金曜日 姑の定期健診の付き添いに某大学病院へ
5年前に耳下腺に悪性リンパ腫を発症。肝転移もあり、オットも「今年は喪中はがきかもな」とあきらめていた時期もあったのだが、抗がん剤がバッチリ効いて、「東京オリンピックを見てから死にたい」と本人の願いはオリンピックが一年延期になってもかなえられ、北京の冬季五輪も見られ、この分では大阪万博開催も余裕で迎えられるだろうと、死ぬのを忘れている状態であります。
血液検査でも 何も悪いところがない 栄養状態は前回の結果より向上している 奇跡の93歳である。
この通院のたびに姑は友達を呼び出して、病院近くのレストランで一緒に食べることにしている。
オットの小学校時代からの母友。このおばちゃまは90歳でまだ自分の足で電車に乗って来られる元気な人
二人合わせて183歳 そしてこの結構ボリュームのある定食をたいらげる健啖ぶり
来年もご一緒しましょうね~ と二人で手を取り合って喜んでいたが、多分来年、再来年とどこまでも続きそうだとワタシは秘かに予想したのであった。
その後ワタシは一旦家に帰り、犬を乗せて実家へgo
姑の次は実家の両親との面会である。まんぼーが終わり、この週からやっとまたガラス越しの面会が再開したので久しぶりに顔を見ようと思ったのである。
ガラス越し面会も今までNGだったので両親と会ったのは4か月ぶり。しかしその間、色々食べ物とか雑貨などは楽天などから送ったり、孫やひ孫たちの写真も母宛に送っていた。
それなのに、出て来た母は超不機嫌であった。
特にワタシに対して憎しみとも感じられる目で見るんですよ。
「あんたは何もしてくれない」
「自分ばかり勝手な事をしてる」
「よその所は娘が部屋まで来て手伝ってくれるのに」
「うちだけだよ、ムスメが来ないのは。」
両親はもう電話の子機も自分で耳に当てることもできないので介護職員が付き添ってくれていて、
「そんなことないですよ、今年の初めからコロナだからみんな面会はできなかったんですよ」と言ってくれたし、私も
「来ようと思っても会えなかったのよ。」
「この二年間、誰も部屋に入れないんだよ」
と説得したけどまるで聞き耳を持たずなんですよ。
この半年で母の認知症は完全に進んでしまい、2,3年前の父の認知症の初期の頃の暴言期に入ってしまったみたい。
この介護施設はコロナの初期の時にクラスターが出てしまい、入居者が2名ほど亡くなり、そのトラウマか、かなり厳しく対策をして、そのためか入居者に我慢や不自由が強いられるようになって母などそうとうなストレスがかかってしまったようなのですね。
それでなぜか私がエネミーになってるみたいなんですよ。
姑に比べて、優等生の長女キャラで今まで理性の塊みたいだった人がこうなってしまうのを目の当たりにしたショック。
老化と認知症のための変化であり、私に対する暴言だと思っても、ホントに情けないやら悔しいやらであった。
今までの母だったら、私が家族と仲良く平和に人生を楽しんでいるのを見て、安心したり、それが自分の幸せと思ってくれるような人だったのに である。
私が娘に対して思うのと同じように・・・である。
父は完全にボケきって(と言うのもヒドイ言い方だが)私の事もムスメとは認識できないが、なんだか好々爺になってしまって終始ニコニコして手を振ってくれた。
色々買って行ったお菓子やチーズやご飯の友なども母に渡して帰って来たが、どうにも気分がおさまらず、帰りの高速はずうっとむかむかしながら帰って来た。
自宅に帰ってオットに出来事を話して「ホントに年取って良い事なんて一つもない」「私がああなったらさっさと殺してほしい」「もう母には会いたくない」とぶつけまくったら(笑)
「お前を一人でいかせるべきじゃなかったなあ。俺も昨日おふくろの暴走をお前にずいぶん止めてもらったものなあ」と言っていた。
暴走というのは、外来で待っているときに「私は何も悪い所がないのよ~」「こうやってあなたたち二人に付き添われてホントに幸せよ~」などと何度止めても大声で表明することである。
周りには 重病でも付き添い無しでヨロヨロ歩いてきて待ってるご老人もたくさんいるのに、である。
そのたびに、「ちょっと静かにしましょう」と止めたり 子供にするみたいにアメを渡したりとかコーヒーを飲ませたりして黙らせる作戦を遂行したわけですよ。
姑も認知性は進んでるみたいで、オットは私と別れた帰り道に前の住居のそばの川沿いの桜並木を見せてから施設に送り届けたらしいが、部屋に帰ってすぐに
「今年は〇〇川の桜をみたいねえ」と言ったそうだ。
「力抜けたぜ」だそうだ。そっちはそっちでショックだろうね。
