来たりするからこそ相変わらず危険です。しかし、私たちは気をつけなければなりません!私たちは、カルリスタ(Carlistas)とホアン・カルロス(Juan-Carlos)と分裂後に崩壊したバルセロナの“海賊神学校(pirate seminary)”のようであってはなりません! 」

 従って、もしもオラニエ神父がシャルル・モラス(Charles Maurras)の“自然政治学”を引き合いに出すのをためらわなかったとしたなら、それは自由民主主義の礎となったジャン・ジャック・ルソーの“社会契約説”に対して成された教皇による非難宣告の理由とモラスの思想が合致していたからである。しかしながら、この好戦的な司祭(オラニエ神父)は、ルフェーブル大司教推薦の、反自由主義者でカトリック著者を出来るだけ読むことを勧めた。例えば、ピー枢機卿や、ルイ・ヴェイヨ(Louis Veuillot)、そしてエマニュエル・バルビエ(Emmanuel Barbier)神父とその著書『リベラル・カトリック主義の歴史』、フェリックス・サルダ・イ・サルバニ(Felix Sarda y Salvany)神父著『自由主義は罪である』、さらにモンシニョール・アンリ・ドラシュス(Henri Delassus)の著書などである。彼は神学生たちに言明している。

「もし読まないなら、この危機について皆さんは何も理解しませんし、むしろそれに譲歩してしまいますよ!」

 優れた教授たちにせよ、謙虚な新米教授たちにせよ、さらに彼らがエコンに住んでいようといまいと、これら全ての構成員は、この教授陣がかなり様々な顔ぶれを持ち、時折その顔ぶれも非常に対照的であるのだが、カトリック教義を伝えるという本質において常に一致していた。ルフェーブル大司教は各々の教授が持っている才能を慎重かつ思いやり深く活用した。学年度初めにした自分の希望と意向を伝えた後、彼は口を出さず、神学校教授陣を信頼した。

 他にも数人の教授らが時々やって来て、彼ら自身の貢献をした。こうしてゲラール・デ・ロリエ神父が来てマリア神学の講義を行った。彼は地下鉄の乗車券の裏に自分の講義の草案を走り書きしていた。しかしその内容ときたら、並みの生徒の理解能力を依然として凌いでいた。またファイ(Faÿ)教授の数々の講演は、カバラと密教的セクトから、フリー・メーソンとその今日の役割まで、人文主義やプロテスタント改革者たち、フランス百科全集 、さらにフランス革命を通って反教会の連続した時代に関する壮大で歴史的な全体像を示してくれた。足を引きずって歩くこの威厳ある病に苦しむ教授の生き生きとした雄弁は、この小さな“しなびれたドミニコ会士”( ゲラール・デ・ロリエ神父)の、抽象の関係的形而上学の微妙な思弁と奇妙にもうまく連れ添った。

 これが英雄的な初期数年間のエコンであった。しかしもし御摂理がその門戸にバリエル神父を導かなかったとしたなら、エコンは今日のエコンではなかっただろう!

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.6.2.科目編成-師なる聖トマス

2010年03月20日 | ルフェーブル大司教の伝記
科目編成 - 師なる聖トマス

 1971年5月2日、ルフェーブル大司教はエコンで、そこに勤務する教授らの協力を得て、1972学年度から始まる哲学と神学科目の教育課程を決定した。

 フランソワ・オリヴィエ・デュビュイ(François-Olivier Dubuis)神父は、神学校における勉強は7年間継続するべきであると考えた。しかしより現実的で、さらに司祭を供給するよう信徒たちから願いを受けていたルフェーブル大司教は、この教育課程を一年間の霊性学と、2年間の体系的哲学(論理学、形而上学の基礎論、霊魂論、形而上学、倫理学)、さらに2年間の神学から成る5年間と定めた。時間的には短いものであった。神学生たちは、聖書学や、教会論、さらに倫理神学であっても哲学と平行して勉強し始める事になっていたのも本当であった。しかしながら、2年間の神学には3年目が後で加えられるだろう。

聖書学、教会法、カトリック教会史、さらに典礼学などのような“専門的”科目の他に、ル・ロエレック(Le Rohellec)神父のかつての弟子である大司教は、哲学と神学との統一科目(cursus)があり、この課程において、神学生たちはアクィナスの神学大全 を教科書として、問題に最初から一つ一つ取り組む授業を望んでいた。実際、神学と離れ離れにされた哲学が現実に関する自然主義的な見方を彼らに与えるという事を懸念していた。

