Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第二十八章 食事の分配

2011年11月12日 | カトリックとは
第二十八章 食事の分配

 1960年から1963年の間、中国で1000万人以上が飢餓により死にました。その時、私は非常に未開の領域であった安徽省の白湖農場に閉じ込められていました。私たちの農場の周りの田舎に住んでいる人々は、作物から食物を全く手に入れませんでした。ですから、彼らには何も食べるものがありませんでした。誰も本当の原因を知りませんでしたが、それは幾度かの天災のためであるかもしれません。とにかく、彼らは野草、木の皮、および水蛇を食べました。最終的に人々は、彼らの最愛の人が死んだ後に、その肉を食べました。 私は実話を私に語った人に会うまで、それを信じようとはしませんでした。その女性は、家族全員には何も食べるものがなかったと私たちに言いました。彼女の息子が死んだ後に、彼らはその腕と脚を切り落として、鍋に入れて茹でました。彼女は言いました。「だれが進んでそうしますか?しかし、私たちに何ができたでしょう。私たちがその身体を食べなければ、飢えのために死ぬでしょう。方法が全くありませんでした。私の息子は死んでいました。私たちがその手足を食ようが食べまいが、同じことです。自分たちの家族を救うために、私たちはそうしなければなりませんでした」これを聞いて、本当に怖くなりましたが、私は誰が非難されるべきかが分かりませんでした。私は敏感過ぎたのでしょうか? 私は、おそらく彼女が自分の息子の肉を食べたので、彼女の2つの目が血走っているのを見ました。

 私たちは毎朝、農作業する場所に着くまでの何キロかを歩かなければなりませんでした。途中で、道の脇に横たわっている多くの人々に遭遇したものです。彼らはよくこう言いました。「どうしたら囚人になれるか、そして、どうすれば労働改造所に入るかを私たちに教えて下さい」私は、この世で人々がなぜ囚人になりたいのだろうかと思いました。彼らのの理由は全く理にかなっていました。彼らが飢餓で殆ど死ぬところでしたので、毎日何か食べるものを手に入れるという彼らの優先権には、自由は何もなりませんでした。私たち労働改造所の囚人は、政府の管理下にいました。非常に少ない食物が与えられましたが、政府は毎日、タロイモの皮か、腐ったきゅうりを混ぜて調理されたお粥を私たちに食べさせる必要がありました。 

 私たちの食物はみじめでした。ですから、それぞれの食事の分配は、私たちにとって非常に重要に見えました。私たち各グループにはおよそ15人がいました。全グループの食事は木製のバケツに入れられて、皆が代わる代わる分配者となりました。公平になるよう、私たちは、折れた枝といくつかの小石を入れたボールを用いることで、手作りの秤を作り出しました。分配者は私たちの食事をボールに入れ、秤を同じ位置まで上げました各分配者の自分の分は、私たちグループ全員にチェックされなければならず、。誰かがその分配量が他の人より多いのに気付いたなら、誰もがそれを取ることができました。私はこの作業ではかなり不器用でしたので、自分のためにそうするよう、人に頼みました。私はその人に、バケツの中身をかき落とす権利をあげました。それはお粥の半杯分になりました。その時、食物の半杯分はいろいろな事を意味しました。何回か後に、誰かが、私が代用品を他の人のものより多く受け取っていたので、公平でないと言いました。公平になるように、私は特定の人ではなく、順番に皆にこの仕事を渡さなければなりませんでした。それは何と紛らわしかったことでしょう! 人がほとんど食べるものを持っていなかった時、少しのお粥さえダイヤモンドより貴重に思えました。

 私たちが8時間以上の重い肉体労働を終えた1日は、私たち皆が空腹であり、疲れ切って小屋に入りたいと思いました。テレジアと私は最後に入った2人でした。中はとても暗くなっていました。石油ランプは明るく照らされて、既に食物の分配は済んでしまい、私たちの夕食は3つの腐ったじゃがいもでした。それはかびた匂いがしましたが、私たちにとって、まだとても魅力的に見えました。突然、ちょうど私がボールに触れるために手を延ばしていたとき、誰かが光を吹き消しました。光が再び付いた時、驚いたことに、私たちの部隊で有名なトラブルメーカーが、彼女の汚い両手をテレジアと私のボールに突っ込みました。「おお! 私たちはどうしたら、そんないやなものを食べることが出来るでしょう?」 彼女が、自分が何をしていたかを明確に知っており、もし彼女が私たちと何か問題を起こしたら、私たちは文句も言わず、また役員に彼女を報告しませんでした。私たちは、一日中働いた後に食べるものすらありませんでした。私たちの忍耐に挑戦しましたが、彼女と言い争うのは無駄でした。 彼女はほんの3分で、私のテレジアのものを食べました。 そして、彼女は自分の分を食べました。彼女の表現は、彼女がその3つの分全てに値すると考えたことを示しました。これは単に、皆が共産主義政権下で受けた劣化いう一つの事件に過ぎません。彼女の人生の最期の間際に、テレジアと私は彼女の死の床にいました。私たちは彼女に、人生で犯した全ての罪を痛悔するように思い出させました。私たちは彼女を完全に許しました。彼女は全く教育されていなかった田舎の女性に過ぎませんでした。ひどい飢餓に直面しているとき、どうして、理性が彼女に我慢するように語りかけたでしょう? どうか、慈悲深い天主様が彼女を哀れみ下さいますように!





-------------------------------------
『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
-------------------------------------




ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第二十七章 あらゆる涙は幼きイエズズ様への捧げもの

2011年11月11日 | カトリックとは
第二十七章 あらゆる涙は幼きイエズズ様への捧げもの

 クリスマスが近づくと、最も物質主義的な国であるアメリカでは、無数のカラフルな明かりが殆どの家の正面に掛かります。至る所で、いろいろな種類のクリスマスツリーと、とても多くの飾りが見られます。人々は日夜買い物するのに忙しいです。ユダヤ人を怒らせるのを避けるためか、私たちはクリスマスカードの上に「ハッピー・ホリディズ」とか、「シーズンズ・グリーティング」を見るばかりです。悪魔は懸命に働きかけています。彼らは私たちの救い主を、特に御降誕の日に、この世界から追い立てています。何と悲しいことでしょう!

 平和で静かな夜、私は自分の守護の天使に、私と共に歩んで時間と場所を超え、1960年代前半の地球のもう一方の端に私を連れ戻すように頼みました。そこは白湖農場でした。その時、あちらのクリスマスはどうでしたでしょう?

