昨日今日とNHKスペシャルでオウム真理教についての番組が放送された。
もうあの地下鉄サリン事件から17年もたったのね・・と改めて感慨深かった。
あの事件が起こる数年前から、我が家が以前住んでいた所のそばにはあの宗教団体のやっているとされていたカレー屋があったり、ムスコの幼稚園でも あの独特の歌「ショーコー ショーコー」って言うのが流行り 「やめなさいよ」と親たちの眉をしかめさせていたものであった。
当時は賃貸のマンションに住んでいたが、その近くの駐車場にあの団体が借りていたらしく、白い服に頭をまるめた信者たちが出入りすることもしょっちゅうだったし、とにかく身近な存在だったのだ。(あーやだやだ、今になって思うと)
郵便受けにはよくオウムの勧誘目的の冊子が入っていて、当然それはゴミ箱行になるのだが、ひまつぶしにパラパラめくってみると、麻原が主人公になっているマンガなどが載っていて(すごい美化してある麻原、どっかの国の二代目三代目の総書記の映像化に良く似てる)それが稚拙で子供だましで噴飯もののデキだったこともあったし、その当時の幼稚園ママたちの間では最初は「怪しいけども幼稚な団体」という認識だったと思う。
しかし、国政選挙に大勢立候補したり、名門と言われる大学生が信者となって出家してそれを親が取り返しにいったりなど社会問題化してきてなんかアブナイ団体と認識されたところで松本サリン事件が起こったのではなかったろうか? 詳しい時系列は忘れたけれど、坂本弁護士殺害事件の時からオウム関与がささやかれていて、バッジかなんかが落ちていたにもかかわらず、「わざわざそんな所にバッジを落とすはずがない」とか「オウムに罪をきせる謀略だ」とか上祐だかなんだかが言っていたな~。 でもあの頃私たちが感じた「幼稚さ」って言うのはいきあたりばったりで緻密性なく残虐行為を成すという行動に表れていたのではないだろうか。
それはそのまま麻原って人の残虐な幼稚さの成せる所だったんだと思う。
ホントに何に騙されたんだろう? 出家信者たち。
ピュアな人が多かったとドラマでは言っていて、初期の頃のオウムの団体生活で、家の中に入って来たアリも踏み潰すことを恐れて一匹一匹紙ですくいとって逃がしてやるといった場面があって印象的だったが、本当にそういう人たちは居たのだろう。どうしてそういった人たちが殺人や武装化に駆り立てられていったの?
当時の麻原の演説も番組の中で流されていたが、ちょっと聞いても 聞きかじりの知識や宗教用語をちりばめて人を煙に巻くだけで幼稚で自分勝手な説法なのに、なぜあんなに頭が良いとされている人たちも彼に心酔して犯罪行為をもさせられたのだろうか???
結局昨日の番組を見たかぎりではその疑問は解消されることはなかったけど。
そして今日のドキュメンタリーの方、主なテーマとしてサリン事件はどこかで止められなかったのか?と言うことだったように感じた。
あの当時メディアの情報だけでも十分に怪しげだったオウム。松本サリン事件と地下鉄サリン事件の間に長野県警や山梨県警、神奈川県警がオウムの仕業じゃないかってつかんでいた部分もあったのに、それがどうしてもっと早く麻原逮捕ってことにつながらなかったのか?
そうすればあそこまでの犠牲者が出なくてもすんだのにと改めて思ってしまった。
松本サリン事件の時なんかは被害者である河野さんが疑われてしまったのなど気の毒すぎる経緯もあった。
その中で一番???と思ったのは 熊本県警が当時熊本にあったオウムの施設を強制捜査する時に「宗教施設だから」と捜査する際にためらいがあったと言う事。
なぜ宗教って言うと捜査が及び腰になるの?
また、当時の警察長官?が「まさか宗教団体が武装化するなんて思わなかった」と番組の中で言ったこと。
まさかって??? 世界の歴史をひもといても今の世界情勢を見ても どれだけの宗教の名の下の戦争や紛争があったのかご存知なかったのかしらと思ってしまった。
もちろん宗教は人を救う、我が身を犠牲にしても人のためにつくす原動力となることもある。
しかしその反面、宗教、神の存在を信じて自爆テロなんてものに殉ずる人だってたくさんいるじゃないか?
