トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

大は小を兼ねる

2024-08-24 | 小人閑居して憮然

 連日の熱中症警戒アラート出ずっぱりの日々ではそうそうフイールドに長居は出来ず水見回りして渇水や漏水の処置を済ませれば周囲に秋波を送る興味も無くご帰宅する日々である。しかし帰宅して在宅してみたところで室内で出来る事は限られるし、もともとインドア派でもないしまあ、陰気派に近いけれど見る程のテレビも無く読書もそうそう取り組みにくい。

 結局は「何かないか⁉」と探すのだが自宅周囲の夏草繁茂には見ないふりをする。この暑さの中草取りなどとんでもない、飛んでイスタンブールなら良いかもと思うけれど旅行は嫌いだ。そんな中、真夏の夜の床を作ったのだが、これはこれで重宝している。普段の居室では暑くて寝付かれない折々に「夜這い感覚」で抱き枕を抱えクーラーを稼働させた階下の部屋に入る。冷やした部屋と言うより室温30℃程度であれば快適な睡眠が可能なので29℃設定である。これはリモコンの数字ではなく枕もとの温度計が示す数値だ。

 さて今日の閑話は二階と階下を行ったり来たりするときの二階の廊下の熱気が「嫌だなあ!」と思えるほど暑いのである。だからこの熱気を排出するのに屋根裏に設置してある大型の換気扇を稼働させるのだが、これは工場にあるような大型の換気扇で「ゴォンゴォン」と結構な騒音を出すし消費電力は結構大きいはずだ。そこで蟄居中の暇つぶしに換気扇を小さくして常時稼働させれば二階の廊下の暑さは解消されると判断し、またもや廃材活用で作ってみたのだ。

 ファンは歯科用のコンプレッサー用の冷却ファンで400Wだから台所の換気扇と比較すれば数倍の送風能力がある。これを階段上にある換気口に取りつけて常時稼働させれば大型換気扇より電気の消費量を抑えられるし二階の廊下に熱気も溜まらない。で、早速気温が高くならない朝食後から玄関前で工作開始、と言ってもこの時点で30℃に達しているのだった。基盤は1枚板で用意出来ず半端材を合わせて通気口の上に蓋するように作ったのだ。

 これを早速、稼働させ夕方まで実証実験をしてみたのだがファン本体は小さいのだが高速回転で風量は大きい。結果的に甲高い回転音が頭の上から聞こえるのであった。確かにこのファンを常時稼働させての結果は「二階廊下に熱気は溜まらず外気温と等しい」状態は実現できたけれど高い周波数の騒音は大型換気扇の轟音より耳障りだった。その上、大型換気扇の吸気穴をふさぐ事になったので大型換気扇の使用が出来ない。

     

 この小屋裏大型換気扇はドアと窓の開閉を組み合わせれば室内に大量の外気導入が出来てクーラーより重宝したのだが、今季の熱気では日中はとても使えないけれど夜間の気温が下がってから使用すると30℃でも涼風に感じるくらいの風量を感じられるのだった。それで結局は汗水たらして組んでみた換気装置は歓喜に至ることなく夕刻には取り外してしまった。こうなるとただの邪魔物である。ファンの部分は何かに使えないかと夜は寝ないで考えよう。昔から言うではないか!「大は小を兼ねる」と。猛暑の最中、大変骨身に滲みた理だった。

 で結局、猛暑蟄居で暇つぶしを兼ねファンをクローゼットに取りつけて外気導入を試みたのだ。二階で熱気が溜まり易いのでドアを開放し24時間稼働させておけば外気温以上に蓄熱されることが無くなる。取り込まれた気流は拡散しながら弱まり、丁度対極にあるベッド当たりでは微風となって心地よい。とは言え日中は外気温のままだから居室としては使えず夜間になり外気温が30℃以下になると使える感覚だけれど、暑さが和らぐまでは階下の避暑床で過ごすしかない、と避暑地には行けない孤爺は夜な夜な避暑床に転がりこんで蟄居を続けるのだ。日中の高温が和らげば軽い沢見回りはせねばならずまあ、ドン・キホーテのロバの役回りみたいな人生だ!。

 


一週間に五日来い!