 すべてが完全にひっくり返された年の1961年のことでした。悪魔は猛然と働いていました。中国では、誰もクリスマスを祝うことができませんでした。誰かが、お互いにクリスマスキャロルを歌ったり、何かの飾りを持っていたり、または「メリークリスマス」と言ったならば、確実に政府から処罰を受けました。なぜなら彼らは法律に反すること行ったからであると、政府は言いました。労働改造所におけるものすごくストレスの多い状況の下では、私たちの大部分は、あえて飼葉桶の幼きイエズス様をほとんど夢にも見ないものです。もし、私たちがそうするならば、それは共産主義者である看守に報告する機会を他人に与えるでしょう。そして、私たちはおそらく批判されるか、自分たちの何年もの投獄を長引かさせたでしょう。

 実は、私たちの部隊には、十数人のカトリック教徒の女性がいました。私たちは、クリスマスが近づいており、自分たちの心に馬屋を建てるのにより多くの苦行とお祈りが必要なのを思い出させるために、お互いにささやきました。私は、何の苦行をするべきでだろうかと考えたままでした。私は本当に全く分かりませんでした。天主様は、既に私のために、特別な事を御計らいになっておられました。

 矯正官が私を事務室に呼んだとき、日付は1961年12月23日の正午でした。彼は手に既に開封された手紙を持っていました(私たちの手紙は、受け取る前にすべてチェックされなければなりませんでした)。そして、厳かに言いました。「ここにあなたの家族からの手紙がある。それを読んだ後、あなたは確実に次のことを守ること。一つ、泣いたり感情的な行動をしてはならない。二つ、時間通りに作業に出て、作業を止めるようなことをしてはならない」私は答えました。「時間通りに作業に出ると約束します。ですが、何が私の家族に起こったか知りませんので、泣くかどうか分かりません」私は答えてから、小屋に急ぎました。

 皆は食事をしていました。「私たちは私の綿の上着で食事を包みましたから、まず昼食をとってください」とテレサは私に言いました。私は、家族から手紙をめったに受け取りませんでした。役員は今日、私の家族に関して何かを暗示しました。私の家族の誰かが重病であるか、または死んでいるかもしれません。待降節であるとわかったとき、苦行をしなければならないのを知っていましたが、私は人間の本性において、すぐに手紙を読もうという精神的な争いをしました。天主様は、私たちが最も犠牲にしたくはないものを諦めるよう、私たちにお求めになられます。それは、私が天主様へお捧げものをするのに相応しい時でした。本当に昼食はわずかでした。食べ終えるのに、ほんの2、3分しかかかりませんでした。

 正直にいいますと、私は姪によって書かれた手紙を読むのを待つことができませんでした。私は彼女が書いた優美な字体を認めました。

「親愛なる叔母へ 私は長い間、あなたから連絡をいただいていません。今、私は悪い知らせをあなたに書きます。最初、私はあなたに知らせたくはありませんでした。でも、私は長いこと事実を隠すことは出来ないので、あなたに知らせるほうがよいと思いました。祖母は1958年12月22日、香港で亡くなりました。その臨終は安らかでした。叔父は、祖母はあなたが懲役15年の判決で、二番目の叔母が懲役7年の判決という消息を知ってから、ずっと寝たきりだったと語りました。医師は祖母が肝臓癌にかかっていたと診断しました。そして、3カ月後に亡くなりました。祖母の死のことで、そんなに悲しまないで下さい。人は死んだら生き返らないのですから。お体を大切に」

 この手紙を読むにつれ、涙が私の頬を流れました。どうして、1955年9月8日という自分たちのカトリックの信仰のために、共に逮捕された1日を忘れることが出来るでしょう? それは、私たちがイエズス様に従うことを選んだからでした。その時、母は洗礼を授かってはいませんでした。カトリックでない母が、2人の娘が逮捕されたのを知りながら、その大きな苦しみに耐えるために、どれほどの信頼が必要とされるでしょう? 母は断腸の思いだったに違いありません。そして彼女の目は、私たちが家に帰るのを心配しながら、ずっと見つめ続けました。私はよく、霊魂を救う唯一の方法は、迫害の間にカルワリオまで十字架を背負うことであると思っていました。しかし、私たちの両親にとって、自分自身の子供が苦しんで成す術がないのを見るよりもつらいことはありませんでした。

 母は亡くなりました。私には、母の病床で世話をする機会がありませんでした。それは私の悔むところです。ですが、天主様は他の誰よりも天主様を愛することをお求めになりました。諦めることは時には得ることです。私は良い娘になりたかったのですが、天主様と私の両親の間では、私は自分の両親の上に天主様を選びました。私には創造者における完全な信頼がありました。天主様の寛大さは常に私のよりも大きく、遅かれ早かれ確実に母に報いて下さいます。しかし、私は自分の弱い本性を抑える術がありませんでした。自分が既に親無しとなったのを知ったとき、私は泣き出しました。「おまえは今すぐ、作業に出なければならない」正面に立っている矯正官が、大声で言いました。突然、入り混じった感情が押し寄せてきて、この労働改造所では泣く自由すらないことに気が付きました。私は涙を拭いて、幼きイエズス様にこう語りました。「私はあらゆる涙をあなたにお捧げします。母はあなたと共にいます。母はこれ以上、私の心配を必要とはしません」

 私は母のことで、天主様に希望を置き続けました。1974年に私が上海を訪問した時、兄は母が死の1カ月前にハンガリー人のラダニー神父様から洗礼を授かったと私に語りました。また母は、堅信、御聖体そして臨終の秘蹟等も授かりました。デオ・グラチアス!

 何年も後、私は一度、クラスメートのヴェロニカに会ったのを覚えています。私たち二人は同時に洗礼を受けました。 次に、私はレジオ・マリエの会長になりました。彼女は副会長でした。私たちは同じ夜に逮捕されました。彼女はほんの二週間後に、自分自身を裏切ってしまいました。約30年間後、私たちは再会しました。彼女は、逮捕後に彼女の老いた母親が彼女を心配する必要がないように、共産党政府が求めることを全てしたと私に語りました。彼女は数カ月後に釈放され、彼女の母親は数年後に死にました。「あなたの母は、亡くなる前に洗礼を授かりましたか?」私は尋ねました。彼女の答えは非常に短いものでした。「どうしてそんなことがありえるでしょう?」ええ、彼女は自分の母親のために、自分のカトリック信仰を否定したのをとても明確に知っていました。たぶん、彼女は母親を愛していたつもりでしたでしょうが、結果は全く正反対でした。共産主義者の前で否定したために、少しずつ彼女は信仰を無くしていきました。母親が死にかけていた時、彼女は共にいましたが、母親の霊魂の救済について考えませんでした。これは非常に良い教訓を私に与えました。何よりも天主様を愛しているとき、私たちは思い残すことは何もありません。天主様が私に与えて下さった全てに感謝!



-------------------------------------
『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
-------------------------------------




ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第二十六章 嵐の中の歌声

2011年11月10日 | カトリックとは
第二十六章 嵐の中の歌声

 白湖農場の田畑は、よく水に浸かりました。私は、これが自然と人間の両方に由来するものであると信じています。山から続く水の流れは、何回か洪水を引き起こしました。(何百もの支流と湖から水が注ぐ揚子江もまた、重大な洪水を生じさせました。1958年に、共産主義者は多くの肥沃な農地を耕作しましたが、あまりにも多くの土地を耕作したので、悲惨な洪水という結果に終わりました。

 1958年以来、私は白湖農場にいました。また、10人以上のカトリックの神父様もまた、この白湖農場にいました。彼らの殆どは上海から来ました。私たち女子部隊には、煉獄援助修道会の張依成マザー、聖母奉献修道会の李臨シスター,ウルスラ会の史獻芝マザー、カルメル会の修練者である張玉琴及び黃松青、張茵秋、張美瑜、徐曼修、周若蘭、王培貞、劉天真、龔潔貞など10数人の信者がいました。生活は惨めでした。私たちは屋根や門の無い小屋に住んでいました。私たちの劉真文隊長は共産党員でしたが、彼女自身も経歴上の問題で、上海から農場に追放されていました。ですから、信者に対して特别に同情を寄せました。通常、私が寮に留まって、何らかのより軽い作業をすることを認めました。皆が朝、作業の割り当てのために並んでいたとき、彼女は良く言ったものです。「美玉、あなたは仕事がいつも遅い。あなたは他の人の進歩を妨げています。寮に入りなさい。そして、便所を掃除して」 私は、ほとんど毎日、寮に留まって働いていました。確かに、私は何をするのにも不器用でした。私は苗を抜き取る間、田んぼの中に落ちました。骨の折れる仕事で疲れていたとき、私は、よく気が遠くなりました。私は自分の不器用さのために、私の部隊の仲間は首を横に振りました。私はまだ生き生きと、ある一つの出来事を覚えています。