5年前に耳下腺に悪性リンパ腫を発症。肝転移もあり、オットも「今年は喪中はがきかもな」とあきらめていた時期もあったのだが、抗がん剤がバッチリ効いて、「東京オリンピックを見てから死にたい」と本人の願いはオリンピックが一年延期になってもかなえられ、北京の冬季五輪も見られ、この分では大阪万博開催も余裕で迎えられるだろうと、死ぬのを忘れている状態であります。
血液検査でも 何も悪いところがない 栄養状態は前回の結果より向上している 奇跡の93歳である。
この通院のたびに姑は友達を呼び出して、病院近くのレストランで一緒に食べることにしている。
オットの小学校時代からの母友。このおばちゃまは90歳でまだ自分の足で電車に乗って来られる元気な人
二人合わせて183歳 そしてこの結構ボリュームのある定食をたいらげる健啖ぶり
来年もご一緒しましょうね~ と二人で手を取り合って喜んでいたが、多分来年、再来年とどこまでも続きそうだとワタシは秘かに予想したのであった。
その後ワタシは一旦家に帰り、犬を乗せて実家へgo
姑の次は実家の両親との面会である。まんぼーが終わり、この週からやっとまたガラス越しの面会が再開したので久しぶりに顔を見ようと思ったのである。
ガラス越し面会も今までNGだったので両親と会ったのは4か月ぶり。しかしその間、色々食べ物とか雑貨などは楽天などから送ったり、孫やひ孫たちの写真も母宛に送っていた。
それなのに、出て来た母は超不機嫌であった。
特にワタシに対して憎しみとも感じられる目で見るんですよ。
「あんたは何もしてくれない」
「自分ばかり勝手な事をしてる」
「よその所は娘が部屋まで来て手伝ってくれるのに」
「うちだけだよ、ムスメが来ないのは。」
両親はもう電話の子機も自分で耳に当てることもできないので介護職員が付き添ってくれていて、
「そんなことないですよ、今年の初めからコロナだからみんな面会はできなかったんですよ」と言ってくれたし、私も
「来ようと思っても会えなかったのよ。」
「この二年間、誰も部屋に入れないんだよ」
と説得したけどまるで聞き耳を持たずなんですよ。
この半年で母の認知症は完全に進んでしまい、2,3年前の父の認知症の初期の頃の暴言期に入ってしまったみたい。
この介護施設はコロナの初期の時にクラスターが出てしまい、入居者が2名ほど亡くなり、そのトラウマか、かなり厳しく対策をして、そのためか入居者に我慢や不自由が強いられるようになって母などそうとうなストレスがかかってしまったようなのですね。
それでなぜか私がエネミーになってるみたいなんですよ。
姑に比べて、優等生の長女キャラで今まで理性の塊みたいだった人がこうなってしまうのを目の当たりにしたショック。
老化と認知症のための変化であり、私に対する暴言だと思っても、ホントに情けないやら悔しいやらであった。
今までの母だったら、私が家族と仲良く平和に人生を楽しんでいるのを見て、安心したり、それが自分の幸せと思ってくれるような人だったのに である。
私が娘に対して思うのと同じように・・・である。
父は完全にボケきって(と言うのもヒドイ言い方だが)私の事もムスメとは認識できないが、なんだか好々爺になってしまって終始ニコニコして手を振ってくれた。
色々買って行ったお菓子やチーズやご飯の友なども母に渡して帰って来たが、どうにも気分がおさまらず、帰りの高速はずうっとむかむかしながら帰って来た。
自宅に帰ってオットに出来事を話して「ホントに年取って良い事なんて一つもない」「私がああなったらさっさと殺してほしい」「もう母には会いたくない」とぶつけまくったら(笑)
「お前を一人でいかせるべきじゃなかったなあ。俺も昨日おふくろの暴走をお前にずいぶん止めてもらったものなあ」と言っていた。
暴走というのは、外来で待っているときに「私は何も悪い所がないのよ~」「こうやってあなたたち二人に付き添われてホントに幸せよ~」などと何度止めても大声で表明することである。
周りには 重病でも付き添い無しでヨロヨロ歩いてきて待ってるご老人もたくさんいるのに、である。
そのたびに、「ちょっと静かにしましょう」と止めたり 子供にするみたいにアメを渡したりとかコーヒーを飲ませたりして黙らせる作戦を遂行したわけですよ。
姑も認知性は進んでるみたいで、オットは私と別れた帰り道に前の住居のそばの川沿いの桜並木を見せてから施設に送り届けたらしいが、部屋に帰ってすぐに
「今年は〇〇川の桜をみたいねえ」と言ったそうだ。
「力抜けたぜ」だそうだ。そっちはそっちでショックだろうね。