「2年間の哲学の授業は、まず自然的な真理を、次に初めて啓示を提示するという不都合がないだろうか?」

「何故なら、天主は、私たちが(聖寵によって)超自然の状態に上げられる事を望み給うたので、今や私たちには本性と聖寵とを分断することは出来ません。ただ単なる本性だけのものとして、誰一人これまで存在した事はなく、また今も存在していません。そのような人間は存在しないのです!アダムとエワは聖寵の状態に創造され、聖寵を受けなかった人々は欠如の状態にいるのです。ですから彼らはこの聖寵の欠如を感じているのです。何故なら、この本性は傷ついており、(人祖の犯した罪:原罪により)聖寵が剥されているゆえに、秩序を欠いているからです。よって、聖寵を所有しないか、所有しているかのどちらでもない人間の存在はあり得ないのです。従って、人は聖寵に関して無関係ではありえないのです。」

 単なる自然の見地に立ってなされる現実に関する学問には、純推論的な思考か、この学問が提起する論理的かつ形而上学的な精妙さによって魅了されることへの喜びをもって生徒たちを誘惑する恐れが伴う。2年間の長き学年度中、天主を目指す人間の霊的な道のりとしての神学大全に含まれた、理性と信仰とのあの驚嘆すべき総合は神学生たちから奪われてしまう。神学校の教授らは、哲学と神学とは、各々が別々に備える2つの“光”つまり理性と信仰ゆえに、この二つは全く異なった学問であり、私たちは哲学というものを神学の道具かつ“下僕”として用いるためには、先ずそれを理解していなければならないと反対した。こうして大司教は教授陣の意見に譲歩し、従うことになった。

 3名の最初の教師たちに加えて、例外的な資質を持った司祭たちがいち早く加えられた。

 まず、フランソワ・オリヴィエ・デュビュイ神父がいた。彼は既婚の元プロテスタント牧師であり、シオンの神学校と「大聖ベルナルド修道会」(le Grand Saint-Bernard)の参事会員のマルティニの修学院で教授を務めていた。彼は、3年間、教父学と教会史を教えた。エコン以外の場所では、普段彼が新しいミサを捧げていることをルフェーブル大司教はご存知ではあったが、アダム司教とモンシニョール・ロヴェに助言を求めて後、彼の援助を要請するほど大司教の心は十分に広かった。

 次に参事会員のルネ・ベルト(René Berthod)神父。彼はフリブール大学で倫理神学を教えるサンティアーゴ・ラミレス(Santiago Ramirez)神父の元教え子であった。彼はこの師匠と同様に、聖トマス・アクィナスに対して大いなる愛を抱いていた。

 ベルト神父は、もともとエコンで「大聖ベルナルド修道会」の生徒たちに神学を教え、直ちにマルティニの参事会修学院校長になった司祭である。後日、彼はロザンヌの当参事会経営のシャンピテ中学校(le collège de Champittet)の素晴らしい校長となり、ようやくラン(Lens)にある参事会修道院長の職を辞したばかりであった。モンシニョール・ロヴェからの許可を受けて、彼はエコンで教える事に同意した。ベルト神父は“教導権の教え”の授業を初め、哲学(1971年-1972年度以降)や、倫理神学(1972年-1973年度以降)の講義を授けた。この倫理神学の講義中、聖トマスに忠実であると同時にとても実用的な、ドミニコ会士ドミニク・マリー・プリュマー(Dominique-M. Prümmer)神父が著した教科書を注解した。

 さらに1972年学年度の初めに、エコンは全く予期していなかったドミニコ会士チェスラ・スピク(Ceslas Spicq)神父の援助を受けた。彼はフリブール大学の教授で、エコンでは新約聖書注解の講義を授けた。この博識で謙遜な修道士は3年間毎週水曜日にやって来ては、聖パウロ、聖ルカ、そして聖ヨハネによる著書の注解を行なった。その解釈は、破滅の道にある“新しい象徴主義的聖書注解”に真っ向から対立していた。さらに彼の完璧なギリシャ語の知識は、教父たちや聖トマスによる注解を疎かにすることなく、ある一節に含まれる文字通りの意味を保証した。彼は生徒たちに対し、ルフェーブル大司教がこの科目から最も期待していた、聖書への嗜みというものを提供する事に成功した。