 1959年6月、雨が数日間絶え間なく降りました。菜園は水であふれつつありました。野菜無しになることは、部隊全体にとって重要な問題でした。劉隊長は、既に熱い鍋の中のアリと同じ様に心配していました。午後10時、彼女は私たちの小屋にやって来て、私たちの菜園を救うためにボランティアが必要だと告げました。皆、昼間に働いていました。そして今、私たちはその日の夜に洪水による水を掻き出すために、残業しなければなりませんでした。すぐに、何人かは「私は行きます」とはっきりと言いました。私は彼女らに続いて言いました。「私も」「暗くて、泥だらけです。しっかり歩くことさえ出来ませんよ。ちゃんと出来るのですか?」マリア姉さんは答えました。そして、徐さんは言いました。「かまいません。背中に彼女を背負わせて」 私は隊長が同意しないのを恐れたので、急いで扉を開けて出て行き、強風や大雨、そして雷鳴の歓迎を受けました。の上、私は泥水の中でしっかりと立つことさえ出来ませんでした。突然、徐さんが、「来て、急いで!私に運ばせて」と言っているのを聞きました。この風と雨の交響曲のコンチェルトを聞き逃したくありませんでしたので、私は彼女の親切を拒めませんでした。 私たちが菜園に到着したとき、そこはもう水に浸かっていました。2つの大きい車輪の付いた木製の水運び車を押すことで、水を運んでいました。それぞれの水運び車の大きな車輪を押すのは、二人掛りでした。

 ああ、天主様! 私たちの大多数は都市で生まれました。徐さんを除いて、私たちは小麦とにらを見分けることが出来ませんでした。徐さんは、田舎の農場からやって来ました。今は、作業のためにズボンを膝までたくし上げ、裸足でなければなりませんでした。彼女はは、水を運びを実演しなければなりませんでした。私たちの九人は、4組に分かれました。そして、各組は順番に木製の水運び車を操りました。私は何の取り得も無く、ただ傍に立って見ることしか出来ませんでした。そしてそれはまれな晩でした。長い間歌うことから抑圧されていたので、私は大きな声を出して歌いたいと感じました。今夜、天主様はこれら自然の楽器を私たちに与えて下さいました。そして、私は彼女たちに言いました。「皆さん、今夜は私に進行役をやらせて。私たちには、歌うためのいい機会があります。大きな声で私たちの天主様と教会、そして教皇様への熱意と愛情を歌いましょう」

 そして、周若蘭(最も若い少女)が、最初に「聖なる元后…」と歌い、次に、私たちが「我は信徒…」や「聖マリア…」のような聖歌を一つずつ歌いました。私たちの声は空まで響き渡り、雨の雑音と雷の音と一緒に美しい交響曲を奏でました。皆が疲れたとき、私は皆が自分たちのことで何か言うことを勧めました。

 張依成マザーは言いました。「私は煉獄援助修道会の修道女です。そして、私の意向は煉獄の霊魂を救うことです。私たちが今夜行ったことと自分の残りの人生で行うことを、煉獄の哀れな霊魂のために、天主様にお捧げします」

 徐曼修は言いました。「私たちは中国の全て犠牲者のために祈ります。彼らは正義と正直さのために迫害されました。天主様は、ここで共に苦しむ御恵みを私たちにお与えになりました。私の姉妹たち、より多くの人々がより激しい迫害に耐えています。その人たちのために祈りましょう」

 龔浩貞は言いました。「私は自分たちの両親、特に自分たちの母親のために祈ります。彼らは本当の殉教者です。私たちと離れ離れになり、大変苦しんでいます。私たちは時折彼らのことを考えるべきです」

 王培貞は言いました。「私たちは教会と教皇様への忠誠のために、刑罰を下されました。いつの日か、私たちの何人かが教皇様にお目にかかり、一九五〇年代の青年たちがどれ程教皇様を愛していたか伝えられることを願っています」

 張美瑜は言いました。「私たちの保護者、佘山の聖母を忘れないでください。私たちは、聖母の御加護無しにはカルワリオの丘に行く勇気は無いでしょう。私たちは、聖母を決して忘れてはなりません」

 黄松青博士は言いました。「美玉のために祈ってください。彼女の刑期は私たちの中で最も長く、体が丈夫ではないので、その十字架は最も重いのです。彼女は異教徒の家庭から来ています。彼女が信仰を守ってイエズス様の後についていき、最後まで十字架を負うことを願っています」

 これを聞いた後、私は涙の雨を抑えることが出来ませんでした。黄博士は、その後数十年間、私を自分の娘として接して下さいました。最近、私は上海で彼女に会いました。彼女は私を抱きしめ、「美玉、何年も経った後でも、あなたは西洋の考え方に染まらず、白湖農場から来たときのままです。あなたが相変わらず、私たちの佘山の聖母を愛していると確信しています」彼女は通常、他人を直ぐには褒めなかったので、私は幸せでした。そこで私は、「あの嵐の夜に、あなたが皆に私のために祈るように頼んだかを、私は決して忘れることが出来ません。私は完全にあなたの忠告を固く守るよう、努力しました」

 洪水による水は、徐々に退いていきました。雨は上がりました。ずぶぬれになった私たち九人は小屋に戻り、生姜茶とおこげのスープで歓迎されました。食物は台所で準備され、そしてそれは、通常は客人に対する御馳走でした。皆、天主様の御恵みが激しいほとばしりのように私たちに下りて来たのを感じました。もし、他の機会があれば、私たちは再び勇敢に前に進むでしょう。



-------------------------------------
『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
-------------------------------------



ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第二十五章 史マザーの回想

2011年11月09日 | カトリックとは
第二十五章 史マザーの回想

 私が初めて史献芝マザーを知ったのは、1959年9月のことでした。その時、上海の刑務所は全くいっぱいでした。10月1日の国慶節の前に多くの人々を逮捕するのは、中国共産党政府の習慣でした。そのため、私たちの何人かは、労働改造所がある遠隔の地に送られるように決められました。私が白湖農場の中で史マザーに出会ったのは、9月の終り頃でした。私たちがそこに到着したとき、労働改造所には適切なテントすらなく、私たちの住処は、壁も無く、荒いわら葺き屋根で覆われていました。野草か山菜が私たちの食物でした。薬と医療は全く存在しませんでした。労働改造所の規律は、カトリック教徒にとってとりわけ厳しく、作業中はお互いに話すことが出来ませんでした。

