今年の行事初めは 故郷の同窓会だった。
私達の卒業した小中一貫校の5年に一度の同窓会である。4クラスの男女90人ずつと小中の先生たちもご招待して盛大に行われる。
ワタシは一応(名のみの)幹事だったし、先生への花束贈呈係にもなっていたので着物で行くことにしていた。
あまり大げさでなく小紋か大島あたりでさりげなく行こうと思っていたのに、母が
「お正月なんだからもっと華やかなものにしなさいよ」と強行に主張して訪問着を着ることになった。
年を食った娘でも 母ってもんは着飾らせたいものなのね。
おかげでチーママと呼ばれたではないか・・・
一次会はホテルのパーティー会場で午後三時開始
全体で70人くらいの会だった。
二次会はホテルの最上階のラウンジ借りきり 殆ど帰る人がなく先生も帰った後ということもあり更に盛り上がる
三次会は近くのカラオケ屋に
ここで東京やその他の地方にこの日のうちに戻る組などはさすがに帰ったが、一次会、二次会に来なかった地元組を電話で呼び出したりする動きも見られ、人数はまだ30人ほど。
大きな部屋だったが動けないくらいの満席となる。
歌うより話すのが主流
ここでは大きなビールサーバーと焼酎をボトルで頼んであった。
もうこの時点で6,7時間は飲み続けているみんな。
女性のキス魔が現れたり、場は一部で乱れている。
ワタシはこの日はチビチビ飲んでいて量は飲まなかったし、ビールと焼酎にとどめておいたのでかなり頭ははっきりしていて(ワインを飲まなきゃほぼ素面でいられる体質であります)、「まったくみっともないわね~」とキス魔をハラハラしながら見守っていた。私はどっちかというと酔えば酔うほど毒舌に磨きがかかる 色気のナイ酒癖の持ち主である。
キス魔は就職したムスコの事で悩んでいたらしく、偶然同じような職種のムスコを持つ私に悩みをうちあけたあと今度は泣き上戸にシフトして 二人のオトコに腕を支えられながら四次会に向かった。
さて三次会お開き という事になり会計係になった私は みんなから集めたお札と伝票とバッグを片手に 着物の上前を片手に持って階段を登ろうとした。
酔ってなかったのにもかかわらず 階段でけつまづいてあやうく着物で転げ落ちそうになった。とっさに伝票とお札を放り出して両手をついてそれをまぬがれたのは判断力と運動神経のタマモノと自分で自分を褒めてあげたいところだが 周りの爆笑を招いてしまったではないか。
舞台友Nなどには 「もうやめてよ 局~ おかしすぎてナミダとおしっこがもれそうだよ~」とまで言われた。
その後 フロントで支払いのあと 「ショールを預けたんですけど」とトンチンカンな事を言い フロントのおねえちゃんの???の顔と 「局 カラオケ屋にクロークはねえよ」と言う突込みを浴びた。(前の会場のホテルと記憶が混じっていたのである。)
置いてきたショールは、あるオトコが首に巻いて持ってきてくれていた。
「やだ~ ありがとね」と言ってそれを自分が巻いたら片方がずり下がりで地面に垂れていて
「局って 昔からこういうキャラだったっけ~?」とまた爆笑された。
わざわざ訪問着を着せたがった母は 優雅に年を重ねた娘を昔の仲間に見せたかったのかもしれないが その目論見は見事にはずれたと言わざるを得ないであろう。
個人的にはこうやってバカを晒した同窓会だったが、一つ良かったことがあった。
私達の学年代表幹事は 生徒会の会長をやっていたGという男の子だった。
彼はこの学年で一番のおぼっちゃまキャラ すごくできるという感じではなかったけどそれなりに努力家で後には旧帝の法学部に進学したし、運動神経は抜群で細身の美少年といった典型的な附属っ子であった。
お家は江戸時代から代々続くある老舗であった。
大学を出たあと何年か司法試験に挑戦していたらしいが、結局あきらめてお家を継いだ彼だったが数年前に色々な要因があってお家の商売は人手に渡ってしまった。
彼はそこに雇われている立場になってしまったらしい。
5年前の同窓会はその渦中で学年代表の彼は欠席だった。その後も一切学校関係の集まりには出てくることがなかった。
誰に対しても公平に親切で面倒見のよかったGだったからやはりみんなから好かれて動静が心配されていた。
彼がその気になるまでそっとしておこうよ という意見と こだわりなく誘おうよ 俺たちの会長じゃないか という意見も錯綜した。
私達の仲間内の教授が彼に自筆の手紙を書き、彼は三次会にひょっこり現れた。