 一年後、スピク神父のフリブール大学における同僚トマス・メルル(Thomas Mehrle)神父は、木曜日の講義のためにエコンに来始めた。フリブール大学で行なっていた講義がボイコットされて彼は大学教授の座を失っていた。彼に異議を唱え、この失職の責任を負う学生たちは、トマス的観点から万事を判断する彼を非難したのだ。

「メルル教授は、思潮の新しい動向を完全に理解することなど出来なくなる程、正統性によってまったく融通が利かないほど閉じ込められている。」

「これは良い印だぞ!」 ルフェーブル大司教は密かにそう思った。この司祭はマミ司教とドミニコ会総長(the Master General)らによってエコンに行くよう励まされた。彼はルフェーブル大司教の招待を受け入れ、2年間、大司教の望みのように天使的博士の神学大全に基づいて、聖トマス思想のまさに精髄を示しながら、さらに、理に適って第二バチカン公会議が神学教授たちに要請した、適切で聖書に基づいた教導権の根拠と、その諸決定の他に、一つ一つの教義的問題に関する簡略な歴史的全体像を加味しながら教えていた。メルル神父は、非常に正確な優れた教師で、時折カール・ラーナーと“新しい神学”を批難するのをためらわなかった。しかしながら、神学生たちには余り嬉しくなかったことがある。それは“第二バチカン公会議にも幾つか正論が存在する” という事を証明するために、第二バチカン公会議の公文書から引用しなければならないと彼が感じた時である。

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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 16.6.1.新たな決断―アダム司教の同意

2010年03月19日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅵ.エコンの聖ピオ十世神学校


新たな決断 ― アダム司教の同意

 ルフェーブル大司教は言っている。

「1970年11月になるやいなや、私は翌年1971年10月の新学年度について考え、さらに霊性学年度を終了した神学生たちを何処へ下宿させるかを決定しなければなりませんでした。原則としてその場所としては、フリブールに見つけた借受けか購入した建物、あるいは新築の建物になるはずでした!ですから私たちは家探しと、建築物訪問や土地見学に取り掛かったのです。」

「その間に、フリブール大学の講義はもはや満足のいくものではなくなっていました。生徒たちは動揺し始めていました。ですからフィリップ神父が正しかった事が間もなく証明されるようでした。なぜなら彼は初めから私にこう言っていたからです:「近いうちに、大司教様ご自身が講義を行なわなければならなくなるでしょう」と。」

「ところで、私がエコンに行った時、若者たちが本物で簡素な教育や、さらに反抗ではなく平和な環境で、このヴァレーの田舎で、人々は依然として深く天主を敬っているこの地に暮らすことから如何に大きな恩恵を受けていたかを見るのは喜ばしい事でありました。だからこそ、私は思ったのです:《何故ここに神学校を設置しないのか?》と。」

「それから、私はジュルネ枢機卿様を初め、マミ司教様、そして私の同僚たちと協議しました。ジュルネ枢機卿は断定的な意見でした:「フリブール大学は大半の神学生たちにとって不適切ですし、神学校の規律など奨励していません。もし選択の自由がおありなら、大司教様、躊躇してはいけません。あの大学には資格取得のために少数の神学生を送るだけにしてください。」

 マミ司教は。独立した神学校からどのような善がもたらされ得るか理解したのですが、その設置は困難だろうと考えました。話の終わりに臨んで、私の同僚たちは満場一致で、あらゆる点で正統かつ堅固な司祭養成を提供するために、神学校はエコンに創立されるべきであるという結論にたどり着いたのです。」

 1970年11月16日の『エコン日誌』には、聖ヨゼフのノヴェナが終わってから“畑の聖母聖堂への訪問”の後に、大司教がエコンに神学校を建設する事を決定したと書き留められている。

 あとはアダム司教による認可が残っていた。1970年12月26日、ロヴェ弁護士(Maître Lovey)は大司教とゴットリープ神父をシオンの司教館まで車で送り、彼らが司教館の中にいる間は車内に残った。「《エコンに神学校を創設する》認可を頂く事は、霊性学の一学年度のために《エコンの家屋を使用する》認可をもらうより少しばかり難しかった」と大司教は言った。それにもかかわらず、ついにシオンの司教は譲歩した:「前回お話しした時に、大司教様はエコンを小神学校として使うことが出来るかどうかお聞きになりましたので、私は承諾しました。ですがあなたが神学校としての使用許可を頼まれた時、私はこの司教区には神学校が既に三校もあると言って反対しました。ところで今年になって、私の神学校はフリブールにありますし、カプチン会は自分たちの神学校を閉鎖してしまいました。ですからもはや私には何の不服も御座いません。」

