萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第72話 初弾act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2013-12-05 21:15:50 | 陽はまた昇るanother,side story
Invisible workmanship that reconciles 響鳴の聲



第72話 初弾act.2―another,side story「陽はまた昇る」

独りの部屋、しんと声ひとつ聞えない。

かすかな冷蔵庫の音だけ響く気がする、そんな一室に落差が冷たい。
ワンルームマンションの無音は家の静謐と違いすぎて、どこか寂寞に突き放される。
入隊前の身辺整理、そんな休暇を過ぎた一週間ぶりの空間は知らない貌。そう想えるまま周太はそっと微笑んだ。

「…家族の気配があるからね、家は、」

ぽつん、独り言だけが跳ね返る壁に鞄を置いて、見まわしてしまう。
いま一週間ぶりの単身寮は入室日よりも他所の貌、そんな感想に明日の現実を透かす。
この一週間もずっと覚悟を重ねてきた、そして想いだしてしまった温もりが鼓動ごと捉まえて離れない。

『周太、』

ほら、記憶から名前を呼んでくれる。
この声は2か月半前に今夜の約束をくれた、けれど叶わない。
本当は今夜は特別な日、けれど許されないまま今独りの部屋に周太は微笑んだ。

「…英二?今夜はなに食べたの、」

そっと名前を呼んでカーテン少し開いて、視界は摩天楼が遮らす。
それでも仰いだ遥か上空に月はまるく見えて、嬉しくて微笑んだときコールが響いた。

「…あ、」

テーブルに置いたまま携帯電話が音楽を響く。
その懐かしい旋律に去年の秋が映りこんで、そっと手にとり通話を繋いだ。

「周太、おかえり。今夜は何食った?」

ほら、綺麗な低い声が名前と笑ってくれる。
この声と過ごした一日は遠くない、そんな想いごと笑いかけた。

「ただいま、英二…今夜はイタリアンにしたよ、お母さんが好きだから、」
「一緒に夕飯出来たんだ?お母さん早めに帰って来れて良かったな、」

良かった、そう言ってくれるトーンは穏やかに温かい。
この声とも今夜を同席したかった、そんな想いが素直に微笑んだ。

「ん、よかったよ?アクアパッツアが英二の好きな感じに出来て…ぼく、えいじにもたべてほしかった、な、」

ぼく、そう自分を呼んで気恥ずかしさが紅潮する。

英二に対して「僕」を遣うのは今が初めて、それが電話越しでも気恥ずかしい。
この呼び方は素顔の自分、それを一番知ってほしい相手だからこそ羞んでしまう。

―ほんとは帰って来てくれた時に遣えたらよかったんだけど…照れちゃった、ね、

ほんの数日前、朝から夜まで共に実家で過ごせた。
あのとき本当は「僕」と言ってみたかった、けれど言えないまま見送ってしまった。
だから、電話の声だけで見つめあう今だから、せめて呼び方だけでも素顔を見せたい願いに恋人は微笑んだ。

「うん、俺も周太の飯ほんと食いたいよ?」
「ん…ぼくもたべてほしい、な、」

応える声も紅潮のままトーンが羞んでしまう。
こんな自分の受け答えは変だと思われる?そんな心配に綺麗な低い声が笑ってくれた。

「周太、今夜はすごく可愛いな?俺じゃなくて僕っていうのも好きだよ、」

すごくかわいいなんて24歳男が23歳男にいうセリフじゃないよね?

そう言いたいのに紅潮が声すら詰まらせる。
この恥ずかしさすら嬉しい本音の証拠、だから尚更に気恥ずかしい。
もう頬まで熱くなるまま何も言えない電話越し英二は笑ってくれた。

「お父さんが亡くなる前は僕って言ってたんだろ?僕の方が周太は似合うな、素直な感じがする、」

ほら、また言わなくても解かってくれる。
こんな人なのだと一年前に思い知らされた、あの夜を忘れるなんて出来ない。
あの夜から全てが始まり父の軌跡を辿って、そして見つけた今夜に周太は微笑んだ。

「ん…ありがとう、僕もね、自分で自分に素直になれてるって思うよ、」
「うん、良い感じに力抜けて良いよ、それで周太?」

笑ってくれながら「?」が付いている。
なにか聴きたいことがある、そんな空気に受話器持ち替えた向こう恋人がねだった。

「今から風呂入るんだろ?携帯つなぎっぱなしで風呂に置いてよ、話しながら風呂に入って?」

なにいってるのこのひと?

