いま第72話の加筆校正していますが眠いです、ので気分転換に雑談します。
ひとりよがり、って言葉がありますが。
アレは悪化するとDVに繋がるんだろなって最近ちょっと思いました。
DV=ドメスティック・バイオレンス、恋人や配偶者に対する暴行を言いますがアレの言訳って知ってますか?
「愛してるから殴ってしまう」
って言うんだそうです、DV症候群の人って誰しもが。
コレって人付き合いで疑り深いタイプと同じ台詞だなって思うんですよね。
「好きだから・仲良くしたいから相手の心を計る為に嫌がらせ言動をしてしまう」
わざと嫌なこと言ってみたり約束を破ってみたり、いわゆるマイナス行動しても嫌われないなら相手も自分を好き。
っていう基準を設けるタイプ、女の子に結構いるかなって思います。
だけど好意を持たれた方は逆の解釈を当然するわけ、で、ナカナカ恋愛が巧くいかないんですよね。
好きだから迷惑になりたくなくて遠慮して離れてみる、とか言って自己犠牲陶酔に入りこむパターンもあったり。
知人にもコレやっちゃう人いるんですけど、面倒くさい重いって言われんのも仕方ないだろと本人に言いました、笑
こういうのって恋愛の一定形みたいに想ってるからやっちゃうんでしょうけど、DV症の人と同じ思考パターンなんですよね。
「殴っても離れないなら相手も自分を愛している、」
って想ってるから、相手を想う分だけ酷く殴って後で謝りまくる。
で、相手も謝られると許しちゃうワケです、こんなに自分を必要とされてるなら信じようとか考えちゃう。
だけどDVって精神病なんですよね、躁鬱みたいに原因があって精神不安定になった結果として相手に縋りつく。
そういう事例は離婚調停で珍しくありません、男性→女性の場合も女性→男性の場合もある。
そういうの聴くたびに想うんですよね、
依存なのか、愛情なのか?
本当に相手を想うなら傷つけることはしたくない、それが愛情だろなって思います。
けれど止められない、相手を疑っては殴りつけて愛してるからだと言訳してしまう。
こういうの身体的暴力ならDV自覚もしやすいだろうけど、精神的暴力も同じだろと。
友達関係でも親子間でも、こういう精神的DVってあるんだろなと思います。
この程度は言っても解かってくれる、または言わないでも気づいてくれる。
そういう甘えが結局のトコ相手の精神に対する暴力になるんだろなと。
よく恋愛モードで「お互い傷つけ合った」なんて美談風に語られますけど、
アレって暴力が多かった方=疑り深い側の言訳なんだろなあとも思います。
で、言ってしまえば、
疑り深い=本人が不誠実嘘吐きだから相手も自分と同じ嘘吐きだと疑ってしまう
ってパターンが多いんでしょうね、
自分が疑われるような行動&心理だからこそ「疑う」という発想も出来る。
要するに、自分がコンナこと想うんだから相手も同じように想ってる、っていう独りよがり思い込み。
こういうネガティブが精神的暴力に繋がって最終的には身体的にも手をあげて暴力振るうようになってしまう。
その暴力すら「相手を想う分だけ殴ってしまう」暴力の涯に相手が離れると「相手の器が小さいからだ」と言いだす。
そうやって結局いつも、どんな相手でも悪者にしてしまうんですよね。
だから申し訳ないけど、このタイプから話を聴くときは「都合」で話しているんだな前提で考えます。
独りよがりの思いこみ=引籠り的視点から見た世界は、本人にとって好都合な解釈だけで成り立つから事実も歪曲されている。
この歪曲は自分に都合が悪いコトは認めない為です、だから相手の話もきちんと聴けないまま相手を理解することが出来ない。
そうやって相手の等身大を理解しない人が多いなあと思います、で、自分の理想を相手に無理矢理着せようとする。
だけど現実と理想は当然違います、その相違に気づこうとしない分だけ渇望感は強いから幸福感なんて無い。
だから反発&拒絶されると最悪パターンは相手を殺してしまう、ストーカー犯罪もこのタイプ。
記憶の歪曲や美化によって事実を殺してしまうワケです、要するに独りよがり妄想を事実だと記憶のすり替えをする。
相手は自分を好きだけど自分から振ったのだとか、相手は悪人で騙された自分が可哀想と思いこんで自分を正当化する。
そういう正当化が極短に酷くなると実際に殺害して事件になります、こういう妄想による痴情殺人が最近増えてるなと。
マイナス言動が許される回数で愛情確認する、その涯に別離を泣いて悲劇に陶酔する。
コレ↑が本気で幸福だ愉しいなって人は珍しいと思います、でも居るんですよね。
なんでこんな不毛なことするのか?っていうと悲劇すら喜ぶナルシズム性癖があるからなんでしょうね。
可哀想な自分に酔いたいから適当な相手を捉まえて別離ゴッコをしてしまう、で、それが快感だから飽きずに繰り返す。
ホントに快感で愉しいから止められないんだろなって思います、楽しくなきゃ止めるだろうしね?
