局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

母の服を着て

2024-08-19 12:15:52 | 日々の生活
昨日の日曜日
親友Aと都営三田線のとある駅で待ちあわせる。



23区北の方
古くは中山道の宿場町だったという。
今まで降りたことなない駅 馴染みない街並み


でも元はお米屋さんだった定食と弁当屋さん(美味しいらしい)などもあり、「やっす~!」と思わず買って帰りたくなる八百屋さんやらもあり、あとは生活必需のカルディやらドラッグストアやら老舗の和菓子屋やケーキ屋パン屋などもしっかり稼働していて昭和っぽさを残しながらも人通りも多く、なかなか楽しそうな所であった。

その通りを二人で歩きながら訪問先はAのお母さんが暮らしているサ高住であった。

既出だけどAとは幼稚園の年長から高校まで同じ学校に通い、同時に進学で上京して就職した後も付き合いは続き、彼氏ができればお泊りのアリバイ作りで助け合い、お互いの結婚式では友人代表のスピーチをしあい(ワタシは二度もしたw)のもう半世紀以上の付き合いである。一度も喧嘩したこともないがいつもベッタリというわけでもなく、何かあるとお互いに相談したりではとても頼りになるし、共通の友人も多い。バリキャリの彼女と家族調整優先仕事は片手間のワタシの生き方の違いはあるが、ちょうどよい距離感と価値観と信頼を保ってきたありがたい友である。

弟同士も同学年で高校まで同じ学校だったので、お互いの母同士も自然に仲良くなっていったようで、母娘で旅行に行ったり四人で着物着て歌舞伎に行ったりもしていた。ちなみにオットは昔から美人の彼女の大ファンであった。

去年姑、今年実母を送り「母」という存在が亡くなったワタシ。
周りの幼馴染も、もう母を見送った人たちが多い中、Aのお母さんは健在で頭もはっきりしていらっしゃる。

ちょっと前から母の記憶を共有できる人としてお会いしたいなあと思っていて、それをAに話したら
「え~~っ ぜひ来て来て! 母、局ちゃんに会えたらすっごく喜ぶと思う!」と言ってくれたのである。

A親子が両親の介護施設に訪ねて来てくれたのがコロナ前だったから、5年ぶりくらい。
度重なる圧迫骨折もあって腰は曲がって小さくなっていたけど、打てば響く受け答えは昔のままだったAママ。

積もる話(なんせ半世紀以上分)もあるし、Aとワタシの共通の友人の状況もわかっているので、A持参のたん熊のお弁当を食べながらもなんと4時間喋りっぱなしだった。



その話の中で
「今日はね、母の服を着て来たの。このショールもアクセサリーもだよ。こうするとママも一緒にAママと話してる気分になるでしょ?」と言ったら
「ホントね~ お宅のお母さんはオシャレだったよね。こうやって局ちゃんが着てくれたら嬉しいと思うよ」
「今日駅で会った時にステキだなって思ったけど 局のいつもの趣味とちょっと違うよね。そうか~ ママのだったのか」



多分今の私と同じような年頃に母が着ていたセットアップとレースのショール。この前のお盆休みに掘り出して来たものの一部である。こうやってまだ着られちゃうから無下に捨てられず、それらはワタシの部屋に移動され、ここのところクローゼットがパンパンになってしもた。反断捨離になってるのも困ったもんだ。
ロングコートとスーツも捨てるに捨てられなさそうなものがまだ一箪笥分ある。

「オタクのママのお着物もたくさんあったでしょ? これから局ちゃん 着られるね」
うう~~💦 最近ゴルフにかまけて着物はまるで着なくなってしまったワタクシ それを言われると辛い。着物の整理も手をつけてない・・・

それはともかく4時間話しっぱなしだった後
「長居しちゃってごめんね~ 疲れちゃったでしょ?」と言っておいとましようとした所で
「全然疲れないよ 局ちゃんと話せて元気でた。また来てね」
思わずAママの手を握ったら両手で握り返して来て、その握力の強さを感じてほっとした。(まだまだお元気そうだわ)
「ママがいっちゃってワタシも寂しいから、Aママをママだと思ってまた来るね」
「局ちゃん ありがとね。私もムスメが増えたと思うよ」
涙ぐんでたAママ。

そして今朝、昨日のお礼のメールをしたら電話がかかってきた。
楽しかったね~ また会いましょうと話したあとに
「実はね、朝から探し物してるのよ」
「どうしたの? 何がないの?」
「局ちゃんからいただいたの 今日朝ごはんの食堂に持って行こうと思ってたのに あたしどこに置いちゃったかな~」

昨日ご飯のお供になればとちりめん山椒とか薄味のつくだ煮とか持参したのであった。

「Aママ 三越の紙袋に入れてどこかに仕舞うって持って行ってたよ」
「そうなのよ。いただいたマカロンはあるのよ」
「冷蔵庫じゃないの~?」
「うん こんな狭い部屋なんだからどこかにあると思う。もう一度探してみるね」

母も施設に入ってからはこんなことばかりで こちらも呆れながらも同じような応対をしたのを思い出してなんだか懐かしかった。









コメント (8)
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