そんなもん平和ボケの真っただ中にいると言われるであろう一介の主婦のワタシだって考えるぞ。
まさかなんて言ってる場合じゃなかったのにとつくづく思った。
「もっと想像力を使わなくてはならなかった」とその方はおっしゃっていたけどね。それほど想像力を飛躍させなくてもわかっても良かったんじゃないのと言えるのは結果論かしらね・・・
もうあの地下鉄サリン事件から17年もたったのね・・と改めて感慨深かった。
あの事件が起こる数年前から、我が家が以前住んでいた所のそばにはあの宗教団体のやっているとされていたカレー屋があったり、ムスコの幼稚園でも あの独特の歌「ショーコー ショーコー」って言うのが流行り 「やめなさいよ」と親たちの眉をしかめさせていたものであった。
当時は賃貸のマンションに住んでいたが、その近くの駐車場にあの団体が借りていたらしく、白い服に頭をまるめた信者たちが出入りすることもしょっちゅうだったし、とにかく身近な存在だったのだ。(あーやだやだ、今になって思うと)
郵便受けにはよくオウムの勧誘目的の冊子が入っていて、当然それはゴミ箱行になるのだが、ひまつぶしにパラパラめくってみると、麻原が主人公になっているマンガなどが載っていて(すごい美化してある麻原、どっかの国の二代目三代目の総書記の映像化に良く似てる)それが稚拙で子供だましで噴飯もののデキだったこともあったし、その当時の幼稚園ママたちの間では最初は「怪しいけども幼稚な団体」という認識だったと思う。
しかし、国政選挙に大勢立候補したり、名門と言われる大学生が信者となって出家してそれを親が取り返しにいったりなど社会問題化してきてなんかアブナイ団体と認識されたところで松本サリン事件が起こったのではなかったろうか? 詳しい時系列は忘れたけれど、坂本弁護士殺害事件の時からオウム関与がささやかれていて、バッジかなんかが落ちていたにもかかわらず、「わざわざそんな所にバッジを落とすはずがない」とか「オウムに罪をきせる謀略だ」とか上祐だかなんだかが言っていたな~。 でもあの頃私たちが感じた「幼稚さ」って言うのはいきあたりばったりで緻密性なく残虐行為を成すという行動に表れていたのではないだろうか。
それはそのまま麻原って人の残虐な幼稚さの成せる所だったんだと思う。
ホントに何に騙されたんだろう? 出家信者たち。
ピュアな人が多かったとドラマでは言っていて、初期の頃のオウムの団体生活で、家の中に入って来たアリも踏み潰すことを恐れて一匹一匹紙ですくいとって逃がしてやるといった場面があって印象的だったが、本当にそういう人たちは居たのだろう。どうしてそういった人たちが殺人や武装化に駆り立てられていったの?
当時の麻原の演説も番組の中で流されていたが、ちょっと聞いても 聞きかじりの知識や宗教用語をちりばめて人を煙に巻くだけで幼稚で自分勝手な説法なのに、なぜあんなに頭が良いとされている人たちも彼に心酔して犯罪行為をもさせられたのだろうか???
結局昨日の番組を見たかぎりではその疑問は解消されることはなかったけど。
そして今日のドキュメンタリーの方、主なテーマとしてサリン事件はどこかで止められなかったのか?と言うことだったように感じた。
あの当時メディアの情報だけでも十分に怪しげだったオウム。松本サリン事件と地下鉄サリン事件の間に長野県警や山梨県警、神奈川県警がオウムの仕業じゃないかってつかんでいた部分もあったのに、それがどうしてもっと早く麻原逮捕ってことにつながらなかったのか?
そうすればあそこまでの犠牲者が出なくてもすんだのにと改めて思ってしまった。
松本サリン事件の時なんかは被害者である河野さんが疑われてしまったのなど気の毒すぎる経緯もあった。
その中で一番???と思ったのは 熊本県警が当時熊本にあったオウムの施設を強制捜査する時に「宗教施設だから」と捜査する際にためらいがあったと言う事。
なぜ宗教って言うと捜査が及び腰になるの?
また、当時の警察長官?が「まさか宗教団体が武装化するなんて思わなかった」と番組の中で言ったこと。
まさかって??? 世界の歴史をひもといても今の世界情勢を見ても どれだけの宗教の名の下の戦争や紛争があったのかご存知なかったのかしらと思ってしまった。
もちろん宗教は人を救う、我が身を犠牲にしても人のためにつくす原動力となることもある。
しかしその反面、宗教、神の存在を信じて自爆テロなんてものに殉ずる人だってたくさんいるじゃないか?
そんなもん平和ボケの真っただ中にいると言われるであろう一介の主婦のワタシだって考えるぞ。
まさかなんて言ってる場合じゃなかったのにとつくづく思った。
「もっと想像力を使わなくてはならなかった」とその方はおっしゃっていたけどね。それほど想像力を飛躍させなくてもわかっても良かったんじゃないのと言えるのは結果論かしらね・・・