2024-08-14 | 小人閑居して憮然

 熱中症警戒アラート出ずっぱりの中、8月4,5,6日と強制排砂を行わざるを得ず実施したのだった。ところが7日の夜間雷雨でフイールド周辺はゲリラ雷雨状態だったようで荒れてしまい9日にオオカナダモの抜去の後、断水状態の理由を確かめに取水地に行ったのだが取水升は再び埋没している有様で周囲の整備はしたものの管内に流入した砂泥はポンプが無ければ排出不能なので翌日10日にやむを得ず強制排砂する事になったのだ。この時は周囲の環境を復旧させておいた。

 10日の最高気温予報値は35℃で猛暑日の見込み。それはたまらん銭こはもっとたまらんから朝7時前には作業に出立したのである。ただ9日から10日にかけ雷雨があって気象観測値では90mm超を示している。24時間雨量ではない、これもきっとゲリラ雷雨みたいで沢筋は荒れただろうと気をもむ時間も無く大当たりだった。前の日に整えた取水場はまた土砂に蔽われておりエンジンポンプで強制通水する前に再度再度の砂礫の撤去となった。もうため息も出んが大汗は出て来る。涼しい沢筋とは言え肉体労働には30℃を越えると眼鏡も曇って視界も不良だ。

 前日から中間地点の排砂バルブは開放したままなので取水升フイルターを取り除き送水口の陰圧を確認したがほぼ無しで一晩開放すれば自然通水するかも・・・の甘い期待は汗と共に去りぬ。ポンプをセットし送水ホースを管内に送り込みアイドリング状態のまま運転する事30分、ホース脱出などのトラブルも無かったから徒歩で中間地点の排砂バルブまで通水確認に行ったら澄んだ水が噴き出ていて下降管路の通水排砂は無事済んだのだった。これを見届けゆっくりと排砂バルブを閉じる。これで吐水口まで送水が始った。ここから30分の強制通水を終えて撤収する。送水圧を掛けながらホースを引き抜いたのだが吐水口まで行き吐水を確認したら停止状態だった。管内の空気の影響か往々にして回復するに一昼夜掛かる事はあるから送水量確認は翌日だ。予報では11日も猛暑日で、こんな折りに一週間に5日も排砂三昧、水源地詣ででは泣くに泣けないのだが読書したり映画を見たりするとすぐ泣ける。本と情けない

 


連日の排砂作業も空しく・・・

2024-08-13 | 小人閑居して憮然

 オオカナダモの抜去をし帰宅の予定でいたのに吐水口はチョロ水だった。三日前に二日間の強制排砂をしたばかりなのである。その排砂作業を終えた一日後に雷雨があってテレビの観測値では5mmだったから意外と言えば意外なのだが、上の池に向かう林道や池に入る水路の溢れた跡を見ると短時間降水量が半端でない事は理解できた。まあ、観測値の報道される場所とフイールドでの降雨量は同一である訳も無し。きっと狭い範囲にゲリラ豪雨に近かったのだろう。これは隣り沢に降りて沢を渡る丸太橋が流されていたし排砂バルブの場所まで水位が上がったのは確認できたのでいつにない集中雨量だったはずだ。

上の池の集水路  沢の渡り橋流失   増水の痕跡  

 そんな事態で取水升も埋没したのは間違いなく水源地に向かう前に排砂バルブを開けたのだが一滴も出て来ない。これはかなり重症な事態なのはすぐに理解できたのだった。携行した機材は菊型ハンドルと携帯用折り畳みスコップに取水升の砂泥を掬い採る金網笊だけなので、この日はこれで対処するしかない。

 取水地を見れば流路が大きく侵食されて上部の玉石を積み上げた部分も破壊されていた。これ自体は水盗人の構築体なので下流に投げれば良いだけなのだが、この玉石が流れを堰き止めた事で濁りが升内への流入時間が長かったようで升内の泥は送水管口まで達していた。結果的に詰まるまで泥土が管内に吸い込まれて断水、てなもんや三度笠。