 同時に、共産党の矯正官は、公開批判闘争でカトリック教徒をよく狙いました。労働改造所の生活で次の数カ月間、私は史マザーと話す機会は少しもありませんでした。私は他のカトリック教徒から、彼女が重度な心臓疾患を患っているウルスラ会の修道女であることを学んだだけです。厳しい生活水準の下では、彼女は私たちと共に稲刈りをしたり、田植えをすることは出来ませんでした。毎日、作業後に自分たちの小屋に戻ってきたとき、私たちは、いつも彼女が野菜を摘んでいるか掃除しているを見たものでした。そして、しばしば彼女は私たちのために、一杯のお湯を用意して隠しておきました。どんな称賛も退け、「私は軽い仕事をするだけです ですから、私にはあなたたちが戻るまでに一杯のお湯を手に入れる機会があります。一杯のお湯は、あなたたち皆には小さくなり過ぎるでしょう。多分、何も得る機会もないでしょう」一杯のお湯は非常に貴重でした。私たちカトリック教徒それぞれは、最初に熱い飲み物を楽しむよう他の人に請うでしょう。本当に、史マザーの一杯のお湯は、私たち皆の心を暖かくしました。

 史マザーが亡くなる1週間前、私は幸いにもたまたま病気でした。その時、彼女は重度の心臓疾患にかかっていました。そして、彼女は休息のために横たわることが出来なかったので、座った姿勢で数個の枕によって支えられていました。 セメントの床は私たちの寝床でした。私たちはそれぞれ、約60センチメートルの非常に狭い空間しかなかったので、お互いに密接に押し込む必要があり、一方にひっくり返る時さえ、それぞれの側の2人の協力を必要としました。史マザーは、ちょうど私と反対側に横たわりました。前に述べましたように、私は二日間病気でしたので、私は働くことが出来ませんでした。彼女の人生の最後の数日間に、私がこの英雄的な修道女の近くに留まる機会があったのは、実に天主様の御摂理によるものでした。

 私たちの誰もが、労働改造所では宗教的な物を持っていませんでした。私たちは、臨終の秘蹟を与えに来るように聖職者に頼むか、友人と親類に死の床の周りに集まらせることは、想像出来ませんでした。しかし、史マザーは完全な服従と平安を以て、死を受け入れました。彼女はまるで、学校がひけたばかりで自分の両親に会うのを楽しみにしている小学生のようでした。私が新米の改宗者であることを知ったとき、私が最後まで信仰を守るよう励まして下さいました。私たちを御選びになったのは、天主様でした。ですから、私たちは天主様を決して裏切るべきではありません。聖パウロは言いました。「私にとって、生きることは、キリストです。そして、死ぬことは得ることです」(フィリポ 第一章二十一節)

史マザーの啓発と指導の下で、私は何行かの詩を書き留めました:

私は死の傍らに生き
一日生きれば、一日墓へと近づき、
生きる中で死へと向います
生と死の間には、僅かな隔てがあるばかり
生よ!死よ!
生はキリスト、死は幸福
これは私たちの最高な生の法則

 マザーは心を動かされました。彼女は言いました「聖霊を通して、あなたは生と死の本当の意味を理解することを学びました。私はウルスラ会の修道女です。もし後に、あなたが手紙を私たちの修道会のローマの総長へ書く機会があれば、私の霊魂は死の瞬間までイエズス様を褒め称えていたと伝えて下さい。私は修道会の全ての会則を守りました」 彼女の言葉は、非常に深く私の心を動かしたので、私はほとんど涙を押さえることが出来ませんでした。

 何年も後に私がアメリカにに来た時、私はローマのウルスラ会の総長様に手紙を書きました。そして、総長様は数回返事を下さいました。一九九〇年代前半のある日、大司教区から一度、そこに行くようにと私を呼び出しました。私は、彼らが私に何をさせる必要があるのかと思いました。神父様の中には、史マザーに関する多くの質問を私にするために、バチカンから来た方もいました。終わりに彼らは、ウルスラ会の修道女が史マザーを殉教者として列福を求める報告書をバチカンに提出したと私に語りました。天主様がいつの日にか、彼女を讃えますように!




-------------------------------------
『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
-------------------------------------


明日からマニラで

2011年11月08日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日、私たちのマニラの修道院には8名の司祭が集いました。管区長のクチュール神父様、イロイロの修道院長のダニエルス神父様、ダバオの修道院長のファイファー神父様、インドの修道院長のブルチアニ神父様と愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、明日から2日間、修道院長会議を開きます。

 愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。また、フェレー司教様の起動させたロザリオ十字軍のロザリオの報告もよろしくお願いいたします!!天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!!

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

カトリック教会のためのロザリオの十字軍、現在12,831環のロザリオが集まりました

2011年11月08日 | ロザリオの十字軍

アヴェ・マリア

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 さて、2011年の復活祭からフェレー司教様が発動した第4次ロザリオの十字軍の報告を申し上げます。
 2011年4月23日から2011年10月31日までの分として、現在日本から、総計
 ロザリオ 12,831 環

 の報告を頂きました。深く感謝します。
 天主様の祝福が豊かにありますように!

 私自身は、今回、45環を報告します。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【お便り】
聖ピオ十世会
小野田神父様

お身体の調子はいかがでしょうか。
腎臓結石につづいて、大変でしたね。

もともとお仕事がきつかったところへ新しい職務に就かれて、責任感ゆえに、ついつい無理をかけてしまうことが多かったのでしょう。

ところで、昨今の結石やデング熱の話題にかき消されてしまいそうですが、耳の具合はいかがでしょうか。

飛行機に乗られる回数が減れば、具合の悪かった耳には良いことだろうと思っていましたが、一方で、それまでになかった大量の仕事を抱えられたことだろうと、今度はそちらが心配です。

たとえ本人が自覚していなくても、無理がつづけば身体の抵抗力は落ちてしまうものですから、くれぐれも健康には注意なさってください。

【お便り】
おはようございます、修院長様。

 大変ご無沙汰しております。
修院長様がデング熱にかかられたという事をブログで知りました。
お加減はいかがでいらっしゃいますか。
修院長様は大変お忙しくていらっしゃいますので、天主様が結石にデング熱という形で、一休みするようにされたのではないかと存じます。
しかしもっと楽な、サバティカルのような形でお休みになられたら・・・。

 フィリピンは熱帯でございますので、病気を媒介する蚊も多いと存じます。
蚊を除けるのは良いスプレーがございますが、それはあまり体に良くありません。
薬局などで手に入る薄荷油は、何と蚊を除ける効果があるのです。
しかも食用なので、誤って口に入っても無害です。
私も庭の草取りの時に、手や耳たぶや額に塗っておりました。(頬に塗ると目が痛くなりましたのでご注意を。)
本当に蚊が寄って来ないのでおすすめでございます。
もしお入用なら入手しておきますので仰って下さい。

 9月の御ミサの他の方々の御報告を拝読致しました。
私も御報告するはずでしたが、寒暖の差が激しくて風邪を引いて休まざるを得ませんでした。

O! 管区長様の講話を私も聞きとうございました・・・。

 御ミサに与れないので、聖ピオ十世会と全ての信者の方々、苦しんでいる方々の為に「聖母マリア小聖務日課1960」(羅日、世のひかり社 1996年)をお捧げしました。

Matutinum から始まり、御ミサが始まる11時過ぎにPrima が終わりました。
(まず日本語を読んでからラテン語を唱えるので時間がかかるのです。)
最初は立ったり跪いたりが出来たのですが、Prima の終わり頃には椅子に座っていられなくなりました。