「っ、だめっ!そんなことしたらでんわこわれちゃうでしょ?」

電話が壊れる前に自分が恥ずかしくて壊れそう。
そう想わされるほど紅潮が額まで熱い、けれど恋人は涼しく笑った。

「大丈夫だよ周太、それ防水性だし密封袋に入れたら平気だよ、だから遠慮しないで風呂入って?」

綺麗な低い声が穏やかなまま言ってくれる。
そのトーンと話す内容がアンバランスで途惑う、けれど周太は断固と言った。

「えんりょなんてしてません、ふつうにお風呂すませてまた掛け直します、」
「駄目だよ周太、今夜は、」

今夜は、そう言って笑ってくれる。
そんな言葉とトーンに「今夜」が痛切に温かい。
今夜、その日付と明日からを見つめるまま大好きな声は言ってくれた。

「今夜は俺と周太の約束の時だろ?それに明日なんだ、今夜の日付けが変るまで声、ずっと聴かせて?」

今夜の日付が変わるまで。

日付けが変れば10月の朝、一年前の同じ時も別離を覚悟した。
このまま二度と逢えない、その哀痛に前夜の何倍も抉られシャワーに泣いた。
あの涙を英二は気づいている?

「…英二、どうしてお風呂でもでんわって言ってくれるの?」

一年前の朝の涙を知っているの?
そう訊きたい本音ごと声を待つ向こう、恋人は微笑んだ。

「もう独りで泣かせたくないから、周太のこと。喘息も心配だしな?」

ほら、やっぱり英二は知っている。
こんなふう気づいてくれるのは温かい、この温もり素直に周太は微笑んだ。

「大丈夫だよ英二、今夜はお風呂で泣いたりしないし具合も良いから…20分待っていてくれる?」





居並んだ制服姿の向こう、際だつ長身が一人いる。
その後姿に誰だか解かって29年前の真相が今この場に佇む。
いま見つめる相手も同じ「異例」だ、そんな推測に説明は続く。

「誓約書通りSATでは全てに守秘義務が課されている。職場で見たこと会った相手、同僚の名前、全て口外は許されない、」

守秘義務、その言葉が重たく壁を世界と隔てる。
隔離されてゆく、そんな立場に父の想いを重ねてしまう。
そして考えてしまう、今ここに居る者たちは疑問を持たないのだろうか?

「人命を守る、そのために殺害命令も下される、この任務は失敗など許されない。任務の成功が犯罪被害者の生命を守ることになる、
相手に知られない極秘の行動が任務を成功させる、だから自分たちの存在も極秘だ、秘密が自分も被害者も守る、全てを守ることになる、」

秘密が守ることになる。

そんな言葉に懐かしい声が重なってしまう。
あの声と今の訓戒は同じことを言っている?そう気づかされて周太は軽く息呑んだ。

―あの人と英二と発想が似てる、

『 La chronique de la maison 』

祖父が書き遺した小説に「あの人」は描かれる。
そう確信してしまうのは術科センターと交番と「彼」に「見られた」からだろう。
それ以上に想い出してしまった最初の出会いに「彼」が「あの人」だと確信させられる。

そして今こうして聴かされる「あの人」の訓戒が、大切な声と同じで息が止まる。

『俺は周太に何も応えないし誰にも言わない、』

何も応えない、誰にも言わない、その理由は護るため。
そんな論理は似過ぎている、そう気づかされるまま二人は経歴すら重ならす。

―二人とも法律の家に生まれてるんだ、ふたりとも出世するタイプで…恵まれてるのに寂しいひと、

彼と英二は似ている。

それは考えるほど知るほど事実だと気づかされて、そして端緒が見えて来る。
もし「彼」が英二とよく似たタイプの人間ならば父の「秘密」も解きやすい?
そんな思案廻らすまま説明時間は過ぎて、席を立つと肩を敲かれた。

「湯原、やっぱり来たんだな、」

低く響く声に顔あげた先、長身から端正な笑顔ほころぶ。
この顔がここに居る、その理由を知りたくて周太は笑いかけた。

「箭野さん、おつかれさまです…お昼ご一緒しませんか?」







【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Book I[Patterdale] 」】

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