 排砂バルブは開けて来たものの、この状況下では通水させる手立てはなく、まずは埋没した取水部を露わにし取水路を整え取水升内の泥を金笊で浚い上げてと、ここまでしか手立てがないのだった。これでは再度、いえいえ再再度、エンジンポンプを運び上げ強制通水させるしかなく、一旦はフイールドの道具小屋に向かい車載して翌日早めの通水作業をすることにした。もう「したと言うよりせねばならない状況下」なのだ。選択の余地も余裕も無いのである。俺って、前世に水悪戯し過ぎたのだろうか…誰か教えて・・・。

 それでも自宅への帰路、低年金高年齢のままでは明日の作業に差し障るからキャンディーズのCDを立体音響を効かして聞きながら帰宅する。これで元気溌剌の青年期に戻った。しかしなあ、この歳になってキャンディーズを聴いてみると「少女の青春!」そのまんまの歌である。歌詞も結構危ないフレーズに満ちていてニタニタ孤爺になって下歌、いいえ、しもうた。はい。

        

 


今日は格別多かった

2024-08-11 | 小人閑居して憮然

 暑い盛りともなるとフイールドに到着すればアブが群れて来る。まずは温まったタイヤとボデイに取りつくのだが油断していると露出している肌に止まり吸血しようとする。作業中にまとわりつかれるとしつこくて作業にならないので、まずは到着時に集合して来るアブを捕獲して処理するのがお約束みたいなもんである。

 折々に書き込んでいた事なのだがアブの処理は翅をむしりポイ捨てにする。これは農耕牛に群がるアブやサシバエの処理をする父に学んだ方法なのだ。小生の子ども時代、農耕牛は家族の一員と同じと言うより生活の糧を生んでくれる財産でもあった訳で、その家畜を吸血するなど許される事ではない、「月に代わってお仕置き必定よ!」が父の意識だったのだろう。蠅叩きで飛べない程度に叩き落とし翅をむしりポイ捨てし、後は蟻さんの食料にでもなれば良い、てなもんや三度笠だったのだ。

 そんな事でアブの処理は同じようにしていたのだがこの日は数が多すぎて悠長なやり方を取っていれば逃がしてしまう。そこで網に入った段階で軽く潰し飛べない様にして次々と捕獲した。全て撮り尽した訳でも無いが「後の御愉しみ」として御目こぼし。捕獲したのは蟻さんの巣穴近くにポイ捨てして一件落着である。12匹の中にアカダニがついていたのがいたけれどセミやバッタ、トンボなどにもよく見られるアカダニだ。人間を吸血するかどうかまでは知らないけれど吸血被害はアブの方が大きいから「敵の敵は味方」の論理で潰さず付着させたままでポイ捨てである。こんな行動を書き込むと動物保護団体から文句が出そうだけれど、意見など多様なもんだし当事者で無ければ分からない事情もあるのだ。ちなみにアカダニ君は左下の一匹、後ろ脚に見える。

     


再度のワルナスビ駆除

2024-07-22 | 小人閑居して憮然

 悪い奴ほど良く萌える、ホントにしぶとい。上の池のオオカナダモも先日に抜去作業をしたばかりなのに既に水面のココカシコに先端を見せている。先端産業ならぬ先端惨行をまたまた始めねばならない。

 さて、過日に駆除作業を行ったワルナスビの駆除部分の確認に行ったところ更に6株ほど新しい株が見えたから晴れ間を使い除草剤を葉面散布して来た。散布液が乾燥するまで降雨が無ければ効果が出るだろう。購入した除草液はキャップを取り直接シャワー出来るようになっているが、それほど大量の除草剤を使うのはアウトであって、ここは選択的除草、つまりは直接取り除きたい草本葉面に泡状にして散布する。

 この時期、農薬売り場を占有する店頭の除草剤の中には「虫も一掃できる」とうたった薬液もあるけれど、除草して生物も一掃する様な薬効は環境破壊に他ならない。自宅前がまだ空き地だった頃、所有者は除草剤を振り撒いて帰るのが当たり前だった。確かに簡便で便利だろうけれど、それにもめげず毎年草本はめげずに伸びていた。とは言え見えない土壌環境に悪影響は蓄積・変質も含め汚染はあるのだろうけれど警鐘は無いのがなんともはやでもある。