立つ事、座る事、全てに体力がいるのですね。
いつもは自由に動ける事を天主様に感謝致しました。

 ベッドに戻り、Which Bible Should You Read? (Thomas A. Nelson Tan Books 2001) という、V II 後のカトリックの聖書、New American Bible 、Catholic Revised Stabdard Version 、Jerusalem Bible と、プロテスタントの各聖書の色々な一文を比較して、Douay-Rheims Bible が最も正確な訳である事を証明した本を読みました。

 フィリピンでもDouay が使われているそうですが、Vulgata とヘブライ語、ギリシャ語から「言葉から言葉に」最も正確に訳されている聖書(少し難しい英語でございますね)が与えられた事を天主様に感謝致しました。

 修院長様はフランシスコ会聖書研究所訳の旧新約聖書が、サンパウロから出版されたのをご存知ですか。
定価は8,400 円ですが、12月31日までは7,000 円なのです。
品切れで、重版は10月末日だそうです。
http://www.sanpaolo.or.jp/cn68/index.html

 まあ、高い・・・。
しかもイエズス様の御名が、イエスになっているそうです。
独自の原典批判(テキスト・クリティック)を謳っていますが、底本は新共同訳と同じビブリア・ヘブライカ・シュットットガルテンシアとギリシャ語新約聖書修正第三版でしょうか。

Douay のようにラテン語からの日本語訳なら、すぐに買いますが・・・。
新共同訳は創世の書の3:1 を「最も賢いのは蛇」と訳しました。
これでは、アダムとエワを堕落させた蛇を褒めているようです。
新共同訳は"賢いのは蛇の聖書"、この新しい聖書はどう訳したのでしょう。

 大学時代、プロテスタントは聖書のテキスト・クリティークに熱心だと何かで読みました。
これは只の私の意見ですが、分かるような気が致します。
聖書は、現在のような一冊の形での聖書が天から降ってきたものではありません。

長い年月をかけ、カトリック教会の「権威」によって認められた"書かれた聖伝"でございます。

しかしプロテスタントは教会の権威を否定し、Sola Fide 、Sola Scriptula を標榜しました。

権威が無いのに信仰のみだとか、聖書のみと言う。
結局何も分からなくなって全てを疑い、結局聖書本文さえもこれが書かれた当時の物か、と疑ってクリティークをする。

 雲は追いかければ追いつきそうで、手を伸ばせば手に取れそうです。
しかし世界の果てまで追っかけても雲には追いつけず、いくらジャンプして手を伸ばしても手に取れません。
テキスト・クリティークもこれと同じと思われませんか。
幻とう(漢字を忘れました。)社の新約聖書を訳したプロテスタントの牧師によると、もう既にギリシャ語新約聖書修正第三版は第四版が出ていて、第三版と違うそうです。

 イエズス様の御名はイエス!、エキュメニズムにイエス!、 テキストクリティークにイエス!

何でも"イエス聖書"、しかしVulgata やDouay にはノー! なんて・・・。
:-(

 しかし、Douay-Rheims は違います。
トリエント公会議で、Vulgata がauthentic と宣言され、更にピオ十二世がDivino Afflante 1943 で、「Vulgata Clementina は信仰と倫理において誤りが無い」と述べておられます。

疑う生活はつらい生活でございます。

教会の権威によって認められたVulgata をそのまま文字通りに訳す、疑う事無く安心して読める聖書を与えて下さった天主様とカトリック教会に深く感謝しております。

 かつて私はDouay Bible が欲しくて名古屋の女子パウロ会の聖パウロ書院に行きました。

売っていたのは唯一、ペーパーバックのHoly Bible; New Revised Standard Version Catholic Edition (Catholic Bible Press a division of Thomas Nelson Publishers) で、高いのに我慢して買いました。

Imprimatur はアメリカの司教協議会議長、Most Reverend Daniel E. Pilarczyk 1991 とカナダの司教協議会 同年です。
To The Reader によりますと、翻訳者は、Revised Standard Version Commitee で、プロテスタント、カトリック、東方正教会、ユデア教の30人の男女です。
底本は日本の新共同訳と同じ物です。

 私がこの聖書にがっかりしたのは、ルカの福音1:28 を、"Greetings, favored one!" と英訳した点です。
Catholic Edition を標榜しているにもかかわらず、英語の天使祝詞、"Hail, Mary, full of grace; "から、まるでマリア様への祝詞を一気に格下げしたかのようなプロテスタント的訳です。
この背表紙には、The NRSV: Catholic Edition is truly a new standard for our time! と書いてあります。

 英語の天使祝詞は、"Hail, Mary, full of grace; "です。
Douay でも、きちんと、"Hail, full of grace; "になっています。
英語の祈りもDouay でも同じ意味なのに、この聖書では まるで只のfavored one "(特権、才能に)恵まれた"(エクシード英和辞典 三省堂 2004年)者・・・。
恵みに満ちた者という、天主様の偉大な恵みの充満が与えられた方、という感じから、特権、才能に恵まれた者、という世間一般にいる感じに引き下げられたような印象を受けました。
どうしてこんなマリア様の位置のダウングレード的な聖書に、アメリカとカナダの司教協議会はImprimatur を付けたのでしょうか。
プロテスタント的で、まるでマリア様の地位が引き下げられたような感じがして悲しゅうございます。

 カトリック教会は十全でございます。
カトリックはカトリックだけで100% でございます。
カトリックが80% で、プロテスタントやオーソドックスに残りの20% を埋めてもらなければならない、とでもいうのでしょうか。

 講談社のラテン語から訳されたバルバロ神父様の聖書は6,930 円、Tan Books のDouay-Rheims Bible は一番安いpaperbound で$29.95 です。
7,000 円も出すなら、authentic な聖書を買ったほうがよろしいと思われませんか。
赦しの十字架、メダイ、スカプラリオ、ロザリオ、聖母マリア小聖務日課、トリエント公会議のカテキズムと合わせ、これらを信徒必携として、信者の方々や、聖伝の信仰に興味のある方は手に入れて頂きたいものでございます。

 先月、Baronius Press から出ている、Douay-Rheims & Clementina Vulgata 対照の聖書を買いました。
何とミサーレと同じぐらいの大きさ、厚さは半分ぐらいなのです。
(定価$89.95、しかし送料だけで $55.55 も!!!! Ouch!)
現在Douay が手に入る全ての出版社、Baronius Press 、Tan Books 、Loreto Publication の読みやすさ(紙質や印刷の鮮明さ)などの比較も可能でございます。
私も少しでも機会を見つけて、聖伝の御ミサとDouay-Rheims Bible が、共にNovus Ordo Missae と"イエス聖書"を一掃する日が早く来ますよう、努力したいと存じます。

【報告】
アヴェ・マリア!

トマス小野田神父様

ご機嫌よろしゅうございますか。
遅くなりましたが、ロザリオのご報告をいたします。
4/24~9月まで、204環です。よろしくお願い致します。

【お便り】
アヴェ・マリア!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

10月22日(土)山形市鈴川公民館で、「山形(鈴川)のキリシタンの歴史」という演題で講演。
山形県内でも100人以上殉教してます。先日うちの近くのお寺の住職から聞いた話ですが、戦時中境内の竹林を開墾したら9寸5分の短刀を持って十文字に置かれた丸髷の侍と髪かんざしの女の骨が6遺体見つかったそうです。土葬はキリシタン以外に考えられず、300年以上前の遺体のようです。普通、土葬されると髪とか骨はいつごろから腐敗するのですか?もしかしたらトップクラスの聖人なのでは?どうぞこの講演会でカトリックの魅力がわかる人が現れますようにお祈り下さい。

【お便り】
トマス 小野田 神父様

ブログを拝見して、デング熱に罹られたことを知りました。お見舞い申し上げます。
 先月末まで、イロイロで黙想会に参加しておられ、既に退院されたということは、数日間の入院ということだったのでしょうか?
 デング熱は回復に1か月くらいかかると聞いていたので、心配しています。クチュール神父様が昨年の夏、感染されて、肺の感染症が心配だということでした。

 血液検査などはなさっているのでしょうか?

