旅二日目はいよいよメインの予定。縄文杉を目指す!という目的の日だった。
再三書いているように登山なぞ無縁だった我が半生。なぜ行こうという気になったのか 人生わからないものである。人の心は変わるのですよ<ねっイーサンさん。
しかし 情報を集めれば、なかなかキツイ道程らしい。ある程度ジムで鍛えているとはいえ、ワタシに成し遂げられるのか? 疑問とおそれが徐々に沸いてきてトレッキングの打ち合わせをした一日目の夜は早く寝なければならないと思いながらもいささか心配でなかなか寝付けなかった。
同行は 元々は体育会系、12時間の立ち仕事も時にはこなす体力勝負のオットと合宿では10時間踊るよ(しかもハ☆スという脚力勝負のダンスが専門)という筋肉ムスメである。やはりワタシが問題であるとの自己および客観的認識であった。
この日朝3時半起床、一応化粧もして身支度も整える。
ホテルのフロントで頼んでおいた朝、昼、二つのお弁当をもらう。
これはホテルで作ったものではなくて外注のお弁当やさんのものらしい。かなり塩気の強いおむすびとおかず こんなの朝っぱらから食べられないよと思ったが、その後の全身汗だくになったことを考えるとこの塩辛さは計算づくかもしれない。
4時20分にガイドの方がホテルまで迎えにきてくれて同じホテルからの三組がそれぞれ車で駐車場まで そこからバスに乗り継ぎ荒川登山口に向かう。
私達のグループは 30代くらいの夫婦、20代の姉妹と40代の叔母さん、私達三人の八人。それに30代前半くらいの男性ガイドという組み合わせであった。
30代夫婦は登山慣れしているらしく、この夏も富士山を徹夜で登ったというツワモノ。叔母姪組は福岡から来たゲンキそうな九州女子。二組ともとても感じの良い人たちで、いい道連れに恵まれたと思う。
ガイドさんはクールといえばクール ドライといえばドライ わりに感情を表さず知識はあると思うけどあまり余分なことは言わないタイプ。ワタシはもう少し愛想がよくて口数も多くてももいいじゃないと思ったが、オットとムスメは ああいうのがいい 余分な感情的講釈が多すぎるとウザイと意見が分かれた。
登山口でトイレをすませて グループ毎に上り始める。
最初はトロッコ道を延々と歩く。このトロッコは大正時代に敷かれたもので林業の盛んだった昭和40年代まで伐採した杉の運搬や林業に携わる人たちの交通手段としても使われたらしい。
枕木は等間隔ではなくてちゃんと足元を見て歩かないと危ないのであまりあたりの景色を見るという感覚でない。それもかなりの早足(例えて言えば出勤時の東京駅のサラリーマンのような歩き方)で粛々と歩を進めるといった感じであった。
もう散々歩いたと思ったところで休憩所の小屋が現れる。
ここは昭和45年まで存在していた小中学校のあったところだった。ここで働いていたのは営林局の職員たちで学んでいたのはその子弟だったのだろう。
時代から言えば最後の頃の生徒は私たちと同年代くらいの人たちであろう。
ここでどんな生活を送ったのか この森を日常としていた日々の事を聞いてみたい気がする。
小杉谷小学校の跡地
ここでガイドさん
「もうずいぶん歩いたと思われてるでしょうけど まだ五分の一ですからね~」と言い放ち がっくりする。
しかし道端のびっくりするほど近くに野生の鹿が草を食べていたり、
美しいコケの森や 名前のある杉たちが徐々に姿を現す。
この様に倒木や切り倒された株にコケが生え コケのを温床として杉の種が着生する。それが切り株更新とか倒木更新と言われるらしい。
これは三代に渡って切り株更新された杉 三代杉と言われる。
自然現象を擬人化しすぎるのも好きではないけど、人が亡くなってもそのDNAや思想が子供に受け継がれるモデルを杉に見たって気がした。
途中、トロッコ道は何度も川を渡る。下を見ると川や川原。大きな岩がゴロゴロしている。手すりはなく、落ちたら死ぬか大怪我であろう。自分の平衡感覚を信じて歩を進める。頭の片隅で 芥川のトロッコとかスタンド・バイ・ミーの映像を思い浮かべながらも集中して・・・
そしていよいよトロッコ道をそれて 本格的登山道に入っていく。
家族ではワタシが先を歩いたのだが、最初の5分は四苦八苦 どこに足をかけたらいいのかよくわからないのである。無理に歩を運んだらしく後ろから着いてきた娘から見ると非常に危なっかしかったらしい。
「ねえ 大丈夫?」と心配される。
登って10分後くらいにガイドさんから 「この山の石は花崗岩だから滑りませんよ 根っ子は滑ります。大股すぎないように登ってください」と注意がある。
最初から言ってよね。すでに軍手は真っ黒だったよ。
しかし、その後はその注意を守って登っていったら危なっかしさはなくなった。(なんせ初心者ですからね)
獣道のような岩や根っ子が表面に出ている山道や 木や石でできた階段が交互に現れるが階段も等間隔でなく、転がり落ちたら大変そうなのでかなり緊張する。
一足一足 どこに次は足を置いたらいいか。どのくらい足を持ち上げたらいいか集中しながら歩くなんぞ今まで経験のなかったこと。
行程の先、まっすぐなところだと あそこまで登るの~~? マジ?とめげそうになったが 頼れるのは自分だけ。ただ足を進める。黙々と重力にさからって自分の身体を持ち上げていくだけ。
気づいたら下着代わりのブラトップとTシャツは汗ぐっしょり、帽子も汗が染みるほどだった。
この辺から屋久杉と言われる千年を超える杉たちが現れる。屋久島じゃ樹齢千年以下は小杉なんだそうです。
そして有名なウィルソン株にたどりついた。
周囲13.8m
中は泉がわく8-10畳ほどの空間になっている。
秀吉が切らせたというがこの上にどんな杉がそびえていたのだろうか?