 先日の事、十数年ぶりにワルナスビの発生源とみられる園地にキリギリスを楽しみに行ってきたのだが、ワルナスビの鋭い棘への注意書きは立っていたものの駆除は行っていない様子だった。開園以来、坊主刈りしていた園地は坊主刈りの部分と刈り高調整している区域と分けてあるように見えたのだがそうだとすれば園地の目的に少しは近づいたか・・・。最初の頃は全域坊主刈りで、県知事までお手植えした植樹祭までしたのに数百本の苗木すらその夏には刈り取られた手太楽だった事を思い出す。

     


全くもっての跋扈蹂躙・・・

2024-07-12 | 小人閑居して憮然

 もうヒット曲の歌い手の心境であって「バカヤロー!」で爺引導・・・いいえ、ジ・エンドである。林接池には羽化台となる植生が少ないので敢て繁殖しない様に鉢植えにしたカサスゲを池の中ほどに沈めているのだが、今期になって初めて引きちぎられ倒されていたのだ。その犯人は捜すまでも無い猪突猛進無頼の獣、お猪さまの跋扈蹂躙に依るものである。水没しているプラ鉢の中にミミズなどいるはずもなく、カサスゲを喰いちぎったところで虫が出てくる訳も無く、連日の熱中症警戒アラートを考慮して水遊びしたおまけなのだろうと納得するしかない。

 しかし、倒れた鉢を直すには手が届かないし、長靴は水没する深さで入れない。竹竿か何かで立て直す事が出来そうに思えるけれど探すのも面倒で今の処そのままである。次回の水見回りの際に、忘れていなければ竹竿を用意して行こう。プラ鉢一つのために胴長を付けるのもこの猛暑下では御免被りたいのが正直な気持ちだ。億劫では無いものの装着直後から胴体が蒸れて来る感じが不快この上ないのである。

     


二度ある事は…三度の飯より優先事項

2024-07-09 | 小人閑居して憮然

 前で触れたが地下漏水孔が大きく完治処理が出来なかったのが気になり熱中症警戒アラート連続中の中、曇天気味になったので事後確認に行ってみたら埋め戻したところが陥没しており初回の漏水より規模拡大になってしまった。それと言うのもあまりにも地下洞窟が大きく炎天下作業では自殺行為に等しく「死んでも命があるように」なんて唯一の願いにお慈悲の約束は無いままであって、そうなると阿弥陀三尊様と切れない赤い糸で結ばれたままであろうからさぼるのが賢明なのである。

 その上、突き固めるのに必須の胴突きが腐食して使用できず踏み固めた戻し部分は水の浸入を許し緩くなって陥没した、と言うのがストーリーであろう。新しい胴突きの必要は認識しているけれど工作まで手が回らなかった。今回の再補修も踏み固めたままなので、おっつけ再々陥没ー再々漏水の転帰となるのだろう。天気は猛暑と言うより酷暑かつ爆暑中であるから干上がり必至で「嫌だなあ!」なんて贅沢は許されない。この日は湛水確認のつもりだけだったからほぼ新品同様の半袖シャツを着ていたのだがYシャツは作業に向かないのが身に染みたしまっさらな白生地に泥のシミも滲みたのだった。

 前回とは異なり今回はツルハシも持ち出したけれど大きな空洞は地中深く斜めに下がって追い切れず程々の処で中断して埋め戻したが胴突きが無いので今回も信頼性のない後始末である。「胴突きを新調しなかったのが悪い!」と自らをど突いてみたところで後の祭りである。もう加齢吐息はハアハアで、重い泥ドロドロ汗ボロロ・・・だけど忘れる高齢者。

              一番猛暑記録も一番日本一無防備土方天晴れ天晴れ阿呆張る


油断しなくても水は断たれる

2024-07-07 | 小人閑居して憮然

 毎日が日曜日のうえに熱中症警戒アラートが出続け、その上、猛暑日の連発ともなれば弱い立場の低年金高齢者は「暑時は大事!」と大事を取り引き込まらざるを得ない。だからと言ってフイールドの様子は日々変わるのだから見回りも必須なのだ。この日も予想気温38度でアラート中ではあったが曇天になったのを見計らい水見回りに行った。「降雨が無いので断水は無いだろう」は僅かな望みではあるがいつ何時、漏水で干上がるか分からないのがフイールド水域の特徴である。