で、もし本当に止めたいと思うなら幼稚園で最初に教わる原則を想いだせって思います、笑
「相手の話をよく聴いて、相手の心になって考える」
本当に好かれたいなら相手の言葉をきちんと理解することが最初の基本だろと。
相手が求めていること、相手が何を哀しみ何を喜ぶのか、それに向きあうことから信頼が生まれる。
信頼がなければ人間関係は壊れます、お互いを信じているから何でも話せるようになって理解も出来る訳です。
このとき必要以上に言葉を勘繰られて疑われたら誰だって逆に疑いたくなる、
何度も何度も「本当に好き?」とか聴かれたら逆に「オマエ本当は嫌いだから聴くんだろ?」ってなるわけです。
いわゆる疑念が疑念を呼ぶ=疑った分だけ相手の信頼も喪わせて、信頼を壊してしまう。
それが上述のDV系タイプは恋愛が出来ないって話です。
もし本当に大切な相手と幸福を築きたいなら、等身大で向きあうことだろなと。
まずは自分も相手も素顔で話せる信頼をつくる、友達から始めるってヨク言うけれどアレは正しいなあと、笑
独りよがりな妄想を事実だと誤認しないで、相手の現実の言葉をよく聴いて相手の考えや願いをありのまま受けとめる。
受けとめられる自分であるなら相手から信じてもらえるし、受けとめた分だけ自分のこと少しずつ理解してもらうことも出来る。
We Win なんて言葉がすこし前に流行ったりしたけれどアレのホントの意味を見つけることだろなあと。
なんて雑談ちょっと書いてみたら少し目が冴えたんで加筆すこしします、笑
たぶん『Aesculapius』の続き他は朝以降になります、もし楽しみな方いたら待って下さい。
智
ひとりよがり、って言葉がありますが。
アレは悪化するとDVに繋がるんだろなって最近ちょっと思いました。
DV=ドメスティック・バイオレンス、恋人や配偶者に対する暴行を言いますがアレの言訳って知ってますか?
「愛してるから殴ってしまう」
って言うんだそうです、DV症候群の人って誰しもが。
コレって人付き合いで疑り深いタイプと同じ台詞だなって思うんですよね。
「好きだから・仲良くしたいから相手の心を計る為に嫌がらせ言動をしてしまう」
わざと嫌なこと言ってみたり約束を破ってみたり、いわゆるマイナス行動しても嫌われないなら相手も自分を好き。
っていう基準を設けるタイプ、女の子に結構いるかなって思います。
だけど好意を持たれた方は逆の解釈を当然するわけ、で、ナカナカ恋愛が巧くいかないんですよね。
好きだから迷惑になりたくなくて遠慮して離れてみる、とか言って自己犠牲陶酔に入りこむパターンもあったり。
知人にもコレやっちゃう人いるんですけど、面倒くさい重いって言われんのも仕方ないだろと本人に言いました、笑
こういうのって恋愛の一定形みたいに想ってるからやっちゃうんでしょうけど、DV症の人と同じ思考パターンなんですよね。
「殴っても離れないなら相手も自分を愛している、」
って想ってるから、相手を想う分だけ酷く殴って後で謝りまくる。
で、相手も謝られると許しちゃうワケです、こんなに自分を必要とされてるなら信じようとか考えちゃう。
だけどDVって精神病なんですよね、躁鬱みたいに原因があって精神不安定になった結果として相手に縋りつく。
そういう事例は離婚調停で珍しくありません、男性→女性の場合も女性→男性の場合もある。
そういうの聴くたびに想うんですよね、
依存なのか、愛情なのか?