この株の内部の中心に立って空を見上げるとハート型に切り取られて見える。
これの画像を待ち受けにすると 恋が実るらしい・・・
(ウソです 今作りました )
ここで10分ほど休憩してさらにすすむ。
クールガイド氏が 「ここから山場ですよ~」と言うだけあってこの先20分ほどの上りはハンパではなかった。
その山場を通り過ぎて お昼 まだ10時半くらいだったがホテルを出て6時間、登りはじめてから4時間半くらいは経っているのである。
疲れすぎていてあまり食欲はないが無理やり食べる。クール氏が携帯のガス?でお湯を沸かしてお茶を入れてくれる。疲れた身体に熱いお茶がしみた。
大王杉、夫婦杉などの名物杉を見ながらいよいよ縄文杉に・・・
「はい あれです」というガイドの声に顔を上げると 展望台の向こうに聳え立つ巨木
樹高25.3m 胸高周囲16.4m(直径5.4m)
達成感で満足なオットとワタシ。
今回のツアーは20代の若者が圧倒的に多く、途中で前後したグループに一人60代以上と思われるおじさまはいたがその次に年を食った参加者だったと思う。
しかし 行きはよいよい帰りは怖い この帰り道オットの身に悲劇(喜劇)が・・・
再三書いているように登山なぞ無縁だった我が半生。なぜ行こうという気になったのか 人生わからないものである。人の心は変わるのですよ<ねっイーサンさん。
しかし 情報を集めれば、なかなかキツイ道程らしい。ある程度ジムで鍛えているとはいえ、ワタシに成し遂げられるのか? 疑問とおそれが徐々に沸いてきてトレッキングの打ち合わせをした一日目の夜は早く寝なければならないと思いながらもいささか心配でなかなか寝付けなかった。
同行は 元々は体育会系、12時間の立ち仕事も時にはこなす体力勝負のオットと合宿では10時間踊るよ(しかもハ☆スという脚力勝負のダンスが専門)という筋肉ムスメである。やはりワタシが問題であるとの自己および客観的認識であった。
この日朝3時半起床、一応化粧もして身支度も整える。
ホテルのフロントで頼んでおいた朝、昼、二つのお弁当をもらう。
これはホテルで作ったものではなくて外注のお弁当やさんのものらしい。かなり塩気の強いおむすびとおかず こんなの朝っぱらから食べられないよと思ったが、その後の全身汗だくになったことを考えるとこの塩辛さは計算づくかもしれない。
4時20分にガイドの方がホテルまで迎えにきてくれて同じホテルからの三組がそれぞれ車で駐車場まで そこからバスに乗り継ぎ荒川登山口に向かう。
私達のグループは 30代くらいの夫婦、20代の姉妹と40代の叔母さん、私達三人の八人。それに30代前半くらいの男性ガイドという組み合わせであった。
30代夫婦は登山慣れしているらしく、この夏も富士山を徹夜で登ったというツワモノ。叔母姪組は福岡から来たゲンキそうな九州女子。二組ともとても感じの良い人たちで、いい道連れに恵まれたと思う。
ガイドさんはクールといえばクール ドライといえばドライ わりに感情を表さず知識はあると思うけどあまり余分なことは言わないタイプ。ワタシはもう少し愛想がよくて口数も多くてももいいじゃないと思ったが、オットとムスメは ああいうのがいい 余分な感情的講釈が多すぎるとウザイと意見が分かれた。
登山口でトイレをすませて グループ毎に上り始める。
最初はトロッコ道を延々と歩く。このトロッコは大正時代に敷かれたもので林業の盛んだった昭和40年代まで伐採した杉の運搬や林業に携わる人たちの交通手段としても使われたらしい。
枕木は等間隔ではなくてちゃんと足元を見て歩かないと危ないのであまりあたりの景色を見るという感覚でない。それもかなりの早足(例えて言えば出勤時の東京駅のサラリーマンのような歩き方)で粛々と歩を進めるといった感じであった。
もう散々歩いたと思ったところで休憩所の小屋が現れる。
ここは昭和45年まで存在していた小中学校のあったところだった。ここで働いていたのは営林局の職員たちで学んでいたのはその子弟だったのだろう。