 行って仰天!早速動転!お空は曇天、では無くてまあ、ヤレヤレと禿げ頭をスリスリしたのだが茫然と失禁してても解決はしない。水見回りの結果は「大きな漏水孔」によるものだった。干上がりは泥水池2から始まり、3,4,5と水が切れてしまった。それでも2,3,4は乾燥せず湿った泥土の中に僅かな水溜りが見えるから「ギリギリセーフ!」で泥水池5は「アウト」の状態である。まあ、フイールドだけでなく「ギリギリ政府とギリギリ民草」は現代東西、本邦を筆頭に指折り数えるのに事欠かないが、指折り数えたところで潤いをもたらさないのは周知の事実でもあり、こんなところにも愚弄張化の波がある。

 泥水池3    接続水路    泥水池4

 この時点でのフイールドの気温は33℃で掘削作業など「とんでもない!」のは承知でも「事、そうはいかない」なんて事態は人生に多々ある。この日も「高齢者は醜い!」「爺爺は臭い!」と言われて出て来たばかりなのだった。事実だし先生様でも無いので潔く受けとめて家出したのだった。高齢になった人生の黄昏時、熱中症警戒アラート下で漏水部を掘り下げ、掘り下げ埋め戻し鎮圧する作業はほどなくして重い泥、ドロドロ、汗ボロボロとなって不快極まりなかったのだが水生生物層をリセットする訳にはいかない。

 掘り返してみるまでも無く漏水部はハンドボールが入るほどの大きさで。掘り進めるまでも無くその下は大きな空洞になっていた。この棚も含めフイールドの水域は地下漏水孔が網の目のようにある環境なので驚くに値しないものの、空洞部はスコップを差し込み回転させても差し支えないほど大きかった。この猛暑下に掘り下げて完治させるには荷が重すぎるのでそれは秋季以降に行う事に決め、湛水するに十分な範囲だけを鎮圧して終えた。一昼夜を要するけれど、これで漸く干上がりから回復するだろう。油断大敵・水断全滅・・・。


ハンショウヅル、花消えた・・・

2024-05-21 | 小人閑居して憮然

 擁壁に垂れ下がり花をつけていたハンショウヅルの花も蕾もことごとく無くなっていた。有り体に言えば例年のお約束みたいな行為の結果ではあるものの今回は種子の元さえ盗られる徹底ぶりだった。また会婦人部が早春に定植した果樹苗も日を置かずして持ち去られているので言わば盗人昼行のフイールドでもあるのだ。

 タケノコのシーズンは終了したが頃合いともなれば早朝から車数台が駐車場に並ぶ。端的には窃盗行為であるけれどタケノコとそこにしかない植生とでは価値が大きく異なるだろう。「嘘つきは泥棒の始まり」とは、小生が子供の頃に常日頃耳にしていた諺だけれど、ネット上には嘘を承知で大量に送信をしている輩と許している管理者がいる。この頃、有名人のサギメールがニュースになっているが、一方、大手の企業を騙って大量に詐欺メールを送り付けを許している企業もその類いに違いない。フイルターを付けるのは簡単なはずなのに要は儲かれば良いのだろうて。商売繁盛、蔓は離すなが先生様に観倣っている社会、テヘ!。

     


油断も隙もありゃあしない・・・

2024-05-20 | 小人閑居して憮然

 小雨模様が続いたり肩の疼痛に耐えきれず鍼治療に行かざるを得なくて三日ほどご無沙汰したのだがホトトギスの鳴き声を近くに聴きながら「良い季節になったなあ…」と思ったのも束の間・股の間で泥水池3に水が無い!。「油断も隙もありゃあしない」は世間様の常套句であるが「減水も穴も減りゃあしない!」がフイールド水域のお約束である。他の水域も送水管の吐出量も独断の変化は無かったので「漏水孔間違いなし」と泥浚いの予定を変更して漏水孔潰しをせざるを得なくなった。