 暑いところで、激務が続くでしょうから、どうぞご無理をなさらず、ゆっくり養生なさってください。
 お祈りしております。

 くれぐれもお大事になさってください。

【お便り】
トマス 小野田 神父様

デング熱の予後はいかがでしょうか。
 血小板の数値が下がって点滴とは、一種の成分輸血のような治療だったのでしょうか。引き続き、体の変化に注意なさってください。
 ゆっくり養生なさってください。

 いつもお世話になりありがとうございます。
 病後で体力を消耗しておられると思います。
 ゆっくり養生なさる時間がとれますように。
 お元気なお姿を拝見するのを楽しみにしています。
 ロザリオは少しは記録しています。また後ほど。


【報告】
勝利の聖母修道院長

トマス小野田神父様

アヴェ・マリア

10月中未報告のロザリオは77環です。 

【報告】
+ アヴェマリア

小野田神父様

神父さまのブログで、「ヨゼフ様」の尊さがわかりました。
2011年02月25日
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/ac78d0664cce0fb5d0daa00b83ddfdda

特に、
2011年02月21日
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/f11afbbd1b7ca1ac6370471e2ad67e25
では、旧約の話は、新約で成就されるとは聞いておりましたが、
旧約のヨゼフと「ヨゼフ様」がこのような関係にあるとは、驚きました。

太陽と月と星におじぎされる「聖ヨゼフ」様

日本の未来がありますように。

【報告】

アヴェ・マリア!

トマス小野田神父様

追加のご報告です。本日のアッシジの断食、もう少しで終わります。
主よ、あわれみたまえ!

【報告】
アヴェ・マリア!

トマス小野田神父様

ロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。

9月30日から10月27日22時(日本時間)まで
私と子供2人あわせて61環でした。

小野田神父様に天主様の祝福が豊かにありますように!


PS うれしいことが2つございました。クチュール神父様と親しくお話しさせていただくことができたことと、ヨゼフ様から代父をひきうけてもよいというありがたいお申し越しがあったことです。お話をうかがっていて、自分でも洗礼を受けさせていただいた方が信仰を強くもてるような気もしておりますが、このあたり、ご教示いただければ幸いです。


【お便り】
アヴェ・マリア!
+J,M,J,Ave Maria ☆!

せっかくの喜ばしい日だったのに奇しくも、今日アシジ祈祷集会が行われてしまいました。
小野田神父様、聖ピオ十世会、聖伝のカトリック教会の意向に心をあわせて
この大きな罪の償いのために、私たちは罪びとなれど、聖会の子どもとして、断食と祈りを御捧げいたしました。

小野田神父様、これからもどうぞ、なにとぞ「お身体に無理をせず」天国まで私たち子羊たちを、御導きください。

毎日、小野田神父様のために、拙いながら聖母マリア様にお祈りしております。
どうしても、ひとこと御祝いを申し上げたく。

至聖なるイエズス様の聖心よ、われらをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、われらのためにいのりたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ様、われらのためにいのりたまえ。

11月の御ミサを、小野田神父様の御帰りをお待ちしております。

【お便り】
おはようございます、修院長様。

 先日修院長様のブログを訪問しましたら、画面がオレンジ色でびっくりしました。
ブログの中にも秋が訪れましたね。

 10月の御ミサの御報告を致します。
その前に良いお話を。
いつもの御ミサ前のロザリオで私の先唱が終わった後、森さんの一番下の男の子が先唱をしてくれました。
まだ小さいのにしっかりしたお祈りでございました。
私達も微笑みながら唱えましたが、マリア様もお喜びになった事でしょう。
Novus Ordo 体制では信仰の継承に完全に失敗しましたが、聖伝の信仰の継承は確実に行われておりますね。

 又、9月の金曜と土曜の御ミサの説教の訳のプリントを信徒会長さんが御用意下さっていました。
この愛徳に深く感謝致しました。
何て有難い事でしょう。

 御ミサの人数は約28人でしたが、御ミサ後のお祈りが終わった後に素早く数えたので間違いがあるかもしれません。
信者用ホスチアが足りなかったので、管区長様は司祭用ホスチアを割ってご準備なさいました。

御ミサはMissa Cantata 、まずお知らせがございました。
管区長様は、聖ピオ十世会とローマの2年間のディスカッションを、ローマ側が完全に無視したので、フェレー司教様の為にお祈りするよう仰いました。

 私は思わずため息をつきました。
現在の教会の有様を、ローマは何故気づかないふりをし続けるのでしょうか。
例えば、現S.J. 総長のアドルフォ・ニコラス(解放の神学の盲信者)は、東京カトリック神学院で、ミサは復活であると教えていました。
イエズス様は苦しみも悲しみも無い、Shiny happy な順風満帆のご生涯を送り、無事にご長寿を全うされ、復活されたのでしょうか。

 又、司祭は司式者、ミサはお祝いで宴会であり、信者は列席者なら、あのアルバとストラだけの簡略化した格好、霊的に貧しい祈り、美的に貧相なカリスやパテナや聖堂は一体何でしょう。
人を招くなら、出来る限り綺麗な格好、良い食器でおもてなしするのが礼儀であり、常識でしょう。
Novus Ordo は現実感に乏しい、勝手に作り上げた妄想の世界に生きています。

 閑話休題。
説教の内容はマリア様についてでした。
マリア様の同じ特権は私達には得られないが、一人一人の心にイエズス様を置く事によって、イエズス様をお生みになったマリア様に倣う事が出来る、とお話になりました。
おお、マリア様に倣う事が出来るとは、何と偉大なお恵みでございましょう。
これも素晴らしい特権でございますね。

 御ミサの後の全てのお祈りの後、Angelus を歌いました。

 本当は御ミサの後の授業を受けたかったのですが、あいにく当日は三重県に大雨が降るという話だったので、電車が止まるかもと思い、後ろ髪を引かれる思いで失礼致しました。
この8、9、10月と、雨が降ると必ず大雨で、電車も数回止まり、8月には自宅が床下浸水してしまいました。

 ところが帰りの新幹線から見える光景は、どこも完全に晴れているのです。
早く帰ったのは失敗でございました・・・。

 来月は修院長様が帰ってこられます。
またお会い出来る日を楽しみにしております。

【お便り】
アヴェ・マリア!

小野田神父様

最近、日本だけではなく、世界中で悪い状況が起こっております。
経済的には、欧州危機、アメリカの不況の長期化、そしてタイバンコクでの洪水。

私は学生時代から、タイを何度か訪問したので、タイの事情にはある程度知識があります。

タイの人は、国王をしたう敬虔さと勤勉さをもった人がたくさんいます。

ただ、仏教徒であることと観光産業が大きな収益源であるため、どちらかというと享楽的な人も大勢いるのが、今回のような「神の罰」につながったのかもしれません。

バンコクが水浸しになるような光景は、おそらく数百年に1度のことではないでしょうか?