時代から言えば最後の頃の生徒は私たちと同年代くらいの人たちであろう。
ここでどんな生活を送ったのか この森を日常としていた日々の事を聞いてみたい気がする。
小杉谷小学校の跡地
ここでガイドさん
「もうずいぶん歩いたと思われてるでしょうけど まだ五分の一ですからね~」と言い放ち がっくりする。
しかし道端のびっくりするほど近くに野生の鹿が草を食べていたり、
美しいコケの森や 名前のある杉たちが徐々に姿を現す。
この様に倒木や切り倒された株にコケが生え コケのを温床として杉の種が着生する。それが切り株更新とか倒木更新と言われるらしい。
これは三代に渡って切り株更新された杉 三代杉と言われる。
自然現象を擬人化しすぎるのも好きではないけど、人が亡くなってもそのDNAや思想が子供に受け継がれるモデルを杉に見たって気がした。
途中、トロッコ道は何度も川を渡る。下を見ると川や川原。大きな岩がゴロゴロしている。手すりはなく、落ちたら死ぬか大怪我であろう。自分の平衡感覚を信じて歩を進める。頭の片隅で 芥川のトロッコとかスタンド・バイ・ミーの映像を思い浮かべながらも集中して・・・
そしていよいよトロッコ道をそれて 本格的登山道に入っていく。
家族ではワタシが先を歩いたのだが、最初の5分は四苦八苦 どこに足をかけたらいいのかよくわからないのである。無理に歩を運んだらしく後ろから着いてきた娘から見ると非常に危なっかしかったらしい。
「ねえ 大丈夫?」と心配される。
登って10分後くらいにガイドさんから 「この山の石は花崗岩だから滑りませんよ 根っ子は滑ります。大股すぎないように登ってください」と注意がある。
最初から言ってよね。すでに軍手は真っ黒だったよ。
しかし、その後はその注意を守って登っていったら危なっかしさはなくなった。(なんせ初心者ですからね)
獣道のような岩や根っ子が表面に出ている山道や 木や石でできた階段が交互に現れるが階段も等間隔でなく、転がり落ちたら大変そうなのでかなり緊張する。
一足一足 どこに次は足を置いたらいいか。どのくらい足を持ち上げたらいいか集中しながら歩くなんぞ今まで経験のなかったこと。
行程の先、まっすぐなところだと あそこまで登るの~~? マジ?とめげそうになったが 頼れるのは自分だけ。ただ足を進める。黙々と重力にさからって自分の身体を持ち上げていくだけ。
気づいたら下着代わりのブラトップとTシャツは汗ぐっしょり、帽子も汗が染みるほどだった。
この辺から屋久杉と言われる千年を超える杉たちが現れる。屋久島じゃ樹齢千年以下は小杉なんだそうです。
そして有名なウィルソン株にたどりついた。
周囲13.8m
中は泉がわく8-10畳ほどの空間になっている。
秀吉が切らせたというがこの上にどんな杉がそびえていたのだろうか?
この株の内部の中心に立って空を見上げるとハート型に切り取られて見える。
これの画像を待ち受けにすると 恋が実るらしい・・・
(ウソです 今作りました )
ここで10分ほど休憩してさらにすすむ。
クールガイド氏が 「ここから山場ですよ~」と言うだけあってこの先20分ほどの上りはハンパではなかった。
その山場を通り過ぎて お昼 まだ10時半くらいだったがホテルを出て6時間、登りはじめてから4時間半くらいは経っているのである。
疲れすぎていてあまり食欲はないが無理やり食べる。クール氏が携帯のガス?でお湯を沸かしてお茶を入れてくれる。疲れた身体に熱いお茶がしみた。
大王杉、夫婦杉などの名物杉を見ながらいよいよ縄文杉に・・・
「はい あれです」というガイドの声に顔を上げると 展望台の向こうに聳え立つ巨木
樹高25.3m 胸高周囲16.4m(直径5.4m)
達成感で満足なオットとワタシ。
今回のツアーは20代の若者が圧倒的に多く、途中で前後したグループに一人60代以上と思われるおじさまはいたがその次に年を食った参加者だったと思う。
しかし 行きはよいよい帰りは怖い この帰り道オットの身に悲劇(喜劇)が・・・