 早速、池に入り漏水孔を探したのだが粘度の高い泥土は足の抜けが悪くて一歩一歩抜くのに気を使わざるを得なかった。動作や反応が悪ければ即、泥坊主になる。そうしてようやく発見した漏水孔は指二本分程度なのだが、もともと流入する水量が少ない水域では致命的でもあるのだった。まずは泥土を除き穴の位置を確かめる。寄せた泥土で堤を拵えて作業部への水を止めてから掘削である。

      これでも致命傷 ➡  掘り下げ体重を乗せて鎮圧する

 スコップで掘り下げた深さは50cmほどで、確実にするためには更に漏水孔を辿りつつ掘り進み潰すのが望ましいけれど際限がなくなるので何時もの手太楽で終える。掘り上げた土塊を掘り進めた穴に詰めつつ踏み潰して一件落着した。泥の堆積が進み水深が浅くなった結果、水溜りにはメダカやクチボソなどは見られず、生息していてもアオサギやコサギが採餌に来る現状では泥鰌とて数を増やすのは容易ではない。カワセミの採餌には許容100%でもアオサギの採餌には石を投げたくなるのは差別感の一種か・・・。孤爺ともなると偏屈さも頑固になり「生物草本皆兄弟」とは達観できない。


産卵管が出てこない・・・

2024-05-09 | 小人閑居して憮然

 庭の池での自然繁殖⁉とは言い難いのだが浮揚水槽に母貝を移して稚魚を保護するシステムは止め、可能な限り親魚と仔魚の同居生育を図らんと仔魚が吸いこまれ殺される凶器となるウオータークリーナーを廃し曝気循環式に替えて産卵用母貝には給餌のための弱い水流を発生させる装置に改変したのが今春の事である。大きく変化したのは水質で、澄んで水底の砂の粒まで見える清明さは無くなり薄く濁りが入った水になっている。これはフイールドの溜まり水と同等に見えるし観賞魚でも無いので構わないけれど夏場になってアオコの大発生に遭うとこれはこれで心配の種である。

 タナゴのオスの婚姻色は3月には現れているもののメスの産卵管が見えていないのが気がかりである。思い起こせば昨季も産卵管が出ていなかったような記憶もあるけれど記録をしていないので何ともはやである。水中の魚体近くで何枚か撮影したものの薄濁りの水中では個体すらしっかりと判明が出来ない状態で無理だった。そこで浮上性の餌を撒いて水面で確認したもののやはり産卵管が確認できない。泳ぎを見ている限りでは魚群は元気だし同居しているメダカも大泥鰌たちも元気なのでホルモンの問題かと思いつつも理由が判らない。

 稚魚用の生息場所としてマツモの藻場も用意してあるのだがこのままだと棒に振る事になりかねない。魚溜まりは砂泥でなく川砂を入れ母貝の生息場所にしたのだがドブ貝の環境エンリッチメントを考慮すると砂泥にしたいところである。しかし当初、砂泥にしたところが濁りが取れず魚影も見えない有様で取り換えたのだった。これは泥鰌によるかき混ぜで濁ったと予想して川砂に変更したのだった。ただ泥鰌の潜り込みたい習性を考慮すると対応が必要になり、写真左上のモヤモヤがそのための泥鰌用人工藻床で、これは太目の毛糸を足長絨毯風に織ったエッ!品だ。これは泥鰌様も気に入ってくれたようで恐悦至極である。その泥鰌様は写真右下に見えるが泥鰌様の仔魚は二十年ほど飼育していても現れていない。その代わり大きな泥鰌は親指大の太さで体長18cmほどになっていて蒲焼にすれば美味しいかも・・・いけない池内堪忍堪忍…。

     


二つ池の摩訶不思議…

2024-05-03 | 小人閑居して憮然

 二つ池は漏水多発部で水面面積を拡大したとたんに漏水が頻発し始め対応に四苦八苦のあげく業を煮やして埋め立て縮小し、ようやく安堵となって「やれやれ嬉しや」と思い始めたのも束の間、下棚面への漏水流入部が不明のまま数年が経過した。それでも満水位を保っている間は支障とは言えないのだったがこの期に及んで急速減水してきたのだ。漏水部を探索した結果、親指大の流入孔を発見して潰したけれど下棚への漏水量は変らないのだった。