 一体どのような形でネストール・アダム司教は自分の許可を与えたのか? 私たちには分からない。ルフェーブル大司教はこの許可が“はっきりとした(explicit)”ものであったと言っている、

「それから私は、彼に書面による認可をお願いしました。しかし彼は微笑んでこう言うのです。『あなたは司教たる者の言葉を疑うのですか?』

 そういうわけで書面によるものは一切持ち合わせていません。今となってはそのことを後悔しています。なぜならば、2,3年してからこの司教は、自分が認可を与えたのは一年間の霊性学年度創設の為であって、神学校創設のためではないとあえて言明したからです!その結果として、ロヴェ弁護士はアダム司教に抗議して下さいました。それは、アダム司教の認可を得て私たちがどれ程満足していたかを彼が良く覚えていたからです。私たち2名がそれについて証言できます。」

 一体何が現実なのか? アダム司教の後継者アンリ・シュヴェリ(Henri Schwery)司教は、後に自分の前任者であるアダム司教から一度ならず何度か「ルフェーブル大司教は私を担いだのだ!」と聞かされている。シュヴェリ司教は栽治権問題のことだと考えた。これはおそらくこの認可についてのことだろう。大司教がアダム司教からこの認可を無理やり取り付けたので、だからこそアダム司教は仕方なく口先だけで譲歩した。シオン教区の前司教総代理だったモンシニョール・カミーユ・グランは、ある日シュヴェリ司教に序言した。「本当に気をつけてください!アダム司教様は幾度か騙されたのです。あの老師ルフェーブルはあなたがおっしゃる事をどうやって利用するか心得ているのです。」

 この問題について私たちは次のように説明する事が出来ると考える。ネストール・アダムはこの固い決心をした訪問者の提案については控えめだった。そして彼はある種の異議を唱えることから始めた。

「エコンですか? あの場所は適切に選択されているのですか?聖ベルナルド参事会は会の生徒たちをそこに試験的に移動させたのですが、数年後には諦めたのですよ。その上、有能な教職員を見つけるのは容易ではないでしょう。フリブールの方がずっと良いと思います。」

 大司教は、自分が学業にとってフリブールの喧騒よりはるかに好ましい場所だったエコンの静けさを好んでいると返答する事に何の苦労もしなかった。さらに彼はエコンで生活する事に同意してくれる教授陣の発掘をしたことを伝えた。この議論に飽き飽きしたシオンの司教は譲歩しなければならなかったのだが、この問題をいい加減に扱う事になった。

「大司教様、それなら何の異議もございません。」

 言ってしまえば、これは不明瞭ではあるに違いないが、(表面的には)“はっきりとした”認可なのである。

 あの“司教たる者の言葉”は、書面においては何も明らかにすることのない、この控えめさと都合のよい曖昧さとに限定されていたのだ。そういう訳で、その後アダム司教は、じっくり考え抜かれた、実証的な、書面などによる認可を絶対に与えなかったのだと主張し得たのである。

 これ以上のよい出来事などなく、ルフェーブル大司教は満足して(神学校創立の)職務を継続した。この時から事態が急進したのである。1971年2月3日、建築家のアミ・ドラロワ(Ami Delaloye)氏が依頼を受けた。1971年2月15日、彼は神学生たちの部屋を備えた最初の建物となる「聖ピオ十世の棟」の設計図と、150万スイス・フランと記された建築見積書を渡しに来た。大司教は何も言わずに聞いていた。「借金をせずに建築を開始するには、少なくともこの三分の一は必要だ。資金を持ち合わせていないなら先に進まないぞ。」と心の中では考えていたのである。

 ところでちょうどその時、フリブールからの電話が入り、ある後援者-アドリアン・ブレッソル(Adrien Bressolles)司教-が今しがた大金を彼の口座に振り込んでくれたとの知らせを受けた。摂理的にも、それはこの建築を開始させるには正に必要な金額だったのだ!