とっても痩せて顔色もよくなかったけど、あいかわらず愛想がよくて紳士的なところは変わらなかった。
四次会(まだ行ったんかい)のファミレスでは彼とじっくり話すことができた。
話のはしばしに公私ともに大変そうな状況はうかがえたが、小中の時代の思い出を話す彼は生き生きとして本当に楽しそうだった。
「こんなことを話せる集団はここしかないよね」と何度も言っていたのが印象に残った。
その後 こちらに戻ってきたワタシはそのテーブルで一緒に話した二人の友人からメールをもらった。
ちょっと見の外見は変わった人もいましたが、昔、何かを一緒にやった仲間とは
時間の経過を忘れ、昔に簡単に戻ることが、できることの喜びを
ここ何回かの同窓会で感じています。
S太郎の言葉通り、これまで順風満帆にきた人は一握り
だと思います。皆何かを乗り越えてきていると思いますし、
そのための努力を行ってきたと思います。
まじめなコメントになりつつありますが、俺は附属という集団は
決して嫌いではないですし(これを財産と考えるようにしています)、
Gとは話足りなかったので、また、次回(5年後)の会に参加
できるように精進したいと思います。
附属の同窓会集団・・・こりゃいったい何なんだろう。
僕にとっては、すこぶる居心地のよいものです。
その中でも特にtuboneやテンコと話していると、楽しくて時の過ぎるのを忘れる。
昔は人生50年とかだったらしいけど、現代に生きる我々はまだまだ人生を終了できるほど達観はできないね。
せいぜい人生の黄昏が仄見えるところにきているってところかな。
でもさ、秋の夕暮れがとても美しいように、人生の黄昏も悪くないね 後略
多かれ少なかれ 良かれ悪しかれ ワタシという人間の基礎を形作った空間。
その後何十年という時を経ても顔を合わせば直ちに昔の顔が思い浮かべられ、たとえどんなにその中に偉くなったヤツが居てもこの会ではみんなが対等で居られる。
しかし、仲間の成功は喜びあえるし、困ったことがあると無償で相談に乗ってもらえる。
今になって この仲間がいるってことは財産だなってつくづく思える。
その思いが私だけじゃないってことが確認できてうれしかった・・・
私達の卒業した小中一貫校の5年に一度の同窓会である。4クラスの男女90人ずつと小中の先生たちもご招待して盛大に行われる。
ワタシは一応(名のみの)幹事だったし、先生への花束贈呈係にもなっていたので着物で行くことにしていた。
あまり大げさでなく小紋か大島あたりでさりげなく行こうと思っていたのに、母が
「お正月なんだからもっと華やかなものにしなさいよ」と強行に主張して訪問着を着ることになった。
年を食った娘でも 母ってもんは着飾らせたいものなのね。
おかげでチーママと呼ばれたではないか・・・
一次会はホテルのパーティー会場で午後三時開始
全体で70人くらいの会だった。
二次会はホテルの最上階のラウンジ借りきり 殆ど帰る人がなく先生も帰った後ということもあり更に盛り上がる
三次会は近くのカラオケ屋に
ここで東京やその他の地方にこの日のうちに戻る組などはさすがに帰ったが、一次会、二次会に来なかった地元組を電話で呼び出したりする動きも見られ、人数はまだ30人ほど。
大きな部屋だったが動けないくらいの満席となる。
歌うより話すのが主流
ここでは大きなビールサーバーと焼酎をボトルで頼んであった。
もうこの時点で6,7時間は飲み続けているみんな。
女性のキス魔が現れたり、場は一部で乱れている。
ワタシはこの日はチビチビ飲んでいて量は飲まなかったし、ビールと焼酎にとどめておいたのでかなり頭ははっきりしていて(ワインを飲まなきゃほぼ素面でいられる体質であります)、「まったくみっともないわね~」とキス魔をハラハラしながら見守っていた。私はどっちかというと酔えば酔うほど毒舌に磨きがかかる 色気のナイ酒癖の持ち主である。
キス魔は就職したムスコの事で悩んでいたらしく、偶然同じような職種のムスコを持つ私に悩みをうちあけたあと今度は泣き上戸にシフトして 二人のオトコに腕を支えられながら四次会に向かった。
さて三次会お開き という事になり会計係になった私は みんなから集めたお札と伝票とバッグを片手に 着物の上前を片手に持って階段を登ろうとした。