 更なる漏水孔を見出すために支障となる葦を抜去したものの濁り水の池では水底が見えない。そこで翌日、水が澄んだ頃合いで池の傍に立ったのだが驚くべきことは満水位になっておりオーバーフロー部から溢れている。しかし下棚への漏水量は変っていないし何故満水に至ったのか理解できていない。考えられることは「漏水部があるだろう⁉」と推測して葦を抜去した範囲に漏水孔が存在していたかもしれないと言う事で抜去のために立ち入り踏み荒らした範囲にあったかもしれない流入部が潰された可能性が高い。

 ➡  翌日には満水位になった不思議

 しかし流入部を視認できなければ漏水孔を潰せない。せっかくだから下棚への漏水部にパイプを差し込み水際部が泥濘化する事を防止する。陸の部分が泥濘化しているようだと見回りにも歩き難く、何より威之志士様の跋扈蹂躙を誘発する。漏水部を根絶できない以上、漏水による泥濘化を防ぐ手当てが必要なのである。まあ、とりあえずの手当ては済んで、池内の植生の一部も抜去して漏水部の探索は今後の課題だが何時できるやら皆目見通しは無し・・・。

               ➡  パイプで導水、泥濘化を防止


抜根少々お頭動転

2024-04-15 | 小人閑居して憮然

 クソ!、糞!、苦素!である。なんとか活着し、ようやくこれから生育が見込まれると言うこの時期に、あろうことか威之志士様の跋扈蹂躙に遭ってしまった。まあ、遭ってしまったと言うより向こうはやりたくて行った行為であるから確信犯でもある。

 水見回りは出勤すれば欠かさないのだが末端台地の方面には時折確認に行くだけで済ませて来た。この日も「ついでに確認」と台地に立ったのだったがあーあ、見てしまったのは根株が掘り返され露出し葉色も変色している。抜根されてから数日間では変色までは行かなくてももう時期遅しと言う感じもするが、一縷の望みをかけて自宅まで持ち帰り丁寧に鉢植えにした。弱った葉は切除し葉数を減らし1カ月ほどは明るい日陰で管理してみる。これで衰弱するようなら望みは無いだろう。

 威之志士様の跋扈蹂躙に遭った理由は明確で「腐植土でマルチングした」事が一番大きな誘因で原因なのだ。山荒ししか行わない威之志士様の鼻の利きは別格で周囲とは異なる土などで定植すると日を置かず掘り返される。この不安も懸念もあったのだが腐植質の少ない台地の一画に植えたキジョランにせめてものお爺こころが大当たりしてしまったのだった。今回、被害まで時間を要したのは竹酢液を噴霧した結果だろう。まあ、半年もすれば効果も消える。クソクソクソであるが持って行き場がない・・・。

 フイールドではそれほど大きな蔓に思えなかったのだが鉢植えにして庭に置いたら結構な上背がある。鉢の中の支柱と更に鉢の外側へ支柱との二本で支える事にしたのだ。


今日のエッ!品「ココナッツミルクのヨーグルト」くそくそ!

2024-03-28 | 小人閑居して憮然

 菜種梅雨とも言うべきか雨降りお憑きさんである。年甲斐も無い重労働に明け暮れていては膝小僧も腰娘も堪ったもんじゃあないから、つまりは慈雨と言うべきなのだろう。フイールドに出かけないので時間のやりくりは無し。全くの毎日が日曜日状態であるが何かをなさざれば一日喰らわず、なんて事も無い食い意地は腰娘や膝小僧を下に観て意気軒高なのである。