タイは、今や日本の主要な企業も集積していて、タイだけの問題ではなく、日本の若者の就職難にもつながります。

どうぞ、タイの異変を和らげていただくように、お祈りしていただければ幸いです。

【お返事】
 タイは、大河の河口部に位置していて、河川の堆積物による粘性土と滞水砂層との互層からなっているそうです。

ところで、都市部における地下水利用が経済成長に伴って、住宅や工場団地等の建設などによる都市部拡大があり、安価な地下水揚水が急速に増加したそうです。過剰な揚水によって地盤沈下が生じてしまっていました。

 バンコクでは,1980年以降、大量の地下水利用で地盤沈下や塩水の浸入が大きな問題となっていました。

バンコクの都市部がチャオプラヤ川という大河周辺に発達しているので、地盤沈下に伴いチャオプラヤ川の堤防高を低下させ、洪水リスクを増加させていました。

 既に、地盤沈下のために、2020年にはタイ・バンコクが消滅するかもしれない、という警告も過去に為されていたそうです。2004年の津波を正確に予測したタイの国家災害警報センターのスミスさんは、2020年にバンコクは大洪水を受け、200-300平方キロメートルに非常に広い地域が被害を受け、20000万人に被災者が出ると警告したとのことです。


「政府が地球温暖化と地盤沈下について数年以内に何らかの対策を講じなければ、2020年までにバンコクは海に沈む」


【お便り】
トマス小野田圭志修道院長様! ♪

十主の平安!♪
アヴェ・マリア!!♪♪

心強いブログをいつも、感謝致します!

先月は嬉しく♪御ミサに!♪与る御恵み頂きました!御祈り有難うございました!♪
今月も、どうぞ与れますように、御祈り御願い致します!

御ミサを!♪御願い致します、
意向は、
アッシジでの冒涜の諸宗教間会議を、教皇様が中止の御決断をして下さいますように!!

です、どうぞ宜しくお願い致します!

ブログも秋♪で綺麗ですね(*^_^*)

神父様!♪司祭叙階以来、7000回の聖伝ミサ!!!♪♪♪
おめでとうございます!!

本当に、何と素晴らしい!凄い!御恵みですね!

聖神父様は!♪7000回主なるイエズス様に!♪御成りになられましたのですねぇ、あまりに凄いですので、思いが及ばないのでございます、、

これからも、日本の聖ピオ十世会の少数精鋭の信者達の為にも、
聖なる御ミサ!♪どうぞ宜しく御願い致します!

では、フェレー司教様!♪の御意向の、聖なるロザリオ!♪
10月分の御報告をさせて頂きます(*^_^*)

*シスター!♪   93環(御元気の御様子で、とても嬉しいです)
*ヨゼフマリア   60環 
*ヨゼフ・パウロ  93環(今日は御誕生日でした♪ケーキを買いまして、ハッピバースデイ♪を歌い、御祝いしました♪)
*マリア     202環(頑張れる御恵み頂きました!♪)
*ヨゼフ       8環
*マリア      11環
*マリア      80環
*テレジア    102環
*マリア      47環
*マリア      29環
*マリア・ローザちゃん 19環
*マリア      129環
*アンナ矢嶋則子様 31環

今のところ、以上で、904環です。
又、ご連絡入りましたら、御伝え致します(*^_^*)

どうぞ宜しく、御願い致します。
色々、御指導頂きたい事等もありますが、遅くなりますので、
御報告、致します。

もうすぐ、御ミサ!♪です!

デオ・グラチアス!!

御優しいイエズス様!♪
御母聖マリア様!♪
聖会の保護者なる聖ヨゼフ様!♪
どうぞ、トマス小野田圭志修道院長様を!♪シャザル神父様を!♪
御護り下さいませ!

  お祈りのうちに アレルヤ!

【報告】
+J,M,J,Ave Maria ☆!

小野田神父様、聖務に御忙しいのにブログをありがとうございます。

小野田神父様のご健康のために毎日お祈りしております。
報告が遅くなりすみません。

つたないながらロザリオの十字軍の意向でとなえましたロザリオの報告をさせていただきます。

8人で 10月分として446環を御捧げしました
煉獄の霊魂のためにも、もっと祈らなければ(^^ゞ

明日は初金曜日、あさっては初土曜日ですね。
イエズス様の聖心と、マリア様の汚れ無き御心に、
愛と犠牲と祈りをひとつでも多くお捧げすることができますように!

至聖なるイエズス様の聖心よ、われらをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、われらのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフよ、われらのために祈りたまえ。


【お便り】
トマス小野田神父様

 小野田神父様。しばらく音沙汰ありませんが、御身体の方は大丈夫でしょうか?どうか余り無理をしないで下さい。日本のミッションは直ぐそこです。


【報告】
トマス小野田神父様

司祭叙階から7000回目の御ミサおめでとうございます。
また韓国の報道の記事有り難うございました。ところで、二三腑に落ちないのは
この報道記事で、個人と団体の区別はされていながらも、SSPXを統一教会に改宗したミリンゴ大司教と同等に扱っているという事と、最後に「ローマの進歩派はカトリック教会の左翼化を望んでいる」というフェレー司教様の発言です。私は、後者の発言を本当に司教様が御自身の口から発したのかを知りたいと思います。韓国の新聞は恐らく日本の産経同様に統一教会のお得意な極右的発言をするのが常でしょうから、今回司教様は先方に利用された可能性もあるのではないかと思っています。文脈や、現在のSSPXの状況からみてもあまり関係のない発言に思えます。司祭叙階問題に関する質問への回答にしては流れが不自然です。つまりコンテクストが適合しません。神父様御自身、インタビュー中近くにおられた
のでしょうか?何か誘導があったとか、言ってもいない事を記事にされてはいませんでしょうか?


【お返事】
 実は、フェレー司教様のインタビューの時には必ず私もお供しました。ただし、フェレー司教様のお答えが韓国語ではなく英語で為されたこと、また、紙面が限られていたこと、の理由で、フェレー司教様の言われようとしたことがうまく伝わっていなかったかもしれません。


+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

========================
いつもこのブログを読んで下さってありがとうございます。

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思った愛する兄弟姉妹の皆様は、
クリックで応援して下さると励みになります。
兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します。
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.


ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第二十四章 白湖農場

2011年11月08日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
第二十四章 白湖農場

 白湖農場は、安徽省の南東の地域に位置していました。元は300平方キロメートル以上あり、廬江県、無為県及び巢湖県と三県にまたがる広大な湿地帯でした。水は梅雨の時、貯水池に集められました。おそらく、さらに印象的なことかもしれませんが、そこは僅か海抜.5、6メートルにすぎませんでした。中国共産党はこれほど広大な湿地帯を、1958年に農場へと作り変えました。作業者の最初のグループは、真ん中に川を残して泥を掘り出した無数の囚人でした。川は隣接した領域と農場を分け隔て、非常に重要な輸送の水路となりました。堤防とダムを建設するために、湿地帯から取られた泥が用いられました。また、ダムの上には、多くの警察署が囚人を監視するために建てられ、ダムは車やトラックがその上を通るほど、十分大きいものでした。

 農場には十五の労改大隊があり、一つの労改大隊にはおよそ二千五百人がいました。これら大隊のそれぞれに、三から六つの中隊がありました。労働改造所は、3万から4万人の囚人を収容出来ました。通常の病院とは比較できないような、病院といわれるものがありました。そこは、患者が滞在する場所でした。彼らが得た中で最も大きい利点は、彼らが働く必要はなかったということでした。彼らの大部分は、死ぬまで少しの薬も手に入れられませんでした。さらに、製紙工場、肥料工場や精米工場がありました。実際に、中国共産党が権力を掌握して自らの権威を高めたがっていた後に、政府は異なった政治的立場を取った物凄い数の人々を逮捕しました。異なった労働改造所は、これらのすべての犠牲者を投獄するために設立されました。約27の省が中国にあります。各省には、少なくとも3つから5つの労働改造所がありました。労働改造所の大部分は、重い肉体労働でタイルかレンガを製造したり、米か小麦を栽培しました。

 私はなぜ、この本で白湖農場について触れるのでしょうか?第一の理由は、私が7年間そこにいたからです。私は多くの中国人の殉教者や朱樹徳、陳哲敏、傅鶴州、傅玉堂、厳蘊梁等の聖なる聖職者に出会いました。彼らは15年間以上この農場にいました。彼らは自分たちの汗、祈り、そして苦行で田に水をまきました。彼らの何人かは、この農場で血を流しました。彼ら聖職者は、まさしくすべての囚人がしたことをし、あらゆる非人間的な扱いを受け入れました。彼らはもはや祭壇の上や告解室の中にはいませんでした。中国共産党は、司祭と信者を他の囚人よりさらにひどく扱いました。いつ何時でも、彼らは厳しい公開批判闘争の標的に成り得ました。

 白湖農場は湿地帯から農地に変えられたので、米が主な作物でした。早稲と晩稲は毎年2回、収穫の季節がありました。農作業は二十四の農業の季節と密接に関わっていました。例えば、通常、早稲は雨期(4月20日か21日)に植えられます。これに田んぼでの様々な仕事が続いて、立秋(8月8日)の初日に収穫されます。また、秋の初日は稲の苗を植え替える日でした。 それが、秋の初日を刈り入れに急ぎ、植え替えに急ぐ「双搶」(シュアンチャン)と名付けた理由でした。「朝は一面の黄、晩は一面の青」という言葉の通り、それはまさに、同じ日に舞台の背景を急いで変えるかのようでした。秋の初日の天気は、いつも非常に暑かったのです。仕事はとても早い朝の暗闇から始まって、熱い太陽の下で昼を経て、非常に夜遅くに終わりました。作業者が疲れや眠気を感じようとも、1日あたり約16時間から18時間の労働がありました。

 田植えが秋の初日を過ぎたのならば、稲の穂は完全に成長しないものです。誰もが双搶には、病気による休みを取ることができませんでした。どんな傷病者も、なお働く必要がありました。作業者は、夜明けの半ばには田んぼに急いで働き始め、それぞれの作業者は、少なくとも1エーカー分を取り入れました。それぞれの作業者は長時間の間、絶えずうずくまる姿勢を保つ必要がありました。都市で成長した作業者は、うずくまる姿勢に慣れることができませんでした。彼らは跪いたり、這ったりと姿勢を切り換えました。私たちの神父様は、御ミサを捧げたり、告解を聴くのに慣れていました。どうして、神父様は農耕仕事をこなすことが出来るのでしょうか? しかし、彼らは非常に我慢強かったのでした。 彼らは労働改造所の看守からの叱責を気に掛けませんでした。「朱樹徳(イエズス会司祭)、今日は双搶だ。おまえは知らないのか? 稲を刈っている間、針先で刺繍でもしているのか? 他の奴はほとんど仕事をやり終えたが、おまえには、多くのやりかけの仕事がまだある。トラクターがそこを掘りにすぐにやって来る。おまえは何をするんだ?」5分以内に、看守は再び彼をどなりつけました。朱神父様は、自分のエネルギーの120%を使って田んぼを這っていました。岩から1滴の油を絞り出す方法は、全くありません。彼を駆り立てる術は全くありませんでした。 そして、恐らく過去に何度かあったように、何人かの屈強な囚人がやって来て、朱神父様が自分の作業を終えるのを助けました。

 次の作業は、晩稲の苗を植え替えることでした。稲の苗は、水上での作業である植え替えの前に手で引き抜かれ、田んぼに届けられる必要がありました。双搶には、多くの神父様たちが稲の苗を引き抜く作業をしました。 彼らは、自分たちの遅さのために、絶えず侮辱を受けました。確かに、神父様たちは裸足で働くのに慣れていませんでした。しかし、田んぼの水はとても泥だらけで、地面は穴だらけでした。靴を履いてさえも、体の平衡性を保てないでしょう。その上、田んぼの水の中には大きなヒルがいました。ヒルは私たちの足にくっつき、私たちの血を吸いました。ヒルは私の脚の両方を襲い、脚は血だらけになりました。水の中では、蛇や虫のことも忘れるわけにはいきませんでした。

 労働集約的な作業は、双搶には真夜中まで続ける必要がありました。何人かの弱い年配の方は熱、高血圧、または心臓病のために亡くなったものです。そして、毎年の双搶には、多数の死者が出ました。ですから、「双搶」を耳にするだけで、白湖農場の人々の多くは怯えました。

 労働改造所では、重くて激しい作業は双搶には当たりませんでした。双搶の後も、田んぼの作業は水の上のままでした。頭上の熱い太陽と水の中の別の熱い太陽という状況の下にいました。麦わら帽で頭を覆いかぶせることが出来ましたが、水の中で煮え立つような熱い太陽で、私たちはひどい汗をかいたものでした。天主様は、私が肉体的かつ霊的にあまりにも弱いのを御存知でしたので、何年間も私の世話をして下さいました。 天主様は、私が救護班で働くように御計らいになりましたので、私にはあまりにも過酷な経験はありませんでした。どれほど多くの私たちの神父様と信徒が、何年もの間生き延びるかを想像するのは、実に難しいことでした。朱神父様はユーモラスに言いました。「あなたは、自分が穏やかなままでいる限り、労働改造所で解雇されるのを心配する必要はありません。労働改造所の幹部は、人々に自分の能力を超えている仕事を強制的にさせませんが、その脅しには耐える必要があります」


-------------------------------------
『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
-------------------------------------


雑誌「週刊朝鮮」の最新号にフェレー司教様の記事が掲載されています

2011年11月01日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 韓国の方々が聖ピオ十世会にふかい興味を寄せていることを天主に感謝します。

 京畿日報、東亜日報の日刊紙の記事に続いて、「週刊朝鮮」という雑誌に聖ピオ十世会総長のフェレー司教様の韓国訪問の記事が掲載されました。ウェブ版では、先週号しか掲載されていないのでまだネット上では読むことが出来ませんが、日本の愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!


最新号の「週刊朝鮮」の表紙


フェレー司教様の記事



ミサ聖祭のことがよく分かるカラー・マンガ「ミサのすべて」が出来ました。

2011年11月01日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ミサ聖祭のことがよく分かるカラー・マンガ「ミサのすべて」が出来ました。1冊、1300円でお譲りしています。ミサ聖祭について愛する兄弟姉妹の皆様が楽しく知識を深めることが出来ればよいなと思っています。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)









--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】