本当に相手を想うなら傷つけることはしたくない、それが愛情だろなって思います。
けれど止められない、相手を疑っては殴りつけて愛してるからだと言訳してしまう。
こういうの身体的暴力ならDV自覚もしやすいだろうけど、精神的暴力も同じだろと。
友達関係でも親子間でも、こういう精神的DVってあるんだろなと思います。
この程度は言っても解かってくれる、または言わないでも気づいてくれる。
そういう甘えが結局のトコ相手の精神に対する暴力になるんだろなと。
よく恋愛モードで「お互い傷つけ合った」なんて美談風に語られますけど、
アレって暴力が多かった方=疑り深い側の言訳なんだろなあとも思います。
で、言ってしまえば、
疑り深い=本人が不誠実嘘吐きだから相手も自分と同じ嘘吐きだと疑ってしまう
ってパターンが多いんでしょうね、
自分が疑われるような行動&心理だからこそ「疑う」という発想も出来る。
要するに、自分がコンナこと想うんだから相手も同じように想ってる、っていう独りよがり思い込み。
こういうネガティブが精神的暴力に繋がって最終的には身体的にも手をあげて暴力振るうようになってしまう。
その暴力すら「相手を想う分だけ殴ってしまう」暴力の涯に相手が離れると「相手の器が小さいからだ」と言いだす。
そうやって結局いつも、どんな相手でも悪者にしてしまうんですよね。
だから申し訳ないけど、このタイプから話を聴くときは「都合」で話しているんだな前提で考えます。
独りよがりの思いこみ=引籠り的視点から見た世界は、本人にとって好都合な解釈だけで成り立つから事実も歪曲されている。
この歪曲は自分に都合が悪いコトは認めない為です、だから相手の話もきちんと聴けないまま相手を理解することが出来ない。
そうやって相手の等身大を理解しない人が多いなあと思います、で、自分の理想を相手に無理矢理着せようとする。
だけど現実と理想は当然違います、その相違に気づこうとしない分だけ渇望感は強いから幸福感なんて無い。
だから反発&拒絶されると最悪パターンは相手を殺してしまう、ストーカー犯罪もこのタイプ。
記憶の歪曲や美化によって事実を殺してしまうワケです、要するに独りよがり妄想を事実だと記憶のすり替えをする。
相手は自分を好きだけど自分から振ったのだとか、相手は悪人で騙された自分が可哀想と思いこんで自分を正当化する。
そういう正当化が極短に酷くなると実際に殺害して事件になります、こういう妄想による痴情殺人が最近増えてるなと。
マイナス言動が許される回数で愛情確認する、その涯に別離を泣いて悲劇に陶酔する。
コレ↑が本気で幸福だ愉しいなって人は珍しいと思います、でも居るんですよね。
なんでこんな不毛なことするのか?っていうと悲劇すら喜ぶナルシズム性癖があるからなんでしょうね。
可哀想な自分に酔いたいから適当な相手を捉まえて別離ゴッコをしてしまう、で、それが快感だから飽きずに繰り返す。
ホントに快感で愉しいから止められないんだろなって思います、楽しくなきゃ止めるだろうしね?
で、もし本当に止めたいと思うなら幼稚園で最初に教わる原則を想いだせって思います、笑
「相手の話をよく聴いて、相手の心になって考える」
本当に好かれたいなら相手の言葉をきちんと理解することが最初の基本だろと。
相手が求めていること、相手が何を哀しみ何を喜ぶのか、それに向きあうことから信頼が生まれる。
信頼がなければ人間関係は壊れます、お互いを信じているから何でも話せるようになって理解も出来る訳です。
このとき必要以上に言葉を勘繰られて疑われたら誰だって逆に疑いたくなる、
何度も何度も「本当に好き?」とか聴かれたら逆に「オマエ本当は嫌いだから聴くんだろ?」ってなるわけです。
いわゆる疑念が疑念を呼ぶ=疑った分だけ相手の信頼も喪わせて、信頼を壊してしまう。
それが上述のDV系タイプは恋愛が出来ないって話です。
もし本当に大切な相手と幸福を築きたいなら、等身大で向きあうことだろなと。
まずは自分も相手も素顔で話せる信頼をつくる、友達から始めるってヨク言うけれどアレは正しいなあと、笑
独りよがりな妄想を事実だと誤認しないで、相手の現実の言葉をよく聴いて相手の考えや願いをありのまま受けとめる。
受けとめられる自分であるなら相手から信じてもらえるし、受けとめた分だけ自分のこと少しずつ理解してもらうことも出来る。
We Win なんて言葉がすこし前に流行ったりしたけれどアレのホントの意味を見つけることだろなあと。
なんて雑談ちょっと書いてみたら少し目が冴えたんで加筆すこしします、笑
たぶん『Aesculapius』の続き他は朝以降になります、もし楽しみな方いたら待って下さい。
智