 4月28日、ドラロワ氏の事務所で、建築予定表が組まれた。そこで大司教は、建築の専門家、聖霊修道会司祭のシャルル・ベルクラス(Charles Berclaz)神父によって手伝ってもらう事になった。ベルクラス神父は証言して言っている。
「私は霊的なやり方、この建築予定地の会合に、彼が見事にもたらした敬虔さに見とれてしまいました。大司教様は会合を祈りで始めるものですから、そこに来た人たちの殆どは多かれ少なかれ無料で奉仕してくれたのです。」

 その通りだ。ある親しい建築業者たちは気前よく報酬を放棄し、資材納入業者に値下げを働きかけたほどだった。大司教と、彼のブラザー・ミシェル 、そしてマルセル・ペドゥローニたちは、“タピ・シオン(シオン絨毯社 Tapis Sion)”製の絨毯を注文しに北フランスに向かった。マルセルが値段を交渉した。大司教は後日「私たちの家が余りにも快適になり過ぎないよう大奮闘しました」と語っている。ドラロワはよくこう言っていた。「しかし大司教様、あなたの神学生たちはこれもそれも必要ですよ!」 そして大司教は度々こう切り返していた:「神学生たちには、物からの離脱の必要です。」 

 1971年4月29日、エコン日誌への記載にはアダム司教の訪問について書かれている。この教区の司教である彼は、神学校初の建物の着工を見ることが出来た。6月6日、土地所有者たち、フリブールのアルベルティーヌムの修道院長メルル(Merhle)神父、フリブール委員会、聖ベルナルド修道会の参事会員ド・ソオ(de Soos)、ジュール・モネ(Jule Monet)氏-彼はリッド(Riddes)の地方自治体の長である-、さらにエピネ神父らの面前で、ルフェーブル大司教は礎石を祝別した。ついに聖ペトロと聖パウロの祝日の前日である6月28日に、大司教は聖ピオ十世会にとっては初の叙階式を行ない、聖ピオ十世会会員であるピーター・モーガン神父を誕生させる。彼は間もなく聖ピオ十世会支部修道院設立の為イギリスに出発した。

 ポール・オラニエ神父に関して言えば、彼はリヴィエール、バリエル両神父によって指導されるグロレ(Grolley)での新学年度に先駆けた黙想会の後で、10月17日に、大司教から叙階されるだろう。この黙想会には38名の神学生が参加し、その内5名はフリブール時代からの神学生だった。司祭叙階の司教ミサがリッドの小教区教会で行なわれた。この教会の主任司祭は、これからは聖伝が教会の中でその権利を取りもどすべきだと決意した。叙階式後の食事がエコンの納屋の中であり、ポール・オラニエ神父がルフェーブル大司教の前で、来賓らに向かって手短に語った。

「私たちは何処までも大司教様に従います!」

 そこで大司教はこの発言を訂正した。

「私たちはカトリック教会に従うのですよ!何らかの独自の思想を私が持つことを天主がお許しになりませんように!」

 しかしながら、エコンの収容能力は十分とは言えず、ある神学生たちはエコンの発電所長のギ・フェレー(Guy Fellay)氏から借り受けた建物に親切にも一時的に泊めてもらっていた。

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庭園 ガーデン その2

2010年03月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 旧約のスザンナは、庭園で罪なく二人の老人に偽証され、訴えられました。ダニエルがスザンナを危機から救い出します。

 新約の罪の女(聖伝によるとマグダラのマリア)は、犯行の現場で現行犯として捕らえられます。イエズス・キリストのところに連れ出され、私たちの主は彼女を救います。イエズス・キリストは新しいダニエルです。

 ゲッセマネの園では、私たちの主イエズス・キリストは、罪なく逮捕されます。マグダラのマリアをかばった私たちの主は、抵抗せず、連行されます。

 イエズス・キリストは御受難を、エルサレムの城内ではなく、エルサレムの壁の外のゲッセマネの園で始めます。なぜならキリストの受難はエルサレムだけのものではなく、全世界のためだから。

 アダムが園で不従順によって罪を犯したので、第二のアダムであるキリストはやはり園で「父よ、私の意志ではなく、御旨のままに!」と祈るべきでした。

 エデンの庭で人類は失われたので、イエズス・キリストは失われたものを探しに失った場所に来たのでした。

 私たちの主は、ゲッセマネの園に愛の薔薇と謙遜のコスモスを、貞潔の百合を植えるのです。この地に自分の汗と血で、水を与えました。

 キリストはオリーブの木で、聖パウロによると、私たち異邦人は接ぎ木されました。だからゲッセマネの園はオリーブの園でした。
私たちの主よ、我らを憐れみ給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】