23日は日舞のおさらい会を観にいった。
全然違う友人(一人は着物オバ もう一人は小学校からの友人)が偶然同じ師匠に師事しているのである。
同級生の方は名取で自分も教えているベテラン 何度か観にいってこちらでも書いているが演劇出身なので情感のこめ方などものすごくお上手である。
着物オバさまの方はアラカンで昔とったキネヅカで再開した趣味ながら熱心にうちこんでいてこんなこと言っちゃ僭越だけど年々うまくなってる様が見られてそれはそれでおもしろい。
ただ二人の技量が違うので オバは昼頃、友人はトリ前で6時すぎという出演時間なので困ってしまった。
ちょっとウチに帰るには中途半端だし、ずっと見ているのも飽きるし
ってことで色々考えました。
ランチ
この辺(蛎殻町あたり)は知っていればおいしいところもあるらしいが、オフィス街なので休日は休みの食べ物屋さんが多いのよね
このイタリアンは当たりだった。個室に案内してくれたしちょうど良い固さのリゾットが好み。
ここでサクっと食べてから 着物オバの踊りを見て
オバ仲間と銀座に・・・
ちょうどいい時間に シャネル(オドレィ トトゥのアヴァンの方ね)が上映されているので見ようと思ったら 水曜日のレディースデイもあり一番前の席しか空いてない。「スクリーンが全部見えませんよ」とのことであきらめた。
オバ仲間一人が こちらの招待券を持っていたので マツヤに行ってみた。
時間つぶしになればいいやと思って行ったのだけど これが思いがけずによかったのよね~
ユキ・パリスコレクション ヨーロッパアンティーク美しき暮らし展
17-20世紀ヨーロッパ各地の人々の服飾やインテリアを飾った糸と針の手仕事の展覧会でした。
んまあ これが繊細なこと・・・
名のある職人や芸術家の作品でなくて 素人の女性が自分の家族や住居のためにほどこしたものが大半である。
この頃は女性のたしなみとして糸と針の手仕事は必須条項であったみたいね(針アレルギーのワタシとしてはこの時代に生まれなかったことを喜ぶしかない)
上流階級の女性がテキストとして刺したアルファベットの刺繍の雛形
5歳の女の子が施したという実に立派な布も飾ってあった。
まだ小さなぷっくりした指が お母さんやら乳母やらに教えられながら一針一針自分の作品を仕上げていった姿が想像されてなんだか微笑ましかった(とは言うもののもちろんワタシよりお針の腕ははるかに上等である)
他にも壁の装飾用の気が遠くなるほどの大きな作品や 毎日使うテーブルクロスやナプキンなどにさりげなく施された家族のイニシャルなど、この時代の女性たちの思いが感じられる作品。
こういった布に針を刺しながら 嬉しい思い 悲しい思い 色んな思いをこめたのだろうな~ なんてのがせまったわけですね。
また興味深かったのは この17世紀のヨーロッパは東洋に比べて布への染色技術が発達していなかったので白地に白糸の刺繍ってパターンが多かったってこと。
それはそれで白い糸が重なって描きだされる繊細な陰影などもとてもオモムキがあるのではありますが・・・
布としての多彩な色使い(織りや染めや刺繍)は アジア地域の方がすすんでいたらしい。
それがヨーロッパにだんだんと広まって 逆にヨーロッパの白糸の刺繍技術が中国に輸入されてスワトウ刺繍になったとか・・・
この辺は 有田焼きや中国陶器がヨーロッパに輸出されてマイセンなどに影響を与え あちらからもその技術が輸入されて 渾然一体となった経緯に似てますね。
そう言えばワタシの身近なところにもこの手のことをやる人がいた。
* * *
母が手作りして嫁にくる時に私に持たせてくれたクロスステッチのパーティーバッグです。
やはりおっそろしいほど細かい手仕事であります。
母はこういった手仕事が好きでピアノのレッスンバッグなどもデンマーク刺繍でB4すべてにかわいい草花をさしたり、学校の掃除用のエプロンなどにもスモック刺繍などするまめさがあった。
当時はそんなにありがたがってはいなかったけど今思うと手間がかかってたよな~
母も丁寧にワタシを育ててくれたのね~ それに比べて・・・など自らの不肖の娘さを反省する次第である。
そんなことを思い描きながらまたおさらい会場に戻り
今度は友人の踊りを見た
卯の花という清元の踊り 卯の花や雪でうさぎをつくるやら から始まり江戸芸者となって踊る友
とても粋で色っぽかった。
「んも~ 田舎に引っ込んじゃうと中々江戸前芸者になれなくってさ。(ワタシの実家地方からお江戸にお稽古に通っている)しゃきっと踊れてた?」と出演後に話した彼女だったが立派に粋なお姐さん芸者になっていた。
この日は舞台友Nもこの時に合流したのだが 二人で彼女の才能にうならされた。
「いつまでも見ていたい踊りだよね」と共通の感想。
ホント 良いものを見られて色々思いをはせられた一日に感謝