 そこでつらつら「小人閑居してお膳を成す」の諺通りにエッ!品が降臨した。「鹿も四つ足、馬も四つ足」の論法で日和見越えした結果で、「牛乳も乳、豆乳も乳、ココナッツミルクも乳‼」ゆえにヨーグルトが出来るのである。確信を持ち確信的偉業を成し遂げるために買い物に行ってきた。ココナッツミルクなど産まれて初めての食品であるから「豆乳かライスミルク」の範疇とばかり思っていたのだが仕掛けるために缶切りでブスッと密閉を破ったとたんに鼻に来た臭い。これで「無理無理!」と直感したのだ。

 口にはしていないし目でも見てはいない段階で「性に合わない」のが明確だった。嫌悪する臭いなのだ。それでも「ヨーグルトへのアプローチ」は手つかずで、撤退はせず豆乳ヨーグルトを種菌として保温発酵のセットをしたのである。ココナッツミルク400gに溶解するために2カップの水、これに種ヨーグルト大匙2杯を入れて10時間保温してみた。深夜小用のついでに様子を見て撹拌したけれど粘度の増加は無く翌朝も同じ状態だった。これで結論が出た状況でもあるが最後のあがきとして牛乳ヨーグルトを大匙2杯加え更に保温を開始して午後まで我慢してみた。

 結果として何も性状に変化はない。ココナッツミルクの成分を失敗事後検索して確認したら油分が多いのだった。これだけ油分が多ければ乳酸菌が働ける訳も無い。性状変化も無い容器の中の白い液体、ココナッツミルクと思えば調理への転換も可能だろうが、第一印象で「無理!無理!」の臭気はどうしようもなくシンクの中から消え去ったのだった。あーあ、400円もったいなかったぁ。桜餅と桜団子を買えたのだ・・・ケセラセラ、なるようにならんかった、先の事など判らない・・・。


落下狼藉・努力は粉砕・・・

2024-03-26 | 小人閑居して憮然

 拠点道具小屋で木工を行う時、板材の切断に重宝しているのが鋸盤である。1973年製造のプレートがあるから50年も前の代物である。頂き物であるけれどセットのジグソーは既に無く、鉋も研ぎなおしするより新規購入の方が安上がりだし使い勝手も良い。別個に丸鋸はあるけれど台付きの鋸盤はそれなりに重宝していたのだ。ところが当然とはいえ半世紀も経過すると樹脂が脆くなり強度が無くなって割れや欠けが入るようになった。このまま使い続けると収納ボックスを兼ねた架台そのものが崩壊してしまう。

 そこで河床保全作業営々続行中なれど水域の葦角抜去も適期なので中休みを兼ね葦角抜去を行い、ついでに自宅で鋸盤の補修を行う事としたのだ。アクリル樹脂板、接着剤、4φビスなどを取り揃え、粛々とコツコツと縁台の上で補修を開始し、「あら、嬉しや。もう少し…」と言う段階であろうことか縁台から落っことしてしまった。結果は五郎次郎、見るも無残な変わり様・・・。こう言う事態にこそ落胆、いいえ落嘆が相応しい。度々使用する鋸盤ではないものの有るのと無いのでは切断精度が断然異なるだけに「あーあ」と唖然茫然愕然当然だったのだ。

 もうジグソーパズルの様相を呈して元の形も判明し難いし樹脂製の容器での再使用は叶わない。しかしながら前述のようにまだまだ利用したい機会があるだろう。幸いにして使えるベニア板はあるから破損した樹脂台の代わりにベニア材で再生してみたい。他人様が観れば瓦礫当然の姿態を晒している元鋸盤であるけれど姥捨て山の孤爺にだってまだ復興させたいとの炎は消えてはおらんが復興できない炎も哀しくもあるのだった。

 ここまでバラバラに破損されては「廃棄」が世の常・当然の帰結と認識はしているものの「まだ使えるはず、もったいない…」が消えない。つまるところ、雅な魚沼水飲み百姓の末裔であるからして「ボロも使って心は錦」に囚われておる。まあ「三つ子の魂、癪でも忘れず」因果である。

     

 樹脂製ボックス左上の角は破片を当てて補強し下側の部分はベニア板で再生し蝶番の取り付け部はアクリル樹脂板を補強を兼ね当てて取り付けを済ましたのだったが、あーあ、ホントにもう再起不可能の痛手・・・。使えるのは金物だけだ。