酔ってなかったのにもかかわらず 階段でけつまづいてあやうく着物で転げ落ちそうになった。とっさに伝票とお札を放り出して両手をついてそれをまぬがれたのは判断力と運動神経のタマモノと自分で自分を褒めてあげたいところだが 周りの爆笑を招いてしまったではないか。
舞台友Nなどには 「もうやめてよ 局~ おかしすぎてナミダとおしっこがもれそうだよ~」とまで言われた。
その後 フロントで支払いのあと 「ショールを預けたんですけど」とトンチンカンな事を言い フロントのおねえちゃんの???の顔と 「局 カラオケ屋にクロークはねえよ」と言う突込みを浴びた。(前の会場のホテルと記憶が混じっていたのである。)
置いてきたショールは、あるオトコが首に巻いて持ってきてくれていた。
「やだ~ ありがとね」と言ってそれを自分が巻いたら片方がずり下がりで地面に垂れていて
「局って 昔からこういうキャラだったっけ~?」とまた爆笑された。
わざわざ訪問着を着せたがった母は 優雅に年を重ねた娘を昔の仲間に見せたかったのかもしれないが その目論見は見事にはずれたと言わざるを得ないであろう。
個人的にはこうやってバカを晒した同窓会だったが、一つ良かったことがあった。
私達の学年代表幹事は 生徒会の会長をやっていたGという男の子だった。
彼はこの学年で一番のおぼっちゃまキャラ すごくできるという感じではなかったけどそれなりに努力家で後には旧帝の法学部に進学したし、運動神経は抜群で細身の美少年といった典型的な附属っ子であった。
お家は江戸時代から代々続くある老舗であった。
大学を出たあと何年か司法試験に挑戦していたらしいが、結局あきらめてお家を継いだ彼だったが数年前に色々な要因があってお家の商売は人手に渡ってしまった。
彼はそこに雇われている立場になってしまったらしい。
5年前の同窓会はその渦中で学年代表の彼は欠席だった。その後も一切学校関係の集まりには出てくることがなかった。
誰に対しても公平に親切で面倒見のよかったGだったからやはりみんなから好かれて動静が心配されていた。
彼がその気になるまでそっとしておこうよ という意見と こだわりなく誘おうよ 俺たちの会長じゃないか という意見も錯綜した。
私達の仲間内の教授が彼に自筆の手紙を書き、彼は三次会にひょっこり現れた。
とっても痩せて顔色もよくなかったけど、あいかわらず愛想がよくて紳士的なところは変わらなかった。
四次会(まだ行ったんかい)のファミレスでは彼とじっくり話すことができた。
話のはしばしに公私ともに大変そうな状況はうかがえたが、小中の時代の思い出を話す彼は生き生きとして本当に楽しそうだった。
「こんなことを話せる集団はここしかないよね」と何度も言っていたのが印象に残った。
その後 こちらに戻ってきたワタシはそのテーブルで一緒に話した二人の友人からメールをもらった。
ちょっと見の外見は変わった人もいましたが、昔、何かを一緒にやった仲間とは
時間の経過を忘れ、昔に簡単に戻ることが、できることの喜びを
ここ何回かの同窓会で感じています。
S太郎の言葉通り、これまで順風満帆にきた人は一握り
だと思います。皆何かを乗り越えてきていると思いますし、
そのための努力を行ってきたと思います。
まじめなコメントになりつつありますが、俺は附属という集団は
決して嫌いではないですし(これを財産と考えるようにしています)、
Gとは話足りなかったので、また、次回(5年後)の会に参加
できるように精進したいと思います。
附属の同窓会集団・・・こりゃいったい何なんだろう。
僕にとっては、すこぶる居心地のよいものです。
その中でも特にtuboneやテンコと話していると、楽しくて時の過ぎるのを忘れる。
昔は人生50年とかだったらしいけど、現代に生きる我々はまだまだ人生を終了できるほど達観はできないね。
せいぜい人生の黄昏が仄見えるところにきているってところかな。
でもさ、秋の夕暮れがとても美しいように、人生の黄昏も悪くないね 後略
多かれ少なかれ 良かれ悪しかれ ワタシという人間の基礎を形作った空間。
その後何十年という時を経ても顔を合わせば直ちに昔の顔が思い浮かべられ、たとえどんなにその中に偉くなったヤツが居てもこの会ではみんなが対等で居られる。
しかし、仲間の成功は喜びあえるし、困ったことがあると無償で相談に乗ってもらえる。
今になって この仲間がいるってことは財産だなってつくづく思える。
その思いが私だけじゃないってことが確認できてうれしかった・・・