あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

錦秋の京都その2 永観堂続き

2009-11-20 08:11:35 | 旅行

 永観堂ですが
 正しくは浄土宗西山禅林寺派総本山 永観堂禅林寺と言います。 パンフレットによると、863年に真言密教の寺として始まりました。 それから200年ほど後に永観律師が恵まれない人々のために奔走し、律師を慕う人々がここを永観堂とよぶようになったそうです。
 後に、法然上人の弟子である証空上人が住職となり、浄土宗の総本山となったということです。


  唐門 天皇の使いが出入りするとき使われた勅使門です。



 


 御影堂と回廊でつながれた阿弥陀堂




 少し山を上がったところには多宝塔がありました。



 わたしたちはまず、多宝塔に上がってみることにしました。


 少し上っていくと、伽藍の建物がもみじに囲まれているのが見えました。



 



 多宝塔を見上げると、ここにももみじ



  


 ここはすばらしいながめでした。 向こうに広がるのは京都の町並みです。



 後から上がってきた中年女性の人たち
 「ああ、ことしはいまいちやねえ。」
 え?
 
 「ほんと、去年はおもわずわあ~と声が出たもんねえ。」
 思わず 「これでいまいちなんですか?」 と言ってしまいました。 するとその人たちの言うには、もう遅いんだそうです。 
 へえ?
 早すぎて紅葉が見られないかもしれないと心配してきたのに、遅かったとは。 それでは来週にしていたら、連休で混雑するわ、もみじは散りかけているわでさんざんだったかもしれません。 この日を選んだのはラッキーでした。


 真下を見ると

  しいの実につかまった人



 わたしがしいの実を見つけて教えたばっかりに・・・・・・
 こちらにもあるよと呼び寄せたら、上がってきても景色を見ずにしいの実拾いに熱中しています。 そのうち先ほどの人たちとしいの実談義が始まって、父もいっしょになっておしゃべりを始めました。
 放っておけばまだまだ拾っていそうなのを無理矢理やめさせて、下へ下りました。


 あと30分ばかり。わたしたちは建物の中に入ってみることにしました。 そして入ってみて、困ったことに気づきました。
 釈迦堂から御影堂をへて阿弥陀堂に至るまで大小の部屋が回廊でつながれ、いったん入ると、途中で出る所がありません。 しかもここにはこの寺が所蔵するたくさんの仏画や障壁画、仏像などが公開されていたのです。 もみじもですが、この宝物はじっくり見る価値がありました。
 しかし、多宝塔でゆっくりしすぎたわたしたち、時間がありません。


 庭は撮影OKということで
 中庭の小さな池にも、もみじがちりばめられていました。



   唐門の内側。 勅使はこの白い盛り砂を踏んで身を清めてから奥へ進んだそうです。 格子の向こうがもみじ色に染まっていました。



 中庭ももみじに彩られています。



 気が急きながらやっと最後の大きな建物、阿弥陀堂にやってきました。


 本尊は見返り阿弥陀と呼ばれています。 正面を向かず、振り向いた恰好の阿弥陀様です。 昔、永観律師がここで修行をしていたとき、阿弥陀様が現れ、永観律師をふり返って声をかけられたとか。 
 このあたりまでくるともう小走りに人を追い抜いていかなければ間に合わなくなっていました。 なのでわたしも阿弥陀様の横をすり抜けながら、見返りあた子になってちらっと顔を合わせただけです。 金色の優しいお顔の仏様でした(多分)。


 もっと時間があったら、宝物をゆっくり見て、こんな所で抹茶などを飲みたかった。



 大急ぎで駐車場に帰ると、添乗員さんが、「まだ1分10秒ありますよ。」と言ってくれましたが、わたしたち以外は全員バスに乗り込んですぐにも出発できるようになっていました。


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コメント (10)
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