全然違う友人(一人は着物オバ もう一人は小学校からの友人)が偶然同じ師匠に師事しているのである。
同級生の方は名取で自分も教えているベテラン 何度か観にいってこちらでも書いているが演劇出身なので情感のこめ方などものすごくお上手である。
着物オバさまの方はアラカンで昔とったキネヅカで再開した趣味ながら熱心にうちこんでいてこんなこと言っちゃ僭越だけど年々うまくなってる様が見られてそれはそれでおもしろい。
ただ二人の技量が違うので オバは昼頃、友人はトリ前で6時すぎという出演時間なので困ってしまった。
ちょっとウチに帰るには中途半端だし、ずっと見ているのも飽きるし
ってことで色々考えました。
ランチ
この辺(蛎殻町あたり)は知っていればおいしいところもあるらしいが、オフィス街なので休日は休みの食べ物屋さんが多いのよね
このイタリアンは当たりだった。個室に案内してくれたしちょうど良い固さのリゾットが好み。
ここでサクっと食べてから 着物オバの踊りを見て
オバ仲間と銀座に・・・
ちょうどいい時間に シャネル(オドレィ トトゥのアヴァンの方ね)が上映されているので見ようと思ったら 水曜日のレディースデイもあり一番前の席しか空いてない。「スクリーンが全部見えませんよ」とのことであきらめた。
オバ仲間一人が こちらの招待券を持っていたので マツヤに行ってみた。
時間つぶしになればいいやと思って行ったのだけど これが思いがけずによかったのよね~
ユキ・パリスコレクション ヨーロッパアンティーク美しき暮らし展
17-20世紀ヨーロッパ各地の人々の服飾やインテリアを飾った糸と針の手仕事の展覧会でした。
んまあ これが繊細なこと・・・
名のある職人や芸術家の作品でなくて 素人の女性が自分の家族や住居のためにほどこしたものが大半である。
この頃は女性のたしなみとして糸と針の手仕事は必須条項であったみたいね(針アレルギーのワタシとしてはこの時代に生まれなかったことを喜ぶしかない)
上流階級の女性がテキストとして刺したアルファベットの刺繍の雛形
5歳の女の子が施したという実に立派な布も飾ってあった。
まだ小さなぷっくりした指が お母さんやら乳母やらに教えられながら一針一針自分の作品を仕上げていった姿が想像されてなんだか微笑ましかった(とは言うもののもちろんワタシよりお針の腕ははるかに上等である)
他にも壁の装飾用の気が遠くなるほどの大きな作品や 毎日使うテーブルクロスやナプキンなどにさりげなく施された家族のイニシャルなど、この時代の女性たちの思いが感じられる作品。
こういった布に針を刺しながら 嬉しい思い 悲しい思い 色んな思いをこめたのだろうな~ なんてのがせまったわけですね。
また興味深かったのは この17世紀のヨーロッパは東洋に比べて布への染色技術が発達していなかったので白地に白糸の刺繍ってパターンが多かったってこと。
それはそれで白い糸が重なって描きだされる繊細な陰影などもとてもオモムキがあるのではありますが・・・
布としての多彩な色使い(織りや染めや刺繍)は アジア地域の方がすすんでいたらしい。
それがヨーロッパにだんだんと広まって 逆にヨーロッパの白糸の刺繍技術が中国に輸入されてスワトウ刺繍になったとか・・・
この辺は 有田焼きや中国陶器がヨーロッパに輸出されてマイセンなどに影響を与え あちらからもその技術が輸入されて 渾然一体となった経緯に似てますね。
そう言えばワタシの身近なところにもこの手のことをやる人がいた。
* * *
母が手作りして嫁にくる時に私に持たせてくれたクロスステッチのパーティーバッグです。
やはりおっそろしいほど細かい手仕事であります。
母はこういった手仕事が好きでピアノのレッスンバッグなどもデンマーク刺繍でB4すべてにかわいい草花をさしたり、学校の掃除用のエプロンなどにもスモック刺繍などするまめさがあった。
当時はそんなにありがたがってはいなかったけど今思うと手間がかかってたよな~
母も丁寧にワタシを育ててくれたのね~ それに比べて・・・など自らの不肖の娘さを反省する次第である。
そんなことを思い描きながらまたおさらい会場に戻り
今度は友人の踊りを見た
卯の花という清元の踊り 卯の花や雪でうさぎをつくるやら から始まり江戸芸者となって踊る友
とても粋で色っぽかった。
「んも~ 田舎に引っ込んじゃうと中々江戸前芸者になれなくってさ。(ワタシの実家地方からお江戸にお稽古に通っている)しゃきっと踊れてた?」と出演後に話した彼女だったが立派に粋なお姐さん芸者になっていた。
この日は舞台友Nもこの時に合流したのだが 二人で彼女の才能にうならされた。
「いつまでも見ていたい踊りだよね」と共通の感想。
ホント 良いものを見られて色々思いをはせられた一日に感謝